くるくると器用にりんごの皮を剥いていく。一度も途切れないそれを、アウルは感心しながら眺めていた。獲物がナイフなら自分もそれくらい出来るかもしれないが、包丁ではたぶん無理だ。台所なんか立ったことどころか殆ど見たこともない。だからといって、削り取ったりんごをナイフで刺して差し出してくることが間違っていることくらいは判るけれど。
「おら、食え」
「・・・・・・どーも」
無事な左手を伸ばして、りんごだけを摘み取って口に入れる。しゃりしゃりという瑞々しい食感が気持ちいい。
「じゃあ情報を整理しよう」
手元の紙に何かを書き付けていたらしいがペンを置く。彼女の口元へ差し出されたりんごは、ちゃんとフォークに刺さっていた。
「お名前はアウル・ニーダ君。16歳。地球連合第81独立機動軍、通称ファントムペインに所属。アビスのパイロットであり、エクステンデット」
「あれ? ブーステッドマンじゃないの?」
クロトが首を傾げる。
「あたしたちの頃とは呼び方が違うみたい。施されてる処置が違うから識別名称も違うのかもね。で、基本的に肉体改造はなし。少量の薬物投与と記憶操作を受けている。ここまではオッケー?」
オッケー、とクロトとシャニが指で丸を作る。二つ目のりんごを剥いているオルガも頷いた。話題となっている当のアウルは仏頂面で、彼らのやり取りを眺めている。
「問題は、薬を飲まないでいられる時間。ねぇ、おしおきとか受けたことある?」
「・・・・・・おしおき? 何それ」
「任務が達成できなくて薬もらえなかったりとか、めちゃくちゃ苦しいのに処置してもらえなかったりとか」
「ないよ、そんなの」
「・・・・・・ずいぶん待遇が違うじゃない」
ひくり、との頬が引きつったのは、おそらく怒りでだろう。けれど彼女はりんご一切れを食べている間にそれを治めて、代わりに薬の入ったビンをアウルの枕元に置いた。
「じゃあ、いつヤバくなるか判らないから、三時間ローテーションで見張りね」
「・・・・・・ねぇ」
ベッドの上から投げかけられた問いに、四人が振り向く。大人の女に、子供三人。一番最初、モニター越しに見たのと変わらない面子に、変なの、と思いながらアウルは聞いた。
「僕をどうするつもり?」
「・・・・・・それは君の怪我が治って、そのときに君がまだ生きていられたら話すよ」
何を言ってるんだか、とアウルは思った。彼はまだ自分のことをよく判っていなかった。





I wish... 【25】





作られた生を、どうすれば維持できますか。



最初の「それ」が来たのは、ローテーションを決めた日の夜だった。
月光のせいではなく顔色を失くし、小刻みに震え始めた身体。どこを見ているのか判らない目は瞳孔が開きかけ、半端に開いた唇からは苦痛の声が漏れ始める。ちょうどそのとき見張りをしていたシャニは、一つ舌打ちをしてからカプセルを取り出し、アウルの口へと放り込んだ。ペットボトルを逆さにし、それを口へと突っ込む。乱暴な方法にシーツに水が零れたが、そんなことは気にしない。咳き込んで、アウルはどうにか薬を飲み込んだ。その後もしばらくは痙攣していたけれど、それもまもなく治まる。
「・・・・・・どう、シャニ」
細く扉を開けて、クロトが現れた。小さな手にはマグカップを二つ持っている。
「とりあえず、治まったっぽい・・・・・・」
「γ-グリフェプタン用に作られた僕たちの薬がどこまで効くかだよね。こいつはあんまり薬使われてないから大丈夫だろってオルガは言ってたけど」
「・・・・・・死んだら寝覚め悪いし・・・?」
語尾を疑問符で飾りながら、シャニはマグカップを受け取った。湯気を立てている中身はミルクと砂糖がたっぷり入ってカフェオレ化しているコーヒー。クロトの趣味を反映しているそれに僅かに眉を顰めたけれど、とりあえず口をつける。
「・・・・・・あまい・・・」
「じゃあ飲まなくていいよーっだ」
「うざーい・・・・・・」
文句を言いつつも飲み続けるのは、物を粗末にしないためか、単に面倒くさいからか。
「そいつの症状も出始めたし、じゃあ明日には退院させなきゃね。どうせこの病院で治るようなものでもないし?」
「・・・・・・連れてくの?」
「少なくともはそのつもりっぽいよ。僕は別にどうでもいいけど」
じろじろと見下ろしていると、意識を飛ばしていたアウルがうっすらと目を開いた。額には濡れた前髪が張り付いている。汗にしては多い量に、シャニがきっと水でも零したんだろうとクロトは当たりをつけた。
「気分はー?」
「・・・・・・さいあく」
「生きてるだけで十分だろ」
アウルが不快気に顔を歪める。その仕草が面白くて、クロトは笑った。そのことに益々アウルは不機嫌になり、見下ろしてくる子供を睨み付ける。
「全然怖くないよ、バーッカ」
笑う子供が憎たらしくて仕方ない。身体が動く状態なら殴りつけてやるのに。
ベッドに座り、子供はとてもとても楽しそうにアウルを眺める。もう一人のエメラルドグリーンの髪をした子供の方も、椅子に座ったままじっとアウルを見ていた。
「おまえさー、変なこと考えない方がいいよ?」
僕、優しいから忠告してあげる。そう言って、子供はアウルを見下ろす。
「逃げ出すのは構わないけど、もしもに何かしようとしたら、そのときは容赦しないよ? それと僕たちのことを誰かに言うのもダメ。そんなことしたら・・・・・・判るよね?」
「ハッ! おまえらみたいなガキに何が出来るって―――・・・・・・」
ザンッという音が耳元で起こって、ふんわりと白いものがアウルの視界を散った。ゆるやかに舞うそれは、羽。宙を踊り、力を失くしてアウルの顔へと振ってくる。やはり視界の隅を、子供の小さな手が横切った。握られている銀色のナイフが鈍く光る。
「言ったよな? 忠告だって」
笑い声が頭に響き、横に動かした目はもう一人の子供を捉える。じっと見つめてくる瞳には何の色も感じられず、それがアウルに冷や汗を感じさせた。怪我の所為ではなく、身体が動かない。小さな身体がベッドから降り、そこでようやく唇が動かせた。
「・・・・・・おまえら・・・何者だよ・・・っ?」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
忘れてました、と言うように、子供はきょとんとした顔で振り向いた。
「僕はクロト・ブエル。こっちはシャニで、金髪のはオルガ。も含めて、みんな元連合のCPUだよ」
―――おまえと同じ、ね。



