シートに背を預けながら、ネオは目の前で稼動しているゆりかごを眺めていた。
三つあるうちの一つは、もう必要なくなっていた。二つ目も必要なくなった。けれど再び必要になった。最初に破棄していた分が。
手足を丸め、少女が小さくなってその中で寝ている。何かから身を守るように、自分を必死に守るように。
「不幸中の幸いですね。アウル・ニーダは損失しましたが、まさかステラ・ルーシェが戻ってくるとは」
研究員の言葉に、ネオも苦笑しながら肩を竦める。
「まったくだ。その点ではあのインパルスの坊主に感謝しなくちゃいけないな」
「処理の方もまもなく終了します。薬の投与も完了しましたので、すぐに次の工程へ移れるかと」
「そりゃ良かった」
のんびりと、けれどその声音とは裏腹の内容を、ネオは告げる。
「ステラにはアレに乗ってもらわなきゃならないからな。よし、ステラが目覚め次第ユーラシアへ向かうぞ」
新たなステージが幕を開けようとしている。
同じ頃、スティングはルームメイトのいなくなった部屋で、一人ベッドに横になっていた。
眠るように目を閉じ、自らの記憶に触れる。
「・・・・・・アウル」
消されたはずの、名を呼びながら。



罪は何だか知っていますか。
何が罪だか知っていますか。
それを犯したらもうダメですか。
生きていってはいけませんか。

命にやり直しが利かないのなら、せめて生をやり直してもいいですか?





I wish... 【24】





白いラボに初めて入ったのは、母さんに手を引かれてだった。
高い天井、たくさんの機械。白衣を着た大人たち、僕と同じくらいの子供たち。
そこに連れて行って、母さんは言った。温かい手で僕の手を握り締めながら。
『アウル。あなたは今日からここで暮らすの』
母さんは、と聞き返したら、優しく笑って。
『お母さんもここで暮らすわ。だけどお仕事が忙しいから、アウルとはあまり会えなくなってしまうの』
いやだ、と駄々をこねても、優しく笑って。
『だけどアウルが先生の言うことをよく聞いて良い子にしてたら、きっと会えるわ』
じゃあいいこにしてる、と拗ねても、優しく笑って。
『じゃあね、アウル』
髪を撫でて立ち上がり、母さんは出て行った。
それからどんなに時が経っても、どんなに良い子にしてても。
母さんと会えることは、なかった。

今なら判る。売られたのだ、僕は。

それからのことはあまり覚えていない。「ゆりかご」の所為だと、今なら判る。
都合よく消され書き加えられた記憶は、どこまでが本物なのだろう。
だけど覚えてる。ラボで初めて会った日。どんくさい奴だと思った。ステラ。
だけど覚えてる。ラボで初めて会った日。小うるさい奴だと思った。スティング。
ステラ。ガイア。どうして忘れていたんだろう。ずっと一緒だったのに。
スティング。カオス。今はどうしているんだろう。ずっと一緒だったのに。
ネオ。ネオ。僕は負けちゃったよ。あの合体野郎にやられた。負けたんだ。
だからもう、きっといらない。捨てられるんだ。母さんが僕を捨てたように。
騙されていたし、偽られていたけれど、それでも支えだったよ。
あなたがいたから生きてこれたよ。
あなたはまだ生きているの?
ねぇ、母さん。



ぼんやりと、瞼を開く。開くことが出来る。
途端に広がったのはラボの白い天井でも、ガーティ・ルーの低い天井でもない。ましてや天国でも地獄でもない。
どこだか判らない。だけど人の気配がする。温かな、感じたことのない人の気配が。
どこだろうと動かない頭で考えていると、にゅっと視界に何かが入ってきた。
エメラルド色の物体。
「・・・・・・起きた・・・」
ぎょっとして目を見開けば、それは子供だった。アウルよりも10歳近く年下だろう、片目を前髪で隠している子供。
その声に反応したのか、バタバタと複数の足音がして、今度現れた顔はアウルより二・三年上の女性だった。
整った顔が心配そうに曇っている。手を握られた。温かい、優しい手。
「大丈夫? 痛いとこない? 頭しっかりしてる? 喋れる?」
どこかで見たことがある。だけど、こんな温かい手を、自分は一人しか知らない。
アウルは思わず泣きそうになった。あぁ、生きていてくれた。迎えに来てくれたんだ。
「・・・・・・かあ、さん・・・・・・」
抱きつきたかった。昔のように、その手で頭を撫でて欲しかった。
だけど次の瞬間に聞こえたのは、三つの爆笑する声だった。
「あはははははははっ! 母さんって、母さんって・・・・・・!」
「くっ・・・・・・くくく・・・、おまえいつの間にそんなでかい子供産んだんだよ?」
「もちろん俺の子だよね・・・・・・? 髪の色、違うけど・・・」
「・・・っ・・・病人の枕元で騒がない!」
怒りというよりは悔しそうな顔をして、は空いている方の手で笑い転げる三人を叩いた。
そして自分を向く彼女が、何だかとても複雑そうな顔をしていることにアウルは気づく。
そういえば、よく見てみれば、母さんではない。母さんの髪はこんなに短くなかったし、それにもっと儚そうな雰囲気を持った人だった。
だけど、握る手はとても温かい。
「・・・・・・誰?」
「覚えてないかなぁ。何回か会ってるんだけど」
あ、でも髪切っちゃったから判んないかな? そう続けられ、アウルは目を細めた。その際に切り傷でもあるのか、こめかみの引きつる感覚がする。
じっと目の前の相手を見つめ、乱雑になっている記憶を探る。
思い当たった結果に、まさか、と思わずにはいられなかった。
「ガズウートの・・・・・・っ!」
「はーい、怪我人は暴れなーい」
跳ね起きたアウルの額を指で突いて、再びベッドへ沈ませる。
弾かれた額はそうでもなかったが、動かした全身の節々が悲鳴を上げて、アウルは大人しく従わざるを得なかった。
意識してみれば、右腕と左足が動かないことが分かる。感覚はあるから壊死してはいないのだろうけれど。
「な、んで・・・・・・」
アウルは信じられなかった。
「何で僕、生きてんだよ。あの野郎にやられたのに。何で」
「漂流していたのをあたしたちが見つけたの。本当に運がいいよ。大きな傷は右腕骨折と右肩脱臼、左足の裂傷くらい。大分水を飲んでたみたいだから脳とかヤバイかと思ってたんだけど・・・・・・平気?」
「・・・・・・たぶん」
たぶんどころか、整理されていたはずの記憶までもが戻っている。それらはきっと良い思い出ではないのだろうけれど、アウルは今は考えないことにした。
それよりも判らないことが多すぎて。
「あんた・・・・・・」
「んー?」
「何で僕を助けたの?」
問いかけに、微妙な間が空いた。
笑った顔が、何故か今にも泣きそうに見えた。
握られている手に力がこもって、温かな熱がもっと広がる。
「・・・・・・死なせたくなかったから」
何でそんな泣きそうな顔で笑うんだろう。そんな顔をさせたいわけではないのに。
握られている手を握り返したくて、けれどうまく動かない身体にアウルは苛立ちを感じた。
あのとき、別れ際の母さんはどんな顔をしていたのだろうと、関係ないことを思った。





2007年6月27日