手を握ってどこまで行こうか
「仁王」
生徒でざわめく廊下の中、声をかければ教室から出てきたばかりの女生徒が柳に気づく。この時間を狙ったのは正解だったな、と柳はひとり自身の推測に満足していた。彼女と同じクラスの丸井から、仁王は昼食らしき昼食を食べないのだと聞いている。大豆から出来ている簡易栄養食品がメインで、お供にみかんだったりリンゴだったりフルーツがついて、飲み物は野菜ジュースかカフェオレなどのコーヒー系統。あれしか食わねーからあんなに細いんだろぃ、とは丸井の言葉だが、柳も小食にも程があると思っている。中学生という成長期なのだ。いくら女子と言えどそれなりの量を食べなくては身体が保てないし、ましてやダイエットをしているのだとしたら仁王にはまず必要ないと断言できる。だが、だからこそさっさと昼食を終えて、仁王は教室から姿をくらます。これまた丸井から知り得た情報を分析して、昼休みに入った十五分後に廊下で待っていてみれば、案の定仁王はぽてぽてと教室からひとりで出てきた。手には小さな手提げポーチを持っているので、もしかしたらこれから歯を磨いた後にどこかで時間を潰すのかもしれない。振り向いた彼女に柳は封筒を差し出す。
「何じゃ?」
「ラブレターだ」
「ほう、『達人』も冗談が言えるんか。初めて知ったナリ」
「俺も十五歳の中学生だからな。全国大会の写真だ。渡すのが遅くなってすまない」
「写真?」
首を傾げながらも、とりあえず仁王は封筒を受け取る。ラブレターにしてはシンプルな白の封筒は、それでも柳が自宅にあった中から最も上品だと思って選んだものだ。縁取りに繊細なデザインが施されているそれは、仁王の細い指に良く似合う。ポーチを手首に引っかけて、仁王は封を開けて中身を取り出した。三枚からなるそれは、柳が昨日自宅のプリンターで印刷したフルカラーの写真だ。
全国大会の決勝戦。立海が青学に勝利し、全国三連覇の偉業を成し遂げた日のことだ。結果的に優勝はしたものの、シングルス1で青学のルーキーこと越前リョーマに敗れた幸村は、表彰式でもその不服を隠そうとはしなかった。もちろん表情は笑顔だったし、優勝旗を受け取る手はしっかりとしたものだったけれども、その笑みのすぐ下にぐるぐるとした憤りが蠢いていたことに当然ながら浅くはない付き合いであるレギュラーたちが気づかないわけがなかった。どうにか無事に閉会してみれば、すぐさま幸村の顔は仏頂面に変わる。ちょっと青学に練習試合申し込んでくる。というかボウヤに試合申し込んでくる。優勝旗を放り投げて今すぐにでも殴り込みに行こうとする幸村を、真田が必死に抑え込もうとしていた。そこへふらっと現れたのが仁王だった。
彼女にしてみれば、おそらくレギュラーたちに会いに来たわけではなかったのだろう。むしろ今までの行動から鑑みるに、どちらかといえば仁王はテニス部を避ける傾向がある。今回は練習相手としてこれ以上ないほどの協力をしてくれたけれども、そこにもきっと何らかの理由があったのだろう。帰ろうと会場の出口に向かっている仁王を、不機嫌な幸村が逃がすわけがなかった。自身を拘束する真田に蹴りを食らわせ、たーっと駆けて、「幸村君!」と柳生が静止するのを無視し、がしっと腕を掴み、だーっと戻ってくるまで二十秒。何が起きたのかと呆然としている仁王に自身のジャージを被せ、ぽいっとそこら辺にいた後輩にデジタルカメラを放り、真田と柳と柳生と丸井とジャッカルと赤也に膝かっくんを食らわせてしゃがませ、その上で幸村は仁王の肩を抱き寄せてピースをする。ここまで更に十秒。
「立海全国三連覇の記念にー?」
はっとして全員が顔を上げた瞬間、はいチーズ、でフラッシュ連写。そうして出来上がった写真は、何というか少しばかりカオスなもので、幸村だけが満面の笑顔で他の面子は間抜けな顔をしていたり、二枚目は態勢を整えようと一部が身体を起こしたものだから更にごっちゃになって、結果的には全員で押し合い圧し合い一塊になり、プリントした柳ですら見る度に笑みを誘われる仕上がりになった。部の公式的な記録写真には残らないけれども、これはこれで大切な思い出である。特に、仁王の存在はレギュラーのみにしか知られていないから尚更だ。立海三連覇の影には間違いなく、仁王雅治という少女の存在があった。だからこそ幸村も、こうして仁王を交えた記録を私的にでもいいから残したかったのではないかと、柳は推測する。
「・・・うるさい写真じゃのう。幸村の笑い声や真田の怒鳴り声が今にも聞こえてきそうナリ」
「記念に取っておいてくれ。データは俺が持っているから、焼き増ししたいときは遠慮なく言うといい」
「いらんぜよ。こんな写真、一枚で十分じゃ」
「仁王がそう言う確率は七十八パーセントだと予測していた」
「おまんはその一言が余計ナリ」
「性分だから諦めろ。それじゃあな」
ひらりと手を振り、柳は踵を返す。実のところ彼の昼食は、半分しかまだ食べ終わっていないのだ。本当なら別の休み時間に仁王のいるB組を訪れて写真を渡しても良かったのだけれど、そうすると「ラブレター」という冗談が周囲には冗談にならなくなりそうだったので避けた。丸井に預けなかったのは、偏に柳が見たかったからだ。十分に距離を取ったところで、そっと振り返る。写真を見つめている仁王は柳に気づかない。その多分に色っぽい目元が僅かに朱に染まって、表情が緩やかに溶けて、そして仁王は両手でほんの少しだけ写真を持ち上げた。胸に押し抱くようにして笑う姿は余りにも幼く純真で。
「・・・可愛い、な」
隠すつもりはないが、それでも唇から漏れてしまった言葉に、柳自身失笑する。この仁王の表情が見れるんじゃないかと予測してしまったら、居ても立ってもいられなかったのだ。ふむ、と大いに満足して柳は再び歩き始めた。写真に収めるなんてもったいない。仁王の無邪気に喜ぶ愛らしい姿を、柳は自身の記憶にのみ刻み付けたのだった。
ヒロイン仁王ちゃんの宝物!
2011年3月13日