細い刀は、少女の腰にあった。
解放されるのを見たことがある者は少ない。
それは、少女の実力が並大抵のものではないことを示している。
斬魄刀を解放することなく、死線を潜り抜ける。
だからこそ、少女の正確な実力を誰も知らなかった。
・・・・・・『彼』を除いて。
鍵のない世界
ヒィ、と誰かが悲鳴を漏らした。
死神たちは口元を引き攣らせ、顔を蒼白に変えて脇へ寄る。
その中を歩く少女。
彼女が進む度に、赤黒い液体が廊下を染めていった。
「す、すみませんっ! 会議中に失礼いたします!」
慌ただしく扉を叩いた影に、藍染が柔らかい口調で答える。
「扉を開けて。何事だい?」
「し、失礼いたします!」
許可を得て扉を開けたのは、死覇装ではなく動きやすい服に身を包んだ裏廷隊伝令部の者だった。
その顔に焦りが浮かんでいることに、室内にいた護廷十三隊の隊長たちの表情が曇る。
肩膝をついたまま、乱入者は報告を始めた。
「四半刻前に現世にて大虚【メノスグランデ】が出没いたしました・・・・・・!」
ザッとその場の空気が張り詰めたものに変わる。
けれど立ち上がる者はいなかった。メノスグランデは彼らではなく、王属特務の管轄。
だから自分たちが出る必要はない。そう判断したのに。
「発見場所は瀬田市、担当区である死神はその際に―――・・・・・・っ」
彼が最後まで言うことはなかった。一人の死神が立ち上がる。
剣八からは怒りにも似た霊圧が発されていて、控えていた各隊の副隊長らはかすかに身を震わせた。
その中を怯むことなくやちるが駆けてきて、彼の背中に飛び乗る。
「・・・・・・ウチの隊の担当だ。そいつは死んだんだな?」
負けて永らえるのは恥。それはたとえ相手がメノスグランデでも同じこと。
剣八の言葉に伝令者は喉を引き攣らせ、張り付いた声で答える。
「・・・い、いえっ・・・・・・詳しいことはまだ・・・・・・」
「チッ! 使えねぇ」
吐き捨てると同時に彼を包む霊圧が緩み、それに縋って伝令者は言葉を続ける。
「で、ですが瀬田市近隣区の死神が助けに向かったと報告が―――・・・・・・・・・っ」
今度その声を遮ったのは剣八ではない、立ち上がった新たな存在だった。
常に笑みを湛えている表情が、今は綺麗に消え去っている。
「・・・・・・市丸隊長?」
吉良の戸惑いを含んだ声がして。
弱弱しい霊圧が彼らに届いたのは、その直後のことだった。
指が、のぞく。
血が滴り落ちて障子を赤く染めた。
含みきれない赤が重みとなって黒くなり、薄い紙を突き破る。
驚いて振り向いた伝令者が、小さく悲鳴を上げて後ろへ下がった。
指が強く障子を掴んで。
ずるり、と何かを引きずるような音が立った。
現れた血濡れの死神に、隊長・副隊長である彼らでさえも息を呑んだ。
少女が抱えている、誰かの首にも。
「ちゃ―――・・・・・・っ!」
やちるが飛び出そうとしたのを、剣八が大きな手で押さえた。
錆び付いた鉄のような匂いが会議室に広がる。
青い畳に滴り落ちた血が染みを作った。
四番隊の隊長である卯ノ花が立ち上がって近づこうとするが、それよりも早く少女は膝を折った。
自分の隊の長である、剣八へ向かって。
裂けた死覇装の裾が乱れて素足を晒す。
何をしてそうなったのか分からないほど、血と焼け焦げた痕に塗れた足を。
「・・・・・・十一番隊第七席、。ここに報告致します」
頭を下げると黒髪が、血に固まった髪が、常とは違い不恰好に落ちた。
「許す。話せ」
「待ちなよ、剣八君。ここは彼女の手当てが先でしょ」
「うるせぇ。人の隊に口を挟むんじゃねぇよ、京楽」
常識的に見れば異常な剣八の言葉に呼応するように、は口を開く。
「四半刻前、瀬田市にてメノスグランデが出没致しました。数は壱。伝令神機を介して、地区担当である第五席の萩元隊員に、報告を受けたので、そちらへ、向かいました」
らしくなく切れ切れになる言葉に、荒くなる呼吸に傷の深さが見て取れる。
卯ノ花や藍染が近づこうとしたが、彼女の抱いているものにそれを遮られた。
大事そうに抱えられているそれは、首から切断され下半身を失くした、人の頭。
「メノスグランデは王属特務の管轄なので、手を出すのものじゃないと判断し、萩元隊員と潜んでいました。ですが、奴が虚閃【セロ】を―――・・・・・・っ」
ごほっと咳き込み、畳に吐かれた血が落ちる。
「・・・・・・虚閃を放とうとしたので、萩元隊員がそれを阻止しようと、飛び出していかれて」
「――――――それで、その様か」
「はい」
膝の上、転がる頭部を抱え込む。
が指で触れるたびに、その頬に赤い線が引かれていった。
少し前まではの同僚で、そして剣八の部下だったもの。
「・・・・・・・・・奴が舌で萩元隊員を貫き、そのまま取り込もうとしていたので、私が」
砕蜂が冷静な眼差しで、話し続けるを見据えていた。
朽木白哉は滴り落ちる血に目を細め、けれど報告を逃さずに。
争いが憎いと公言する東仙は、悲しそうに目を伏せていた。
の告げる声が、部屋に響く。
「奴が萩元隊員を食らい、力をつけるのは得策ではないと思い、私が、破道で彼を、殺しました」
静かだった。
誰も声を漏らさずに、静寂だけが会議室に広がった。
血の匂いが鼻につき、視界を紅く染めていく。
