これは契約。力をあげる代わりに私の願いを一つだけ叶えてもらう。
契約すれば、おまえは人の世に生きながら、人とは違う理で生きることになる。
異なる摂理、異なる時間、異なる命。
王の力はおまえを孤独にする。その覚悟が、あるのなら。





Dear knows my God.





ブリタニア宮殿の奥、芝生の広がる見晴らしのよい場所に、それはある。一面の青い空の下に、間隔をおいて並べられている石碑。刻まれている名前を、ルルは小さな手のひらでなぞった。他と比べて飾り気のないそれは、けれど汚れてはおらず、よく手入れされているのが窺えた。横に並ぶ先代ブリタニア皇帝、第二皇子シュナイゼル、第二皇女コーネリア、第三皇子クロヴィスの名を、ちらりとルルは眺める。どれも派手な墓だけれども、何故か祈る気にはなれない。ふっと芝生の上に影が落ち、ルルは顔を上げた。シンプルな石碑の向こうに、一人の男が立っている。ルルより10歳くらい年上のように見えるけれども、まだ成年していない、少年のような細い影だった。
「こんにちは」
「・・・・・・こんにちは」
挨拶され、ルルはつられるように言葉を返した。皇子として礼儀作法はしっかりと教え込まれているけれども、不審な輩には気をつけるよう、耳にタコが出来るくらい言い聞かされている。けれど、今は何故か警戒心が浮かばなかった。男の瞳が吸い込まれるような紫だったからかもしれない。
「君はブリタニア皇帝の第一皇子だろう?」
「うん」
「こんなところで何をしているんだ? 護衛は?」
「いないよ。まいてきちゃった」
「・・・・・・撒いて?」
「だって、うるさいだもん。あれ勉強しろ、これ勉強しろって。今日はせっかく父様と母様が帰ってくる日なのに」
呆れたような声に早口で言い訳すると、男は少し笑った後で肩をすくめた。黒いマントの裾が揺れて、さらさらと風に遊ばれている。
「今日は、二人が帰ってくる日なのか」
「そうだよ。お仕事で半年も日本にいたけど、今日やっと帰ってくるんだ。でも何時になるか分からないって言われたから、だからここで待っていようって」
「何故?」
「だって、父様はお出かけから帰ってきたときは、必ずこのお墓に来るもの。ぼくに会うよりも先にだよ。だから、ここで待ってれば絶対に会えると思って」
ちがう? と見上げて尋ねれば、男はゆっくりと首を横に振った。逆光でよく見えないけれど、黒い髪がとても綺麗だとルルは思う。洋服の黒と、マントの黒。だけど髪の黒が一番綺麗だ。
「この墓が誰のものか知ってるか?」
「知ってるよ。母様のお兄さんで、父様の親友」
「親友?」
「そうだよ。だって父様、その人のことを話すとき、すっごくやさしい顔をするもの。だからぼくにも、その人の名前をつけたんだろうし」
「ルル?」
「うん」
声は低すぎず、高くもなくすんなりと耳に入ってくる。帯びている響きは優しい。気遣うような声音に、ルルはぺたりと芝生に座り込む。
「だけどぼく、その人に会ったことない。だってぼくが生まれる前に死んじゃったし、それに、皇族だけど犯罪者だって聞いた」
「ゼロ?」
「うん。ブリタニアの政治に怒って、国を壊そうとしたんだって。テロリストとして活躍したって聞いてる。それなのに父様も母様もナナリーおば様も、みんなその人のことを『やさしい人』って言うんだ。犯罪者なのにさ」
「・・・・・・」
「日本では、その人は英雄なんだって。だけどブリタニアじゃ嫌われてる。おじい様やおば様やおじ様を殺したから。なのにその人の名前を、父様はぼくにつけたんだ」
「嫌いか? その名前が」
「嫌いだよ。だって、ぼくはぼくなのに、父様、ときどきちがう人を呼んでる。ぼくは父様と母様の子供なのに、それなのにぼくを見てくれない」
誰にも言ったことのなかった気持ちが、何故か自然にルルの唇をついて出た。しまった、とは思わない。話すことで心が軽くなっていく。じんわりと涙が浮かんで、必死になって袖口で拭った。
「それは悪い父様だな」
男の声に、ルルはこくりと頷く。
「じゃあルルは、そんな父様は嫌いか?」
「・・・・・・嫌いじゃないよ。嫌いだったら、こんなところで待ってたりしない」
「そうか、それならいい」
穏やかな響きの中に僅かな安堵を感じて、ルルは顔を上げる。黒い影の中、微笑んでいる男はやはり綺麗だった。目を奪われてしまうような紫の瞳。心がどきどきして、だけどぽかぽかと温かくなっていく。
「ルル。おまえがその父様の親友とは違うという証をやろうか」
「あかし?」
「そうだ。おまえは心の思うまま、俺の質問に答えればいい」
見つめる両方の瞳が、太陽の光のせいか赤味を帯びて輝いていく。鳥が飛んでるみたいだ、とルルは思った。

