一日のお仕事も終えて帰ろうかというところ。
三番隊副隊長の吉良イヅル君は、明日の朝までに処理しなくちゃいけない書類を見つけてしまいました。
あとは隊長である市丸ギンさんの判子さえあればいいのですけれど、はてさてあのギンさんが明日もちゃんと始業時刻に来てくれるでしょうか。
「・・・・・・・・・念には念を入れておいた方がいいな」
そう考えてしまう吉良君は、護廷十三隊の副隊長さんの中で一番の苦労者だと有名です。
とりあえず吉良君はその書類を鞄に納めて、夜勤の隊員さんたちに挨拶をしてから詰所を後にしました。
さぁ、今日も終業時刻と共に帰ってしまった隊長さん宅に突撃です。
吉良君の三番隊事情
コンコン、と扉をノックすると中から「はーい」という明るい声が返って来ました。
次いで「どーなーたー?」という音符をつけたかのような声が、足音はないのに近づいてきます。
鍵を外す音がして、ガラリと扉が開かれました。
現れたのは案の定、漆黒の死覇装ではなく、淡い草色の着流しを身に纏った家主さん。
「あれ、イヅルやないの」
ギンさんの目は元々細いので分かり辛いのですけれど、きっとパチパチと瞬きでもしたのでしょう。
吉良君は私服の上司に一礼しました。
「夜分遅くに申し訳ありません」
今は現世で言う午後七時です。テレビではゴールデンタイムに突入のお時間。
「ええよ。それよりどないしたん? 死覇装っちゅうことはまだ家に帰ってないんやろ?」
「はい。明日の朝までに隊長に裁可して頂かないといけない書類を見つけてしまいまして。お手数ですがお願いします」
「ふーん。イヅル、もう夕飯食べたん?」
「え? いえ、まだですけれど・・・・・・」
というか仕事に追われていたので食べている暇なんてありません。
吉良君は内心でそんなことを思いましたが、決してそれを口にしたりしませんでした。
言ったところでギンさんには通じません。それをちゃんと理解している点で、吉良君はとても優秀な副隊長さんでした。
誰にって、もちろんギンさんにとってです。
吉良君の複雑な胸のうちなど露知らず―――いえ、きっと知っているのでしょうけれど―――ギンさんは笑顔で言いました。
「ほな丁度ええわ。夕飯食べてき」
「・・・・・・・・・え?」
「イヅル、確か一人暮らしやろ? たまには誰かの作った料理も食べたくならへん?」
「あ、はい」
「ほな決定。さぁさ、上がって」
グイッと腕を取って引き寄せられ、そのまま草履を脱いで玄関を上がれば。
「おいでませ、市丸屋敷や」
どんどんと流されていく吉良君を他所に、流しているギンさんは至極楽しそうに笑うのです。
吉良君が初めて上がる上司のお家は、やはり隊長格だけあって広いお家でした。
生粋の貴族である朽木家と比べれば当然小さいですけれど、それでも平隊員よりは全然広くて。
一階建ての平屋のお家。現世で言うなら、きっと5LDKくらいでしょうか。
案内されている間に、廊下の窓からお庭が見えました。緑の木々と、石庭と。
こぢんまりとしていながらも、やっぱりちゃんとしたお屋敷です。
すごいなぁ、などと吉良君が感心していると、どこからか良い匂いが漂ってきました。
お醤油とお酒、鼻をくすぐるその香りは、まさに和食の基本お袋の味。
早くに両親を失くした吉良君は、その料理の気配に思わず涙ぐみそうになってしまって。
そんな彼の前を行くギンさんは、一つの部屋の前で襖を音もなく引きました。
青い畳のさらに向こう、奥の部屋に誰かが立っている後ろ姿が見えて。
ギンさんは弾んだ声音で呼びかけます。
「、夕飯はイヅルの分も追加したってやー」
振り向く際にまっすぐな黒髪が揺れて、そこでようやく吉良君は、その子が知っている子だということに気がつきました。
あぁ、エプロンも似合うんだなぁ、と思ってしまったのは現実逃避なのかもしれません。
居間は二十畳ほどありそうな和室で、畳の上には大きな平机とふわふわの座布団。
壁際に何故か現世にしかないはずのテレビ(超薄型壁掛けタイプ)を見つけて、けれど吉良君は見なかったことにしました。
つっこんじゃいけません。そうしたら苦労をするのは自分なのだと吉良君は分かっているのです。
「ほな、いただきます」
「「いただきます」」
大黒柱さんの挨拶で、三人は手を合わせてから食べ始めました。
本日のお夕食は鯖と大根の味噌だれかけ・切干大根・春菊の和え物・お豆腐のお味噌汁、そしてあつあつの白いご飯。
絵に描いたようなおばんざいに、吉良君は本気で泣きかけました。
感動しながら箸をつけてみたら、これがまた美味しくて!
