彼女と俺の噂の話





「最近、さんって柳君と仲良いよね? もしかして付き合ってるの?」
教室の扉越しに聞こえてきた声に、ついに来たか、と柳は思った。横に引こうとしていたドアから手を離し、そのまま隣の壁へと背を預ける。後ろに続いていたクラスメイト男子が不思議そうな顔をするので、先に行け、と柳は手だけで指し示した。首を傾げながら入っていくその端で、女子生徒たちの会話が流れてきている。
と交流を始めてから、約二ヶ月。これほどまでに距離の近い異性は、柳にとって初めてだ。もちろんその自覚があるし、友人として尊敬し、慈しみ、時に悪戯に笑い合って友好的な関係を築いていると自負している。ちなみにアデルは柳にとって友人ではない。友人の友人であって、あくまで顔見知りのクラスメイトだ。アデルにしてもそうなのだろう。そもそもがいなければ会話をしようとも思わない関係だ。
しかし、さて、だからこそ柳としては、唯一に近い異性の友人であるに迷惑をかけたくはなかった。自意識過剰ではないが、視線を向けられることの多い身として、自分に親しい女子が出来たら周囲がどう反応するのかくらい予想が出来る。だからこそこうしてが問い詰められることになるだろうと、柳は推測していた。それでもさしたる手を打たなかったのは確信していたからだ。ならどうにでも出来るだろうと、友人の器量を信じているのだ。
「私と柳君?」
「うん。休み時間とかも良く話してるし。何だかいい感じだからそうなのかな、って」
現在、柳の席は廊下側の列の後ろから二番目だ。はその左隣に座っており、ドアの位置からは会話がよく聞こえてくる。おそらくアデルも共にいるのだろうが、彼女はどうでもいいと切り捨てて相変わらず何か作成しているのだろう。ふむ、と柳は腕を組んで考えた。
「私と柳君は付き合ってないよ」
「そうなの!?」
「うん。柳君、今はテニスが恋人なんだって。好きな子を作るつもりはないみたい」
出来る友人はこうしてさりげなく釘も刺してくれるらしい。実に助かる、と柳は感心しながら聞いていた。少女たちはちらりとアデルにでも視線を走らせたのだろう。それを酌んだが先回りして「アデルとも付き合ってないよ」と言った。それはそうだ。柳はアデルと交際する自分など、とてもじゃないが想像できない。大体彼女が一緒にいるのはが柳と話しているからであって、アデル本来の目的は、間違いなくを柳に纏わるいろんなしがらみから守るためだ。一対一で親しくしていたら、誤解が誤解を生んでとんでもないことになったかもしれない。けれどもアデルが入って三人でいることで、少なくともこうして教室で質問される程度で済んだのだ。その点では感謝をしているが、それを口にしようものなら「だったらあんたがどうにかしなさいよ」と冷ややかに罵らせるのが目に見えているので、柳は大人しく黙っていることにする。
「でもさん、柳君と仲良いよね。もしかして・・・好きだったり?」
本題はこっちだったのだろう。少女の声が緊張感を帯びて、空気が強張ったのが壁越しの柳まで伝わってくる。無知だとこうなるのか、と柳は素直に感心した。柳にしてみればが恋人だけを想っているのは周知の事実だが、その恋人の存在を知らない輩からしてみれば、確かに自分たちは付き合っているように見えても仕方がないのかもしれない。だからこそこうして問うてきているのだろう。特には、目立ちはしないものの美しく、凛とし、勉強も運動も中々に出来て、性格も良い。同じ人を好きになったりしたら勝ち目がない。少女たちはそう考えたのかもしれない。だからこそ質問することで牽制に来たと考えるのが妥当だろう。
そうしては、柳と同じ答えをそのままに返す。
「好きは好きだけど、友達としてだよ。私は別に好きな人がいるから」
「えっ、そうなの!?」
「うん。柳君とは、その人のことを話してることが多いよ。私に恋人がいるから、柳君も気軽に喋れるんじゃないかな?」
さんって彼氏いたの!?」
「うん、いるよ。別の学校の人」
