熱がまだ残る九月。
―――暴走、する。
一年間(九月)
「じゃあ第一志望は恵和高校でいいんだな?」
「はい、お願いします」
「まぁならもっと上も目指せると思うが・・・。でも恵和も公立にしては施設の整った学校だからな、良いと思うぞ」
「はい」
「滑り止めの私立はどうするんだ?」
「大体は決めてあるんですけど・・・」
「どれどれ?」
三年職員室を出ては小さく息を吐き出した。緊張するほどのものではないが、やはり職員室というのは気を張るものである。この三年間で褒められることも怒られることもしていない自分にとって、職員室というものは日直のときくらいにしか行かない場所で。むしろ図書室のほうが行くかもしれない。・・・氷帝を出たらここの図書室とお別れというのは少し悲しい。蔵書の量ではやはり公立高校は敵わないだろうし。そんなことを考えながらは廊下を歩いていた。
二学期に入り部活も引退した。今日は塾の日ではないが早く帰って先日の実力テストをもう一度解きなおそう。少しでも力をつけておかないと、目指している進学校に入った後で苦労するだろうから。
教室のドアを開けると誰かがいるのが見えた。それは新学期が始まって以来まともに話していない委員会の相方だった。
「まだ帰ってなかったんだ?」
教室に一歩入ってきた少女を見つめて、忍足はふと思う。・・・綺麗だ、と。今までそんなことを考えたことはなかったのに、少女の容姿や雰囲気に今までと変わりは何らないというのに、それなのに。夕日を浴びてこちらをまっすぐに見てくるを、綺麗だと思った。
―――変わったのは自分だ。忍足はようやくそのことに気がついた。
・・・変わってしまった。
「なぁ」
かけられた声に、今まで聞いたことのない何かが混ざっていての心が小さく震える。何かが違う。今までの忍足とは、何かが。
「俺が夏休み前に『付き合わへん?』って聞いたん覚えとる?」
「覚えてるよ」
「そんとき、『よい友達が出来て嬉しい』言うたな」
「・・・言ったね」
怖いと、思った。今目の前にいる忍足が。何が怖いのかは判らない。でも心の中の何かが警鐘を鳴らす。怖い。この人が怖い。顔が見えない。・・・近づかないで。
「彼氏がいるんやったらそう言ってくれれば良かったんに」
「・・・彼氏?」
一歩、後ろに下がった。
「あの別嬪さんや。今はまだ女みたいやったけど、デカくなればそりゃ男前になるやろうな」
誰のことを言っているのか、噛み合わなくなってきた頭で考える。浮かび上がるのは、仲の良い友達。
「・・・椎名君は友達だよ」
「椎名いうんか、あいつ」
「友達、だよ」
声が震えて。目の前の男が笑うのが判った。
一歩近づけば一歩下がる。それを何度か繰り返して忍足は笑った。自分の中の何かが獰猛に牙をむくのが判る。口元が笑みにゆがむ。凶悪なまでの衝動が体中を駆け巡って。
泣き顔が見たい。泣かしてやりたい。その目に自分だけを映してやりたい。
一生消えない、傷を。
「さわらないで」
震えを隠さない声と、それと正反対の鋭い眼差しに。伸ばしかけた手が止まった。雫が零れる。
「私、忍足君のこと嫌いじゃなかった」
まっすぐに、涙を流しながら睨む姿。宙で止まったままの手が震える。
「もう二度と話しかけないで」
それだけ言い切ると少女は乱暴に鞄を掴んで少年の視界から走って消えた。
涙が頬を伝うのを振り払って走る。
教室で一人、手を握り締める。
鈍器で頭を殴られたかのようだった。
2003年5月10日