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背筋を伸ばすような厳かな雰囲気。
一月、新たな年が幕を明ける。





一年間(一月)





一月ともなれば早い私立高校では入試が始まる。昭乃の受ける高校は都立だからまだ一ヶ月くらいは先なのだけれど。それでもやはり気持ちは焦る。周囲の生徒たちは内部進学で勉強をしていないからこそ余計に。自分の努力が他の人と比べてどうなのか比較できないからこそ、不安は募って。知らず溜息をつきかける回数が増えていた。あと少し、あと少し頑張れば、と思いながら昭乃は数学の授業中に単語帳をめくっていた。



授業中、自分の位置から右に二つ、前に三つの席を眺めながら、忍足は内心で溜息をついた。四月は前後に三つだった席が、数回の席替えを繰り返して今はこのような配置になっている。どちらにせよ自分が彼女よりも後ろの席であることは喜ぶべきだ。そう、授業中はいつでも彼女のことを見ていられるのだから。横顔や、後ろ姿、制服の裾が見えるだけで嬉しくなる。見えないと無意識のうちに眉を顰めてしまって、見えると自然に笑みを浮かべてしまう。気持ちの一喜一憂を感じるたびに忍足は深く自覚するのだ。―――こんなにも昭乃のことが好きなのだ、と。
だからこそ一日一日が過ぎていくたびに焦りが生じる。あと三ヶ月も経ちきらないうちに、自分たちは卒業を迎えてしまう。そうすれば昭乃は氷帝から出て別の学校に行ってしまう。・・・会えなくなる。そんなのは嫌だ。忍足はそう思う。
握り締めてしまったシャープペンシルが鈍い軋みを上げたのに気づいて、手から落とし机の上に転がした。素手で拳を作れば、爪が食い込んで痛みを感じる。けれど、それよりも心の方が痛い。昭乃に傍にいて欲しい。好きだから、近くにいて欲しい。こんな風に見える場所にいて、挨拶と会話を笑って交わして。恋人になってなんて言わない。だからせめて、今のままでいたい。だけどそれももうすぐ叶わなくなる。
笑って送り出してやればいいことぐらい、忍足自身も判っていた。だけどそれは出来そうにない。好きだから。・・・好きなのに。



久堂は今日は塾やろ? ほな、会議には俺が出とくわ」
放課後のHRの後で言われた言葉に、昭乃は軽く驚いた。部活もないクラスメイトたちが教室を後にしていく中で、忍足は昭乃の前の席に寄りかかって言う。笑っているはずなのに、彼はどこか苦しそうだと昭乃は思った。
「え、いいよ。塾だったら間に合うから」
「せやけど予習とかせぇへんの?」
「予習はしてあるよ。だから大丈夫。ありがとね、忍足君」
笑ってみせれば、忍足はやっぱり苦しそうに、困ったように笑う。けれどその顔から喜びも少し見て取れて、昭乃は内心で動揺した。再び普通に話せるようになってからこっち、忍足が自分に向ける視線は熱を孕んでいる気がする。・・・自意識過剰は良くない。そう自分を戒めながら、昭乃は鞄のチャックを閉めて立ち上がった。
「行こう、忍足君」
今度は嬉しそうに頷く忍足に、だからそんな顔をしないで、と思いながら。



『謝恩会について』
そう書記が黒板へと書き付けるのを見ながら、忍足はやはり無意識のうちに眉を顰める。隣の昭乃がノートにペンを走らせているのを横目で捉え、どうにか唇を噛むのを堪えた。卒業なんて来なければいい。最近そう考えてばかりの自分に呆れ果てて怒りさえ浮かんでくる。忍足侑士はこんなにも情けない男だったのか、と。好きだという想いがあって、引き止めてはいけないという理性があって、その間で恋が行き場をなくして彷徨っている。
告白するには昭乃に近づきすぎてしまった。彼女は確固とした自分の意思で氷帝を出て行こうとしている。そして、それを止めることは不可能だと判ってしまっている。どうせならそんな昭乃の性格を知る前に好きになって告白してしまえば良かった。忍足はそこまで考えて頭を振る。書いていた手を止めて不思議そうにこちらを見る昭乃に、曖昧に笑みを返して。―――こういう性格をしている昭乃だからこそ、好きになったのに。それすら覆そうだなんて、愚かにも程がある。やっぱり自分はどうしようもない男だ、と忍足は深く溜息をついた。



久堂」
会議を終えて、校門まで一緒に歩いて、そして分かれ道で彼は言った。
「送らせて、くれへん?」
送ろうか、でもなく。送るよ、でもなく。送らせてくれ、と忍足は言った。
「・・・私、このまま塾に行くから、忍足君の家とは逆方向だよ」
そう答えた声は我ながら掠れていたと昭乃は思う。
「かまへん、そんなの」
「でも」
久堂と一緒におりたいんや。少しでも、長く」
言われた言葉の意味だとか、そう言ったときの忍足の表情だとか、昭乃は一瞬知覚することが出来なかった。吐く息が白く濁って、二人の間に現れては消えていく。こちらを見つめてくる真剣な眼差しから目を逸らすことが出来なくて。気がついたとき、昭乃は首を縦に振っていた。嬉しそうにはにかんで笑う忍足を見て、ひどく胸が苦しくなった。
自分が選んだ外部進学という進路は、本当に正しいのだろうかと初めて思った。





2004年3月5日