「君は良いお嫁さんになれるね・・・・・・」
美味しい美味しいとベタ褒めした後でしみじみとそう言えば、ギンさんは自家製の漬物を摘みながら笑いました。
「は料理だけやなくて家事も全部出来るしなぁ。羨ましいやろ、イヅル」
「はい。本当にそう思います」
にこやかに同意しながらも吉良君は冷や汗を一筋流しました。
目の前で手酌をしているギンさんと、黙々とお味噌汁をすすっているちゃんを眺めて。
何だか地雷原にいる気がする、と思うのです。
初めて訪れた上司宅で、吉良君は初めてギンさんとちゃんが同居していることを知りました。
いえいえ、同棲? いや、やっぱり同居? それとも現世で行われているルームシェア?
吉良君の頭の中をいくつもの単語が飛び交います。
でも、いくら考えてみてもギンさんとちゃんが一緒に暮らしているのは事実なのです。
確かにギンさんとちゃんは仲良しです。それは二人と同じ三番隊に所属している吉良君もよく知っています。
配属に謂れがあったからかもしれませんが、ギンさんはちゃんのことをとても気にかけて構っていて。
ちゃんもギンさんの言うことに素直に従って、とてもよい部下ぶりです。
・・・・・・・・・だからこそ。
この二人は恋人同士なんだろうか・・・・・・?
吉良君は本気で悩んで、心の中で頭を抱えました。
あぁ、と地中にさえ沈んでしまいそうな溜息を吐いて。
日番谷隊長もお気の毒に・・・・・・・・・。
キンピラを食べながら、そんなことも考えてしまう吉良君は、やっぱりいい人なのでした。
そして何だかんだと引き止められ、吉良君は市丸宅にお泊り決定。
だって檜作りのお風呂に温かい朝ご飯、それに明日のお弁当までついてくると言われたら、断れる一人暮らしの独身男性はいないでしょう。
なので吉良君も例に漏れずご好意に甘えることにしたのです
「これがバレたら、やっぱり日番谷隊長に抜刀されるだろうなぁ・・・・・・」
吉良君の独り言が、これまた広いお風呂へと響きます。
お湯は熱く保温が保たれていて、これもやっぱり現世の給湯器が使われているらしく、けれど吉良君はすべてから目を背けます。
「日番谷隊長が君のことを好きなのはバレバレだけれど、君は市丸隊長とどういう関係なんだ・・・?」
呟く吉良君も、ちゃんとギンさんが只ならぬ関係であることは知っています。
けれど二人がちゃんとした恋人関係かと聞かれたら、首を捻らずにはいられないのです。
吉良君から見た二人は、恋人というよりも親子のような、兄妹のような、そんな絆を感じさせる関係で。
肉体関係ではないと思うのだけど、と少し下世話なことを考えて吉良君は慌てて首を振りました。
「何を考えてるんだ、僕は」
ぶくぶくとお湯に沈んでいくと、全身が熱くなるのを感じて吉良君は立ち上がりました。
「・・・・・・上がろう」
浴室を出れば準備されているバスタオルと着替えに、ますますちゃんの家庭的な面を発見して。
「・・・・・・・・・いいなぁ、市丸隊長」
ポツンと呟いてしまったのは、やっぱり一人暮らしだからかもしれません。
お風呂を出て、きっと二人がいるであろう居間へ向かおうとすると、吉良君の耳に話し声が聞こえてきました。
まだまだ距離があるので何を言っているのかは分かりませんが、何やらギンさんが明るい声で話しているご様子。
家でもやっぱり同じなんだなぁ、なんて考えながら、吉良君が居間へ辿り着いて襖を小さく開けたとき。
彼は、見てしまったのです。
ギンさんに髪を撫でられて、嬉しそうに微笑むちゃんの姿を。
常にお人形さんのように無表情なちゃんの笑顔を見たのは、吉良君にとって初めてでした。
そしてそれはものすごい破壊力をもってして彼を襲ったのです。
例えるのならばじゃんけん合戦で勝ったのに、何故かピコピコハンマーで殴られてしまったような。
さらに言うならピコピコハンマーがメガトン級の鉄ハンマーだったような。
それぐらいの衝撃だったんです。
ギンさんの前でしか笑わないちゃん。
そのあまりの可愛らしさに、吉良君は見惚れるしかありませんでした。
そしてやっぱり同時に思うのです。
日番谷隊長、死ぬ気で頑張らないと無理ですよ・・・・・・・・・と。
あまりの可能性の低さに、翌日作ってもらったちゃん特製弁当を、吉良君が日番谷君に差し出してしまうのは別のお話。
それで日番谷君がよりいっそうの努力を決意するのも、また別のお話なのでした。
2004年6月20日