「ルル、おまえは力が欲しいか? この国を、世界を滅ぼす力が」
「・・・・・・ううん、いらない。だってこの国は、父様と母様ががんばって作った国だもの。いい国になってきたって言われてるの知ってる。だから、いらない」

そう答えると、男の手がマントの下から伸びてきた。父親とは違う、けれど大きな手に撫でられるのは初めてで、少しだけ首をすくめてしまう。くしゃくしゃと髪をかき混ぜる指先は優しく、どこか懐かしい感じがした。
「それでいい。おまえはテロリストとは違う。一人の立派な、ルルという人間だ」
離れていく指先を辿ると、男が先ほどよりも一歩遠くに立っている。ルルも立ち上がるが、石碑が彼らの間を遮った。
「ルル、俺はずっと見ているよ。おまえが将来ブリタニアの皇帝になって、素晴らしい国を作るのを」
「ぼくが死ぬまで?」
「死んでも見ている。それが、俺の責だから」
男がさらに一歩遠ざかる。繋ぎ止めようと手を伸ばすけれど、石碑が邪魔で届かない。うう、と顔を歪めたルルに男は優しく微笑んだ。瞳はやはり綺麗な紫だった。
「ねぇっ! また会える!?」
また会いたいという気持ちを込めて叫べば、男はひらりとマントを揺らした。
「見ているよ、ずっと。おまえたちのことを」
「待って! あなたは誰!? 名前は!?」
問いに答えは返されない。男はただ微笑を返し、ルルから遠ざかっていく。吹きすさんだ突風に、ルルは思わず目を瞑った。次にまぶたを開いたとき、すでに男はいなかった。ただルルだけが、飾り気のない石碑に乗り上げている。
「―――ルル!」
背中から飛んできた声に、ルルはびくりと肩を震わせた。慌てて振り返れば、父親であるブリタニア皇帝がこちらへと向かって駆けてきている。服装はまだ礼服のままで、やはり自分の推測が当たっていたことをルルは感じた。目の前に立った大きな手が、がっしりとルルの両肩を掴む。
「まったく、どこにいるのかと思ったら・・・。駄目だよ、誰にも何も言わずにいなくなっちゃ。みんなが心配してる」
「・・・・・・ごめんなさい、父様」
「今度からは気をつけるんだよ」
しゅんと頭を下げれば、父親は安堵したように肩と眉を下げた。手を引いてルルを石碑から下ろし、少しついてしまった泥を手のひらで拭う。
「ルルも彼に会いに来たの?」
「・・・・・・ここで待ってたら、父様が来ると思って」
「そっか。そうだね、ここで待つのが一番確実かもしれない」
あっさりと認める父親の横顔は、自分には向けられない微笑をたたえている。捧げられているのは物言わぬ石碑だ。今までは悔しいと思っていたのに、何故かそんな感情は浮かんでこない。代わりに、どきどきとぽかぽかがルルの心を満たしていた。瞳に飛んだ鳥を思い出し、自然と笑顔になる。
「さぁ、帰ろう。母様もルルに会いたがってる」
「うん」
差し出された手を取る。さっき会った男について、ルルは父親に話そうと思わなかった。自分一人の秘密にしよう。そう思って、大きな手を強く握る。石碑を振り向き、父親は微笑んだ。

「じゃあね、ルルーシュ。また会いに来るよ」

背を向け、宮殿を目指してゆっくりと歩き始める。真っ青な空は首が痛くなるほどに高い。
「そうだ、ルル。社会と算数の授業をさぼっただろ? 先生が怒ってたよ?」
「いいんだ、これからはまじめにやるから。ぼく、いっぱい勉強するよ」
「・・・・・・急にどうしたの? 今まではあんなに勉強するの嫌がってたのに」
「決めたんだ。ぼく、ブリタニアをもっといい国にする。スザク父様にもユーフェミア母様にも負けないような、立派な皇帝になるんだ」
ルルの声が高らかに響く。仲良く帰っていく父子を、石碑に寄り添い、男が微笑み見送っていた。
穏やかな風の吹く、優しい日だった。





墓地で出会った、僕の神様。
2006年12月15日