どうすればいいのですか。どうすればいいのですか。
望むことは何ですか。やりたいことはありますか。
それをしても、いいのですか。



「おはよー」
アウルが意識を取り戻して何日目になるのか、とりあえず片手では収まらなくなってきた。その間もアウルの怪我は順調に回復してきてはいるが、まだ全快には程遠い。それでも彼は退院させられ、今はディオキアの宿に移っていた。
「はい、朝ごはん。どうぞ召し上がれ」
ベッドの上に置かれた盆には、左手だけで摘めるようにサンドイッチや果物などが載せられている。アウルが礼も言わずに食べ始めると、は椅子を持ってきて彼の近くに座った。
「具合はどう? どこか痛いとこある?」
返事がないのは食事中だからか、それとも無視されているからか。まず間違いなく後者だろうと判断し、は心中で溜息を吐き出す。これが戦時中の「イっちゃっている」自分だったならば、きっと目の前の少年を殴り飛ばしていただろう。大人になったなぁ、と少し間違った感想を抱きつつ、黙々と朝食を平らげる様子を眺める。
16歳だというアウル。跳ねている髪のせいか、どこか幼さの残る彼は雰囲気がかつてのクロトによく似ていた。
16歳のクロト。戦場に立つ一年前。同じラボで、一緒に訓練を受けていた。一緒に薬で苦しんでもいた。
懐かしさが甦ってくる。あのときのまま成長していたら、彼は今どんな19歳になっていたのだろう。背は伸びても中身は変わらないかもしれない。そう考えると楽しくて、少しくすぐったかった。
「・・・・・・何笑ってんだよ」
いつの間に食べ終わったのか、不機嫌そうにアウルが睨んでくる。はごめんごめんと謝りながら、薬と水の入ったグラスを差し出した。
「はい、今日の分」
「・・・・・・・・・」
顔を顰めたまま、それでもアウルは大人しく薬を飲む。ここ数日で彼も理解していた。自分が如何に「CPUだったか」を。自分のものだと思っていたこの身体は、薬を飲まなくては苦痛に苛まれるほど侵されていた。自分のものだと思っていた記憶も、第三者のために作り直されていた。自分というものはどこにあったのか。それすら判らなくなってきている。母さんという支えを失って、尚更。
「・・・・・・ねぇ」
「んー?」
顔を見ずに問いかければ、雰囲気を汲んだのか彼女もこちらを見てこない。手元で小さな本をめくりながら、片手間といった感じで答えてくる。それが、アウルにホッとさせた。
「あんた、連合のパイロットだったんだって?」
「うん、まぁそうだね。パイロットっていうか、生体CPUだったんだけど。誰から聞いたの?」
「オレンジ」
「クロトかぁ。そういえばヤキ入れられたんだって?」
「・・・・・・ヤキ?」
「ヤキでしょ? でもきっとクロトが入れなかったらシャニが入れてたよ。良かったね、クロトで」
シャニというのは、あのエメラルドグリーンの子供だろう。何で「クロトで良かった」なのだろうか。それはつまり「シャニじゃなくて良かったね」という意味なのだろうか。薄暗い中に浮かんでいたのを思い出す。じっと見られていたとき、確かに身体が動かなかった。
「・・・・・・あいつも?」
「うん。あたしのこと、聞いてるでしょ? 前の大戦で使われたモビルスーツ、ルインのパイロット。シャニはフォビドゥンで、クロトはレイダー、オルガはカラミティのパイロットだよ。ちなみに彼らが子供になってるのは、治療の関係でね」
「あんたは子供になんないの?」
「それだけの余裕が身体にないから」
ぱらり、と本のめくれる音がした。何でもないことのように、まるで子供に聞かせる寝話のように、は語る。
「あたしたちは君たちと違って薬による強化だった。小さい頃から薬を打たれ続けて、肉体は手術で改造されて、それで作成されたCPUなの。だからその分身体はボロボロだし、バランスも崩れやすい」
