07.しんらいかんをもってもらうのがたいせつです





医師から渡されている薬を、白湯に溶かしているときだった。湯が見る間に重く濁っていくと同時に、近づいてくる足音。速さ、軽さ、滲む気配に覚えがなく、平机に向かっていたは半身を返す。等しく、音を立てて襖が開かれた。夕焼けを背にしている人物は、服さえも橙に染められている。染められる、それは白だ。奥州で余り見ることのない色は影の正体すら隠してしまう。眩しさに眇めたの瞳が、ふわりと揺れた相手の髪の下、仮面から覗く目とかち合った。次の瞬間、小さく細い身体は畳に押し付けられていた。口を塞ぎ、圧し掛かられる。これは、賊。
「静かに。騒ぐなら殺してしまうよ?」
室の奥、夕焼けの当たらない位置だからか、それとも互いの近さだろうか。は自身を押さえつけている男の瞳が、淡い紫色であることさえ分かってしまった。病魔を差し置いても、性差は抵抗を許してくれない。せめて武器さえあれば、と視線を押入れに走らせるけれども、国津神ウカノメの与えてくれた巨大鋏に手は届かない。誰か、と叫ぶことも出来ない。政宗様。城主の名を心中で紡いだとき、の上で男の身体が揺れた。
「ぐっ・・・! こんな、ときに・・・!」
次いで噎せ返るような咳が連なり、ぽたり、落ちてきた雫がの頬を打った。生温かいそれには自身覚えがあり、苦しく喉を鳴らして咳き込む姿は夜の己と同じもの。口を覆っていた男の手がずり落ち、支えを失った身体がの上に落ちてくる。重くはあったが、反射的に伸ばして触れた男の肩の余りの薄さに衝撃が勝った。骨と皮だけとしか思えない。この男は病に冒されている。己と、同じく。
「・・・薬、を・・・っ! こちら、わたしの飲んでいるものですけれど、早く!」
男の身体の下から必死に抜け出して、先ほど溶いた濁った白湯を差し出す。男の唇から伝う血は、夕焼けよりもおぞましい赤だった。染め抜かれる白い肌は東の空よりも青褪めていて、浮かぶ玉のような汗が畳に滴る。早く、と器を差し出すけれども、男は薬を睨みつけるだけで口に運ぼうとはしない。早く飲まなければ手遅れになるかもしれないのに、何故。はたと気づいては、自ら先に薬を一口、同じ器から含んでみせた。慣れたくはないが、慣れてしまった苦味が喉から奥へとしみこんでいく。
「毒ではありません! ですから、早く・・・っ」
押し付けるように器を握らせれば、男はと薬を見定めるように見比べた後、一思いに中身を呷った。ごくりと喉が動き、唇の端から漏れた一筋が血と交じり合って桃色に変わる。ひゅう、ひゅう、という独特の呼吸が落ち着くようにと願っていたは気づけなかった。男が器を放り投げ、の腕を掴み後ろ手にして拘束する。刀を抜いた政宗と小十郎が室に駆け込んできた。
「竹中、てめぇ・・・!」
「おっと。そこまでだ、政宗君、片倉君。動けば彼女がどうなるか分からないよ?」
男の声は低くなく、高くなく、けれど凛としていて、一瞬前の発作など欠片も感じさせはしなかった。がそれに息を呑むことが出来たのは、捻り上げられた腕が痛みを感じなかったからだ。男はそれこそ見かけとは裏腹に、を丁寧に扱ってくれていた。
「・・・・・・Hey, そいつを放せ。今なら半殺しで許してやるよ」
「独眼竜ともあろう者がお優しいことだね。それほどこの子が大切なのかな」
「Shut up! I'm sending you straight to hell!」
「弱い者ほどよく吠える。だけどここは、流石に分が悪い。引かせてもらうよ」
「させるか!」
拘束を解かれ、とん、と柔く背を押された。畳に手を着く前に耳元で聞こえた微かな声。すまない、と男はに謝罪したのだ。気がつけば伏すのではなく足袋の爪先に力を込め、は立ち上がっていた。刀を構え、窓から逃げた男を追おうとする政宗の前に、両腕を広げて。
「お、お待ちください! どうか、今の方を追わないでください・・・っ!」
「Ah!? あいつが誰だか分かってんのか!」
「知りません! ですが、どうか、お願いです! 追わないでください、あの方を、追わないでください・・・っ!」
何故そのとき、そんなに必死だったのかは分からない。城主である政宗に逆らえば、人質である己の身がどうなるのかなど容易く想像できたはずなのに。それなのには立ち塞がってしまった。見下ろしてくる隻眼が夜を連れてくる。鞘から抜かれた日本刀の輝きは月よりも鋭い。発作とは異なってうるさい心の臓の音だけが、室に響いているかのよう。闇よりも重苦しい沈黙の後に、吐き捨てたのは政宗だった。
「・・・・・・血塗れで、身体を震わせて・・・初めて言った我侭が、他の男の助命かよ」
え、と睫毛を瞬かせる間に、政宗はに背を向けていた。
「いくぞ、小十郎。城内の警備を厚くするよう指示を出せ」
「よろしいのですか、政宗様」
「―――興が醒めた」
刀を納める音よりも、舌打ちの音の方がの耳には大きく響いた。小十郎の眼差しを感じたけれども、室から出て行く政宗の背中を眺めるだけで精一杯で、ただその場に立ち尽くす。ふたつの足音が去り、何事か聞きつけた女中らの慌ただしい気配が近づいてきて、膝が笑い、畳に崩れた。力なく項垂れるの肩を支え、女中が医師を呼び、部屋の片づけを始め、すべてを整えていく。薄らいでいく意識を必死に繋ぎとめるよう、は着物の袖をきつく握った。深く青い着物の胸元は、男の吐いた血で紫に染まっていた。





・・・・・・いかない、で。
2010年1月11日