少女の驚きの声は大きくて、おそらく教室中に響いただろう。頷くの返答も同じで、沈黙の後に俄かに教室がざわついた。は密やかに男子人気が高いから、ショックを受けている者も多いに違いない。先日、昼食を共にしたクラスメイトなどは机に沈没していそうだ。その様を想像して、柳は小さくくすりと笑った。
しかしに恋人の存在を暴露させてしまったことは、柳としても申し訳がなかった。騒がれることを嫌うから、は今まで恋人の存在を公にしてこなかった。もちろんアデルや家庭科部の友人などは知っているようだが、それでも不特定多数に吹聴するようなことはない。だがここではっきりと宣言したのは、柳との仲を勘ぐられては困ると考えたからだろう。その裏にはきっと友人である柳への気遣いと、恋人である東堂尽八への誠意が存在している。
「ねぇ、写メとかないの?」
「見たい見たいー!」
「えっと、あるにはあるけど・・・」
余り見せたくはない、と曖昧にぼかされたの本音は、テンション高く盛り上がる女子生徒たちには通じなかったのだろう。持ってるなら見せて、と数人に重ねて来られて、制服のポケットに手を伸ばす姿が細い扉の合間から見えた。スマートフォンに変える予定がないのは、恋人がガラケー愛好者だからと聞いている。朝昼晩のメールに加えて毎日のラブコールを常とする恋人にとって、携帯電話のバッテリー容量は死活問題らしい。スマートフォンに変えたら一日で充電が底を尽きるのは目に見えており、そうするとうっかり補填し忘れた日には目も当てられない。だから持ちの良いガラケーを使い続けるのだと言っていた、とに聞いた。同じ会社だから割引も使えるし、と笑ったは中学に上がるときに初めて携帯電話を購入したらしく、恋人と同じ会社を選んで買ったという。メモリは一番が自宅で、二番が恋人。王道にも程があるでしょう、と恥ずかしげに笑った顔が柳はとても愛おしかった。
だから許せない、と言えば大袈裟だが、柳はを慈しみたかった。と東堂という一組の想い合う恋人たちを、見せ物のごとく扱われたくはなかったのだ。
扉を開けて、教室に足を踏み入れる。女子生徒たちは目の前の話題に食いついており、背後の柳には気づいていない。アデルから一睨みを頂戴したけれども、それは「あんたのせいなんだからどうにかしなさいよ」というもので、今回ばかりは柳も反論するつもりはなかった。諦めたのか、が操作していた手を止めると、携帯電話の画面を女子生徒たちの方へ向けようとした。一瞬だけ見えたのは、前回のデートのときにでも撮ったものなのか、二人の男女が映っている。だが、それをまじまじと見るつもりもなく、柳は手を伸ばした。長身を活かして回された手が、女子生徒たちが見る前に携帯電話を回収していく。ぱちん、と音を立てて柳は奪った携帯電話を折り畳んで閉じた。
「誰っ・・・って!」
「や、柳君!?」
「すまないな」
にっこりと、珍しく本気で柳は笑顔を作った。意識的に魅了するような、そんな顔を。
「親友である俺でさえ、の恋人を見たことはないんだ。だから俺より先に知ろうとするのは勘弁してくれないか?」
誰が親友だ、とアデルから突き刺すような視線を感じる。本人はぱちりと目を瞬いているが、女子生徒たちは滅多に見れない柳の笑みに顔を真っ赤にして硬直している。その間に柳はに携帯電話を返した。今のうちに仕舞え、と視線で促せば、も察したのか急いでポケットの中へと落とす。後は柳が女子生徒たちの相手をしてやれば、一・二分で授業開始のチャイムが鳴るだろう。日本史の後は昼休みだから、きっとアデルがの手を取って静かな場所へ連れ出すに違いない。そこまで予想して、柳は適当な話題を振るべく唇を開いた。
人の噂も七十五日と言うが、密やかに、確実に、に恋人がいることは学年中に知れ渡っていった。惚れた腫れたで一喜一憂する年頃だ。が異性に人気が高いのもまた、その理由の一端でもあったのだろう。それと同時に自分とが友達であるという認識も広まり、よしよし、と柳はひとり満足するのだった。





しかし彼女が告白される回数は、余り減ることがなかった。それだけ本気の男が多いということか。
2014年4月20日