五月に入り、緑きらめく若葉が咲き始める。





一年間(五月)





目の前でノートをまとめている手を見て、やはり指が長いな、とは思う。彼の指は長い。そういえば彼はテニス部に所属している。きっとラケットもその手で簡単に握ることが出来るのだろう。忍足がテニス部の正レギュラーであることは有名だが、実はは彼のテニスをしている姿を見たことがなかった。その理由はしごく簡単。テニスコートに近づくのが嫌だからである。黄色い声でお目当ての男子の名前を叫ぶ女の子たち。彼女たちは恋する乙女としては可愛いのだが、ほんの少しだけ(それは本当に僅かでいい)斜めに見れば怖い集団以外の何者でもない。災いに自ら近づくほどは好奇心旺盛なわけではなかった。よって遠くから眺めていただけなのである。
あぁなるほど、彼が忍足君なのか、と。



机の反対側から自分を見ている視線に忍足は気づいていた。というか普通は気づくだろう。教室に二人きり、しかも相手は目の前の席に座っていて、そして自分がこのノートを書き上げるのを待っている。これで気づかない人がいるものならそれは大概鈍感というやつだ。ましてや忍足侑士。彼は自他共に気の置けない男を自負していた。
「何かおもろいもんでもあったん?」
ノートから顔を上げて聞くと、少女は「あ、」といった感じで口を開いては閉じる。そして少し迷った後、照れるでもなく次の台詞を口にした。
「忍足君の指って長いよね」
「・・・指?」
「そう、指」
少女は自分の手の平を広げてみせる。忍足とは違う小さな手。指は特別長くはないけれど短くもなく、いたって普通の手の平だった。年頃の少女らしく爪は磨かれて形よく、マニキュアではない桜色が目を引いた。手は合格やな、と忍足は思う。
「長いんかな? 自分ではよう判らんわ」
「うん、まぁそうかもね」
アッサリと引き下がる少女に思わず軽く目を見開く。再び机の下に仕舞われた手。なんとなく、なんとなく軽い不満を覚えて再びノートに目を戻す。・・・不満? 一体、何に? 忍足の自問自答など知らずに、少女は気軽に声をかけてくる。
「忍足君、ノートまとめ終わった?」
「・・・あとちょっとや」
返事を返しつつも、やはり拗ねている自分を忍足は感じていた。



再び黙々とノートをまとめ始めた忍足を見て、は教室へと視線を移す。今日は学年であったクラス委員会の会議があった。今まとめているノートはそれを記したもの。どちらがまとめるかのジャンケンで勝った自分はやらなくて済み、のんびりと時間を持て余している。先に帰るのはわずかに気が引け、かといって何か会話するのも変だなぁ、とは思う。だって自分と忍足にはなんら接点というものがないのだ。あるというならそれは、今年たまたま同じクラス委員になったくらい。赤の他人が道を尋ねられた他人になったくらい? のんびりとそんなことを考える。
は・・・」
「うん?」
静かだった忍足に話しかけられては視線を戻した。ノートに視線を落としたままの頭が見える。
「外部進学、するんやて?」
つむじが見えて、無防備だなぁと思った。



「うん、そう」
アッサリと答えた相手に忍足はわずかに瞠目した。そんなに簡単に、と思ったくらいサラリとした返答だったのだ。むしろ少し緊張しながら聞いた自分のほうがバカみたいだと思えるくらい。
「・・・なんで外部行くん? 氷帝やったら大学までエスカレーターで楽々やん。どっか行きたいとこでもあるんか?」
「いや、特にないんだけどね」
やはりサッパリとした答えに忍足は思わず眉を寄せる。少女は教室へと視線を戻して続けた。
「でも氷帝って無駄に授業料とか高いし。それにここと同じくらいの教育なら公立高校でも受けられそうだから。それなら何も氷帝にいる必要はないかなって思って」
「・・・必要はないて、自分結構ハッキリ言うなぁ」
「そうかな? でも本当のことだし」
不思議そうな顔をして、それでも言い募る少女に忍足はふと何かが琴線に触れるのを感じる。そして心の内で納得した。
、自分友達多いやろ?」
「え? うん、まぁ普通にいるよ」
「やっぱなぁ」
予想通りの答えに忍足は満足そうに頷いて。なるほど、と思う。少女は自分相手にも臆することなく話しているのだ。だから先ほど不満に思ったのだろう。いつものように女の子相手に振舞った自分に、何も反応を返してこなかったから。自分はを女の子として見たけれど、は自分を男として見ていなかったから。だからきっと拗ねたのだ。無意識のうちに口説こうとしていたのを、無意識のうちに交わされて。



忍足君という人はやはり女の子にモテるのだろうな、とは思った。先ほど自分に声をかけてきたときも、どこか緩やかな余裕が感じられた。スマートな振る舞いはこの年の女の子なら誰でも憧れるものだろう。さすがホスト部。友人の間で使われているテニス部の別称をもってして、は褒め称えた。こんな人がいるんじゃテニスコートの周りは囲まれても仕方がないのかもしれない。だけどやはり近づきたくはない、と思う。だってこんなに女慣れしている中学生に好き好んで慣らされて何が楽しい? ホスト部というのはやはり観賞用だ。はそう再認識した。
時は巡り、最後の一年が過ぎていく。今までと同じ幸せな一年になりそうだ、とは思った。





2003年5月7日