「・・・・・・」
「シャニたちはリカバーしたから大丈夫だと思うけど、あたしはね、うん、まだちょっとヤバイんだ」
「・・・・・・死ぬの?」
「いつかね」
誤魔化されたのは判ったけれど、アウルはそれ以上聞かなかった。本を膝の上におろし、がこちらを向く。さっきは見られないことに安堵したのに、今はやっとこっちを向いた、と何故か思った。伸びてきた手が頭に載り、髪を撫でる。温かくて優しい手。
「CPUだった頃のあたしたちは、定期的にγ-グリフェプタンっていう薬を飲まなくちゃいけなくて、それが切れるとものすごい禁断症状に陥ったの。もう息も出来ないし、動けもしない。ただ痛くて辛くて本気で死にたいと思うくらい苦しくて、その状態でしばらく放置された後にやっと薬がもらえた。任務が果たせなければ、苦しむ時間が長くなる。そういう『おしおき』を受けて、戦ってたの」
柔らかく肩を叩いた手に従って、アウルはベッドに横になる。ふんわりとかけてくれた毛布が暖かい。見上げる顔は、綺麗だと思う。
「薬を飲まなきゃ生きていけない。薬を貰うには戦うしかない。そうしないと生きていけない。そういう中に、あたしたちはずっといた。選択肢なんて一つもなかった。自殺したのに無理やり助けられたことなんて一度や二度じゃないよ」
「・・・・・・だから脱走した?」
「連合にいたんじゃ選べることなんて一つもなかったから」
寝転んでもなお頭を撫でていてくれた手に、指を伸ばす。触れた甲はやっぱり温かくて優しい。全然似ていないのにどうしてだろう、とアウルは思う。どうしてこんなにも、この人は。
「たまたま知り合った人が手配してくれて、あたしたちの身体を治してくれた。そうしたらもうね、いてもたってもいられなかった」
笑顔が、眩しい。
「今までやりたかったことが溢れてきて、やりたくなかったことが辞められて、すごく自由を感じたの。戦いたくない。四人で、ずっと一緒にいたい。人なんか殺さない、平凡で普通な日常。突き詰めたらそれが欲しかったんだよね」
の手が、アウルの手を優しく握る。伝わって混ざり合う体温が、何だかとても気持ちが良い。
「だから今、あたしたちはすごく幸せ。戦争が起こってるのにとんでもないって言われるかもしれないけど、四人で一緒にいられて、それが戦場じゃない場所で、選ぶ道があることが幸せなの」
判る? と聞かれて、アウルはおぼろげに頷いた。つまり彼女は解放されたのだ。自分を縛り付けていたものすべてから。その気持ちはアウルにも何となく判った。今だからこそ、判る。自分もCPUだった。母さんのためと思って戦っていたけど、それはすべてまやかしだった。作られた自分だったのだ。すべては連合によって、連合のいい様に。
「あたしは、君にもそんな風に生きて欲しい」
向けられた笑顔に泣きたくなった。あぁ、やはりこの人は母さんと似ている。一緒にいたいと、思ってしまう。
「・・・・・・僕は・・・」
「結論はいいよ。ゆっくり考えて。ただ先に言っておくけど、身体のことならさほど問題はないと思う。発作を起こす間隔も少しずつだけど開いてきたし、薬物投与が少なかった分、治りは早いと思うよ」
「・・・・・・それ、ホント?」
「生憎こういう嘘はつきません。それと・・・・・・連合でのCPUの末路、知ってるよね?」
初めて聞く内容に、アウルがきょとんと目を瞬く。それだけで彼が知らないことを察したのか、は僅かに逡巡し、小さな声で告げた。
「・・・・・・・・・うそ」
「本当だよ」
呆然としたアウルに、は目を伏せてもう一度繰り返す。戦争が終わった後、生体CPUは破棄される―――と。





2010年1月16日