謁見の間を抜け、グリムジョーは乱暴に回廊を歩む。
彼が一歩踏み出す度に、血がその後を印す。ぼたぼたという水音と鉄臭い匂いが静かな回廊に広がった。
痛みよりも不愉快さを訴える肩に、グリムジョーは舌打ちする。
浮き出る汗を残っている右腕で拭い、階段を駆け上がる。建物の最上階、何もない世界を見回せる場所を目指して。
差し迫った足音に、唯一つあった影が振り向く。

月に手が届きそうなそこに、小柄な少女が立っていた。





勝手にWJ(BLEACH213話)





白い羽織。腰より少し高い位置に大きなリボンがある。ゆったりとした袖のあるそれは、グリムジョーと同じ色。
けれど少女は、その下に黒い着物を纏っていた。藍染と、東仙と、市丸と同じ。元は死神であったという証。
まっすぐな黒髪がさらりと揺れる。大股に近づき、グリムジョーはその細い腕を掴んだ。
「―――治せ」
その言葉に、少女は視線を上げる。
人形のように表情のない顔を見下ろし、グリムジョーは怒鳴った。
「治せって言ってんだよ! さっさとやらねぇと殺すぞ!」
腕を掴む力を強めると、身体が振動し血が吹き出た。
雫が少女に飛び、白い頬を小さく彩る。羽織とリボンに、鮮やかな紅がいくつも咲いた。
けれどそれにすら感情を表さず、少女は静かに唇を開く。
「あなたは藍染様の命令を無視し、勝手に現世に下りたと聞きました。それ故にその傷を負ったのならば、私が治すことは許されません」
「んなのどうだっていいだろうがっ! 死にてぇのか、てめぇ!」
右腕が少女の胸倉を掴み上げる。小さな身体は手負いのグリムジョーでも、容易に宙に浮かせられた。
髪がばらばらと散って艶を放つ。静かなままの少女に、ただ苛立ちだけが募り続ける。
このまま首を絞めてやろうか。そう思い、グリムジョーは胸倉を掴んでいた手を首に回した。
それでも少女の表情は変わらない。月が無力に影を作る。

「―――その方から手を離せ、グリムジョー」

第三者の声が割り込み、その場に影が一つ増えた。
振り返らずともそれが誰だか判ったのか、グリムジョーの顔が殊更に歪む。
現れた男は少女と同じ黒髪をし、けれど存在は死神ではなく、グリムジョーと同じ破面。
その能面のような顔がグリムジョーは嫌いだった。好悪の問題ではない。生理的な拒絶にも近い。
「ウルキオラ・・・・・・!」
「手を離せ。姫が貴様の血で汚れる」
「ちっ!」
臆したわけではないが、分の悪さを感じて腕を払う。
少女の小さな身体は宙を舞い、ウルキオラがそれを抱きとめた。
細い肩を両手で支え、案じるように問いかける。
「大丈夫ですか、市丸の姫」
「はい」
頷く少女の頬についた血を、そっと拭う。乾き始めてしまったそれは完全に消し去ることが出来ず、ウルキオラは僅かに眉を顰めた。
そのままの顔で、グリムジョーへと向き直る。
「・・・・・・現世にいる死神の件は、私に一任されていたはずだが」
「はっ! てめぇがチンタラやってるから俺が出て行ってやったんだよ」
「それでその様か。口ほどにもない」
「何だと・・・・・・っ!」
反論しようとするが、グリムジョーはそれだけの材料を持たなかった。
確かに部下を引き連れて現世に行ったが、結局は死神を倒せなかった。東仙に邪魔されたと言えばいいが、部下を失ったのも事実。
その結果が今の自分だ。まだ血を吐き出し続ける左肩は、もう感覚もない。
「・・・・・・とにかく、その女を寄越せ」
「断る。姫は無様な貴様に手を貸すべき存在ではない」
「てめぇじゃ話にならねぇ。女、さっさと来やがれ!」
「グリムジョー」
苛立ちと侮蔑、互いの怒りがぶつかり合おうとしたとき。
月が、雲に隠れた。



「もてもてやなぁ、ボクのお姫さんは」



気配は欠片もなかった。察知出来なかったのは同胞でない所為か、それとも市丸ギンという男本来の性質か。
ウルキオラに肩を抱かれていた少女が、するりとその手から抜け出す。走り寄る際に大きなリボンがふんわりと揺れた。
ギンの指が少女の頬を撫でる。こぼれた笑みは、まるで蕾が大輪の花を咲かせたかのように鮮やかだった。
「ギン」
名を呼ぶ声すら華やかで、甘い。
少女をその腕に収め、ギンは応えるように優しい笑みを浮かべる。
、グリムジョーの腕を治してあげてや。藍染様からのお許しも出たさかい」
「うん」
「その後は一緒にお茶しよ。要も呼んでみんなでな」
「うん」
頬に口付けを送る様は、恋人同士というには朗らかで、兄妹というには甘やかだった。
けれど振り向いた少女の顔に、一瞬前までの愛らしさはない。人形のような顔は美しいけれど、先ほどの笑顔を見てしまった後では物足りなさだけが募る。
「では、こちらへ」
「・・・・・・おう」
何故か胸が苛立つのを感じながら、グリムジョーは少女の後に続く。
小さな後ろ姿と片腕を失った男が去っていくのを、ウルキオラはただ黙って見送った。
二人の気配が完全に消え去った頃、ギンは着物と羽織の袖を遊ばせてまるで独り言のように呟く。
「そういや要が言うてたなぁ。現世に来とる死神の一人に、何や子供みたいな子がおるって」
怪訝そうな顔で振り向くウルキオラに背を向け、声だけはとても楽しそうに。
「日番谷君っちゅうて護廷十三隊の十番隊長さんなんやけど」
くるりと、羽織の裾が舞う。

「彼は確か、のことが大好きやったっけなぁ」

それだけ言って、ギンも軽い足取りで去っていく。
細長い影を見送りながら、ウルキオラは一人その名を噛み締めた。
「・・・・・・日番谷」
見下ろす手に、先ほどの温かさはない。
小さな身体。真っ白な肌。黒く艶やかな髪。
思い出せる感覚を逃さぬよう拳を握り、ウルキオラも歩き出す。



禍々しく欠けた月だけが、誰もいなくなった場を照らし続けた。





2006年2月10日