の腕の中に抱かれている頭部の切断面は、切られたのではなく焼かれていた。
涅マユリが興味深そうに顎を撫で、狗村は笠の下で表情を漏らさず。
浮竹はひどく痛ましそうな顔をして眉根を寄せる。
「・・・・・・それで、メノスグランデはどうした」
剣八の声に、は大きく息を吸い込んでから再度口を開く。
肺が軋むような音が、彼女の告白に怯む副隊長らまで届いた。
「倒せればよかったのですが、王属特務が来るまで虚閃を打たせないようにするので、精一杯でした」
精一杯どころか、それすらも厳しかったのだろう。
擦り切れて、ところどころ肌の見えている死覇装がそれを証明している。
その下、いつもは透き通っている白い肌を染めている血が、抉られているような肉が。
顔を彩っている紅が示す、激闘の痕。
隊長格である彼らとて、メノスグランデを前にすることは滅多にない。会ったことのない者がほとんどだ。
自分たちでさえ梃子摺るだろう相手なのに、今目の前にいる少女はそれを凌いでみせた。
それは褒めるべきで、けれどそう出来ない要素もあって、ただ重苦しい沈黙だけが続いて。
仲間の頭部を抱いて、は深く叩頭する。
力なく畳に擦り付けられた額がかすかな音を立てた。
「同僚を殺し、メノスグランデを倒すことも出来ませんでした」
染み込んだ血はすでに黒ずんでいる。
小さな身体を二つに折って。
「・・・・・・・・・どうか、ご処分を」
最後まで途切れることのなかった声は、高さを帯びた少女のものだった。
「その者の判断は正しい」
一番隊の隊長であり、十三隊長をまとめる立場にいる山本元柳斎重国の口が開かれ、しわがれた声が発される。
十三隊長、そして副官らの視線が彼に集まった。
周りを舞う蝶々を手で払い、声は続く。
「死神を食らうた虚は巨大な力を得る。それを事前に防ぐための行為は仕方がなかろう」
それはあくまで言葉の上の理屈であって、きっと真実ではないのだろう。
そうするべきだと分かっていても、感情が邪魔をしてすることが出来ない。それが普通。
だからこそ、この少女の異常さが際立った。
「メノスグランデは王属特務によって始末された。特務からの言葉も来ておる。その者の罪は不問じゃ」
不問、と誰かが呟く。
同僚殺しが不問。それはきっと、理屈ではなく。
理屈で殺すことが出来ないのと同じように、理屈で無条件に許すことは出来ない。
戸惑い、驚き、不快、それらが会議室の空気として広まった。
そして自身、彼らのその心情を余すところなく感じていた。
けれど罪を裁かれた今、いつまでも頭を下げているわけにもいかず、ゆっくりと身体を起こす。
向けられる視線が、傷に直接突き立てられるようだ。
けれど恥じることはない。そう思うのに身体は重く、鈍すぎて上手く動けない。
今更ながらに痛みを感じて節々が悲鳴を上げる。
抱えていた頭部を、自分が殺したのに気持ち悪く思った。
焼け爛れている足で立ち上がるけれども、顔を上げることは出来ない。
――――――けれど。
「」
優しい声が、名を呼ぶから。
一番傍にいたい人が、いてほしい人が、手を差し伸べてくれるから。
は沈んでいる気持ちを抱いて、けれど躊躇わずに顔を上げる。
ギンが常より優しく、深く、笑みを浮かべていてくれるから。
「おいで」
広げてくれた腕に、倒れるようにしてしがみ付いた。
ギンの腕に包まれた瞬間、安心したように気を失ったを彼は丁寧な仕種で抱きしめる。
そしてそのまま卯ノ花を見た。
「四番隊長さん、治療頼むわ」
「はい」
近づいて引き受けようとするが、の手はギンの死覇装を掴んだまま離れない。
それに嬉しそうに笑って、自分がその場に座ることでギンは治療を始めてもらった。
卯ノ花の鬼道が光を発して、ゆっくりとの肌を治していく。
目も当てられない傷を消して、白い透明な色を取り戻して。
額から流れ落ちた血が目元から頬を伝い、まるで涙の様。
「・・・・・・十一番隊長さん」
その頬を撫でて、ギンは剣八を見上げる。
「今まで、おおきに」
その一言だけで剣八には分かった。
そして常に彼と共にいる、十一番隊ではの先輩として彼女に構ってきたやちるにも。
分かったからこそ剣八は眉を顰め、やちるは泣きそうに顔を曇らせる。
「・・・・・・チッ! せっかくも強くなって面白くなってきたところなのによ」
「あはは、堪忍なぁ」
「だったらてめぇのとこから誰か寄越せ。上位官席を二人も一度に失くせるか」
「ええよ。誰かしら十一番隊に送るわ」
治療は今も続けられ、緩やかにを癒していく。
ギンはその邪魔をしないように小さな身体を抱きしめ、血で固まった髪を撫でるようにして慈しむ。
それは彼の副官である吉良さえも、誰も見たことのないような柔らかい表情で。
いつも笑っている彼が、どこか悲しそうにさえ見せるような。
そんな顔でギンは笑って。
「ご苦労さん」
愛しそうに、に囁く。
「・・・・・・これからはずーっと一緒やで」
血に染まった同族殺しの少女。
罪に塗れた存在なのに、初めて会う彼女に、日番谷は魅入られて仕方がなかった。
その綻びた姿形と儚さに、無表情な美しさと強さに。
惹かれていく自分を、日番谷は確かに感じていた。
ギンが大切そうに小さな身体を抱きしめる。
日番谷が初めて欲しいと思った少女は、すでに彼の手の届かない華だった。
2004年5月29日