「日番谷隊長!」
後ろからかけられた声に日番谷君は振り返りました。
声だけでそれが誰か判ったので、本当は振り向きたくなんてなかったのですけれど。
とりあえず、不機嫌を隠さずに足を止めて。
だけどそんな彼の行動は、人生における最大級の僥倖だったのです。
「これ、どうぞお召し上がり下さい!」
何やら紺色の風呂敷で包まれたものを押し付けられて。
「あぁ・・・?」
日番谷君が問い返すよりも早く。
「君の作ったものです! どうかお納め下さい!」
それだけ言い捨てて、吉良君は走り去っていってしまいました。
残された日番谷君は突然の事態に呆然とするのみ。
彼の手の中には、お弁当箱が一つ収められていたのです。
日番谷君の弁当事情
ゴーンゴーン
遠くで正午を告げる鐘の音が鳴り響いています。
この鐘が鳴ったらお昼の合図。多忙な死神さんたちもそれぞれ笑顔になって席を立ちます。
そしてそれはこの十番隊でも同じです。
書類を適当にまとめて、みんな笑いながら食堂に向かいだします。
だけどそんな中、日番谷君だけは隊長席に座ったままでした。
乱菊さんは自らの仕事を終えて、家から持ってきたお弁当を取り出して。
それでもすぐに開こうとはせず、立ち上がって緑茶を入れます。
乱菊さんの分と、日番谷君の分と、そしてもう一つ。
「こんにちは、お邪魔します」
現れた雛森さんの分。
彼女の手にはどうやらお店で買ったらしいお弁当がありました。
さぁ、これからお昼の時間です。
日番谷君は、机の中央にある紺色の風呂敷を睨みました。
睨んで睨んで、ひょっとしたら中のものが透視できるのではないかというくらいの鋭さで睨みました。
だけどそんなことが出来るはずもなく、風呂敷の中身は分かりません。
大嫌いな三番隊からもらったものなど、日番谷君の中ではゴミ箱行きが当たり前。
けれど今の彼がそう出来ないのは、この包みを寄越した吉良君の言葉が原因でした。
『君の作ったものです!』
大好きな少女の名前が出てきただけで、この風呂敷は重大な意味を持ってしまったのです。
「あのね、吉良君が言うには、その風呂敷の中身はお弁当なんだって」
午前中に聞いてきたらしい雛森さんが、日番谷君と同じように風呂敷を見つめながら説明します。
「いろんな事情が重なって、さんが吉良君にお弁当を作ってくれたんだって。あ、でももちろん自分の分のついでらしいよ? だけど自分がそれを食べるなんて勿体無いからって、日番谷君にくれたみたい」
だからどうか抜刀はお許し下さい。
吉良君はそう言って顔色を青褪めさせていたのだけれど、雛森さんはそれは伝えませんでした。
たぶん日番谷君はそれどころの状況じゃないと思ったのです。
だって彼は今も紺色の風呂敷と睨めっこしたまま。
そのせいで午前中にこなせなかった書類は、机の横で雪崩を起こしかけていて。
だから大丈夫だよ、吉良君。
雛森さんは心の中で同期の彼に呟きました。
「へぇ、の手料理? よかったですね、隊長」
乱菊さんもそう言って、ものめずらしそうに風呂敷を眺めます。
「日番谷君、早く開けてみて」
「そうですよ、隊長。もったいぶらないでどうぞ」
二人にそう勧められ、日番谷君は気乗りしない様子で風呂敷の結び目に指をかけます。
その動作の一つ一つは、いつもの彼からは想像できないほどゆっくりです。
だけどそれは、ちゃんのお弁当を食べたくないからではありません。
むしろその逆。
開けたら食べなくてはいけない。そんなの勿体無さ過ぎて、日番谷君は開けたくなかったのです。
紺色の風呂敷を開くと、鳶色のお弁当箱が出てきました。
蓋に描いてあるのはデフォルメされた狐さん。
可愛いな、と日番谷君が思うよりも先に、雛森さんと乱菊さんがその蓋をも開けるように促します。
不貞腐れながら日番谷君は手をかけました。
何だかんだ言いながら彼も、胸をドキドキと高鳴らせて。
さぁ、ご開帳。
「――――――っ」
「・・・うわぁ・・・・・・!」
「・・・やだ、すごく美味しそうじゃない・・・」
日番谷君、雛森さん、乱菊さん。
三者三様の感想で、だけど言っていることは同じでした。
平たいお弁当箱の三割を占めるのは、胡麻を散らされた胚芽米ごはん。
串つきのつくねは、きっと鶏肉とごぼう。つやつやとタレが光っています。
茹でられたブロッコリーは、オリーブオイルで美味しさプラス。
箸休めの和え物は、白菜と赤唐辛子。
スライスされた金柑がお弁当箱に彩を添えていて。
それらと別に包まれているのは、どうやら現世のお菓子を真似て作ったもののよう。
パウンドケーキなんて名前は知らなくても、甘い香りが笑顔を誘います。
美味そうだ、と日番谷君が眉間の皺を解いたとき。
ガッ
