駆け足で冬が来る。
十一月、マフラーを放せない時期が来た。





一年間(十一月)





この二ヶ月、自分はろくに委員会の仕事をしていないと忍足は思う。HRの進行などはするけれど、それもすべてによる下準備が進められたもので。委員会に出席はすれどプリントを作ったりまとめたりという仕事はみんながしていた。『手伝う』の一言が言えなくて。・・・拒否されるのが、怖くて。
何度拳を握ったか判らない。こんな自分は初めてだ。情けなくてみっともなくて、それでいて少しだけこんな自分も良いかと思う。誰かで埋め尽くされる自分もいいと、心のどこかがそう言うから。
愛しいと、素直に思った。



この二ヶ月、向けられ続けている視線には気づいていた。それは申し訳なく謝るような、傷ついて苦しむような、切なくて涙するような、すべての感情を表したかのような眼差しで。無視し続けることが辛くなって、時おり唇を噛んで堪えた。まだ許したわけじゃない。あのときのことを思い出すだけで指先が震える。きっと忍足は男だから知らないのだ。女にしか判らない、あの恐怖。許すことは出来ない。認めたりなんかしない。・・・でも、それでも。
忍足と話をすることは楽しかった。彼はとても話題が豊富で、話していてテンポよく言葉を交わすのが楽しかった。放課後、委員会の仕事をこなしながらテニス部の話なんかもしてくれて、その後に自分も調理部の話なんかもしたりして。一度テニス部を観に来ないかと誘ってくれた。でも断った。あの女の子の群れにはかなわないよと、笑いながら言って。そのときも忍足は柔らかく笑っていた。きっとあれは彼の女の子に対する常套な笑顔なのだろうけれど、その笑みが心地よかったのもまた事実だった。ほんの少し前のことなのにそれが酷く懐かしい。あの歯切れよい関西弁を聞かなくなってどのくらいだろう。
付き合いたいなんて今も露ほどには思っていない。それでも、自分は彼のことが好きなのだったと気づいた。一緒に話をしていて楽しかった。もう少しいろんな話をしてみたかった。好きだと思う。恋人になりたいとかそういう好きではないけれど。でも自分は忍足のことを今でも友人だと思っている。・・・思っていたいのだ。は小さく笑った。
少し前に見える後ろ姿。心なしか猫背で歩いている彼。紺のマフラーが似合うな、なんて思って。
「おはよう、忍足君」
声を、素直にかけれた。



心臓が止まるかと思った。一瞬は絶対に止まった。体中のすべての細胞が停止して、意識だけがクリアーにその声を知覚していた。だけど、そんなはずはないと頭を振る。まさか、そんな。
「・・・おはよう、忍足君」
再度かけられた声に、忍足は信じられないと思いながらも振り返った。夢だと、思った。こうして微笑みかけてもらえることなど、もう二度とないと思っていた。
顔がぐしゃぐしゃに歪む。
笑っている。自分に、笑いかけてくれている。
泣きそうで、泣いていて、歯を食いしばった。
喜びに胸が潰れる。



「・・・ごめん」
零れた言葉は掠れていた。
「ごめん。ホンマ、ごめん。ごめんなさい。ホンマにすみませんでした」
深く頭を下げられた。膝につくくらい。肩が寒さのせいじゃなく震えていた。
「いくら謝ったって許してもらえへんと思う。せやけど、ホンマ、俺・・・」
ポタッと、アスファルトに染みが出来て。心の底から、搾り出すような声で。

「ごめん・・・っ」

必死の謝罪だった。



・・・泣いているのを初めて見る、とは思った。今目の前で頭を下げている忍足。ポタポタとアスファルトへと落ちていく透明な雫。前は見ないように帰ったから、泣き顔を見なかった。それを彼が望んでいたから。でも今は。子供のような人だと思う。そしてそんな彼を愛しいと思う。
「泣かないで、忍足君。もういいから」
綺麗な涙。こぼれるのが勿体無いと少し思った。頭を下げていたせいで肩にかけていたマフラーが地面に落ちて。その紺色が似合うから、しゃがんで拾った。顔を上げても尚うつむいている忍足の首にそっと巻いて。本当に久しぶりに目を合わせた。泣いている子供。体はこんなに大きいのに、とても幼い子。
「もうあんなことしないでね。本気で、怖いんだから」
どうしてもこれだけは判って欲しくて、瞳を覗き込んで真剣に言った。もうあんな目はゴメンだから。あんな恐怖、もう二度と味わいたくない。たとえそれがいくら知っている人だったとしても。
「も、絶対せぇへん。約束する」
瞬きした拍子にまた雫が零れて。手を伸ばしてそれを拭った。触れた頬が熱かった。あのときと同じ熱。それでも握られた手は優しくて、胸がキュッとして。怖くなかった。
「約束だからね?」
「約束や。嘘ついたら何でもする。死んでもえぇ。絶対、もうせぇへんから」
だから、と彼は言って。
「・・・俺にまた、笑うて下さい」
そう言って、彼はまた泣いた。



愛しいと思った。





2003年7月4日