04.てあらにあつかってはいけません





足音はしっかりと立つ。青葉城の中でも奥まった場所にある離れを訪れる人物など限られており、はすでにそのすべての足音を覚えていた。女中はもっと静かだし、衣擦れもおとなしい。指南役の喜多はほとんど音を立てない代わりに凛とした気配を漂わせる。伊達三傑はそれぞれ鬼庭は規則正しく、成実は軽く、小十郎は歩幅が広い。そして今近づいてくる足音は重く、何より動きがあるのに威厳も備える。写経のために握っていた筆を置き、は座布団から降りて障子へと向き直る。大した時間もかからずに影は現れ、小気味良く戸を引いた。
「Hey, girl! 今日も閉じ篭って勉強か?」
「・・・政宗様、ようこそお出でくださいました」
習った仕種そのままに三つ指をつき、頭を垂れる。畏まらなくて良いと言われたことはあったけれども、それでもにとって出迎えの挨拶は義務であり責務だ。は彼の、奥州筆頭伊達政宗の慈悲によって生かされていると言っても過言ではない。恩人に対して礼を取ることは当然で、そして青葉城において城主に諂うのは当たり前のことなのだ。
敷居を跨いで室に足を踏み入れた政宗は、一言「顔を上げろ」と告げてくる。がゆるりと上半身を起こせば、自身の身に纏っている着物と同じ青の袴が目の前にあった。その近さにぎくりとしたけれども、伸びてきた手はを擦り抜けて平机の半紙を摘まみ上げる。
「Han、写経か。字も随分上手くなったな」
「皆様が丁寧に教えてくださるおかげです」
「喜多が言っていたぜ。飲み込みが早くて優秀な生徒だって」
「・・・ありがとうございます」
褒められると嬉しい。第三者から伝えられることによって更に努力が認められた気がして、は朱に染まる頬を見られないよう俯けた。文字など、村で暮らしていた頃は知らなかった。必要がなかったし、学は体得すべき経験であり、よい米はどうやれば作れるか、雨の気配を読む慣れや、凍てつく冬のしのぎ方など、生きていくために必要なものでしかなかった。嗜みとして日常に用いない知識を得るために努力するなど、そんな暇が農民にあるわけがない。勉学は時間がある者にこそ許される娯楽だ。青葉城に招かれ、実際に数多の学問に触れて、はそう感じている。
身に余る幸福だと、思わなくてはいけない。けれどそう、思えない。知識を得られることは楽しい。例えば琴を一度も間違わずに奏でられたときの達成感は、稀にしか見られない真冬の晴天で溜まった洗濯物をすべて干し終えたときのそれに似ている。口にすれば叱られるだろうから言わないけれど、は城での生活を幸福だとは思えなかった。餓えも労働もないというのに、それでも心は憂いている。
「・・・っ、政宗様!?」
俯き、思考を飛ばしていたから気づかなかったが、半紙をめくっていた手がいつの間にかに伸び、その歳に比べても小さな身体をあっという間に抱き上げた。足が畳から離れ、視界が揺れる。心もとなくて何かに捕まろうと伸ばした指が政宗の肩に触れ、そのことに慄いて離れるよりも先に隻眼が笑んだ。
「Do you know today's weather?」
「申し、訳ありません・・・。異国語はまだ・・・」
「勉強もいいが、たまには羽を伸ばすのも必要だぜ? 情緒がまたおまえの学を深くする」
天井が近くて、髪の毛が板に触れてしまいそうだ。政宗はを抱えたまま踵を返して、開きっぱなしだった障子から外へ出て行く。少し日差しが強いのか、屋根の作る影の色が濃い。高い視線から見る庭は新鮮で、木々の緑が若菜へと染め変わっている。心なしか空さえも青が眩しくて、はそっと手のひらを翳した。
「・・・青葉城は、夏の訪れが早いのですね。同じ奥州なのに、村とは全然違う・・・」
漏れた呟きに政宗がくつくつと笑う。
「世界は広いぜ? 知らないことが山のようにある。それを俺が、おまえにひとつずつ見せてやるよ」
、と紡がれた名は自分のものなのに、それをどこか遠くに感じる。恐れ多くも見下ろす形となった政宗は、奥州筆頭という名に違わず逞しく、強さを感じさせ、そして優しい。それでも幸福だとは思えないのに、ありがとうございます、と返すことはにとって義務であり責務であり、その肩からそっと指を離すことさえ変わらない絶対なのだ。





学問は好き。でもときどき、我に返ってしまう瞬間がある。どうしてわたし、こんなことをしているの、と。
2009年12月26日