伸びてきた二本の箸をお弁当箱の蓋でブロックしつつ、日番谷君は虚を睨むときと同じように眼光を鋭くしました。
「・・・・・・・・・何のつもりだ」
ギギギギギ、と気を抜けば押されてしまう蓋を懸命に押さえて。
雛森さんと乱菊さんは箸で攻撃しながら、企んでいるように、けれど爽やかに微笑みます。
「さんの手料理、一口欲しいなぁって思って」
「これだけ美味しそうな料理を目の前にして、黙っていられるわけないじゃない?」
二対一。だけど女対男。それなのに押し切られてしまいそうな力の強さに、日番谷君は内心でダラダラと汗を流しました。
だけどこのお弁当だけは譲ることは出来ません。
だって、ちゃんが。
愛しの愛しのちゃんが、作ってくれたお弁当なのだから。
しかし女性陣の迫力に圧され、やばいやばい、と焦ってきた日番谷君は結局。
「―――あっ!」
「逃げた!」
「日番谷君ずっるーい!」
「これだから男ってのは・・・!」
さんざん言われているのを背中で聞きながら。
お弁当箱を風呂敷ごと腕に抱き、日番谷君は窓から逃亡したのでした。
瀞霊廷の中、植林された静かな森の中まで来て、日番谷君は周囲を見回しました。
誰の気配もないことを隊長格の実力でもって確認し、木の根元に腰を下ろします。
ずいぶんなスピードで走ってしまったから崩れてないかと心配したのですけれども、お弁当は無事でした。
割り箸をパキッと割って、両手をパンッと合わせて。
「・・・・・・いただきます」
ものすごく真剣な表情でそう言ってから、日番谷君は食べ始めました。
最初に胚芽米ごはんを一口。
「・・・・・・・・・」
この幸せを忘れないように噛み締めるだけで、後はもう精一杯。
もしもこの場を誰かが目撃していたら、きっとその人は目を疑ったことでしょう。
だって生意気と評判の十番隊長さんが、満面の笑顔でお弁当を食べていたのですから。
お米一粒、胡麻一粒、ケーキの欠片さえ残さずに、日番谷君は綺麗にお弁当を食べ終えました。
幸せが終わってしまったのは悲しいけれど、それを上回る喜びで今の彼は満腹です。
だけどこの手の中に残ったお弁当箱をどうすればいいのだろう、と気がついて、日番谷君は頭を捻りました。
「吉良の奴は、には黙って俺に渡したみてぇだしな・・・・・・」
だったらやっぱり吉良に返して、礼の一言でも言っておこう。
三番隊大嫌いな日番谷君がそんな珍しすぎることを考えて立ち上がろうとしたとき。
「ええよ、ボクがに返したるさかい」
振ってきた声は、日番谷君の一番嫌いな人物のもの。
そして目の前に現れた存在もまた、一番嫌いな人のもので。
日番谷君は消えていた眉間の皺を取り戻し、目の前のギンさんをきつく睨みました。
「どーやった? のお弁当、めっちゃ美味しかったやろ?」
「・・・・・・何でてめぇがここにいる」
「部下の行動は上司の責任やし? 感想でももろておかないと、が可哀想やしな」
言外に『イヅルがお弁当を横流しするのなんてお見通しや』とギンさんは語ります。
それをちゃんと受け止めた日番谷君は、悔しさを噛み殺して、けれど空になったお弁当箱を突き出しました。
「・・・・・・に美味かったって言っとけ」
「ん、ええよ」
紺色の風呂敷が軽くなっているのに、ギンさんは笑みを深くします。
もしもこれで残してたりなんかしたら、抜刀して懲らしめてあげるところだったのですけれども。
どうやらその心配は無用だったご様子。
用は済んだ、という感じで、けれどギンさんはニコニコと笑って言いました。
「あーボクって幸せ者やなぁ」
「・・・・・・?」
訝しい表情を浮かべる日番谷君に向かって、それはもうサラリと。
「だってこないに美味しいの手料理を、毎日食べとるんやから」
ほなバイバーイ。
腐っても隊長格らしく一瞬で消えてしまったギンさんに、けれど日番谷君は固まったまま動けませんでした。
頭の中で言われたばかりの台詞がぐるぐると渦を巻いています。
一文字一文字ゆっくりと消化していって、そして。
「・・・・・・・・・いい度胸じゃねぇか・・・」
握り締めた拳が、悔しさのせいかふるふると揺れていました。
美味しかったお弁当の味と、そのもたらしてくれた幸せを、日番谷君は胸に刻み込んで。
そしてその勢いのまま立ち上がります。
小さな身体にも関わらずに大股で歩き出す様は、さすが護廷十三隊の隊長さん。
「次は絶対に自力で、の弁当をもらってみせる・・・・・・!」
・・・・・・・・・隊長さんなのに何だか情けないことを言いつつも。
決意新たに日番谷君は自らの隊舎へと帰っていくのでした。
とりあえず今日は一勝一敗?
日番谷君の幸せへの道は、まだまだ遠そうなのでした。
2004年7月1日