炎天下のトリプルエックス
「こら、おまえどこ見とんねん」
謙也が拳で軽く小突くと、財前は少しばかりむっとした表情で双眼鏡から顔を離した。全国大会の三回戦。時間が空いたので優勝候補と名高い立海の試合を観に来たのだが、後輩の双眼鏡を向けている先がコートではないことに気が付いたのだ。無論、試合は完全に立海のペースで見ていて張り合いがないのも分かる。しかし優勝を目指すには避けては通れない相手なので、ちゃんと見ていろと暗に諭してみせたのだが、財前の呟いた言葉に謙也以外の面子も反応してしまった。
「めっちゃ美人がいるんすわ」
「! どこや?」
「光、どっちなん!?」
「今見とったのはあっちの方向やろ?」
「財前のお眼鏡に敵う様な女がおるか?」
「あのチアガールの子たちやないみたいやしねぇ」
「財前、いけずせんと教えるたい」
「おーい青少年。おまえらちゃんと試合見とけー? で、財前? どこや、その美人さんは」
隣の謙也だけでなく、前のベンチに座っている金太郎やら白石やら、ユウジに小春に千歳、果ては顧問のオサムまで振り返って騒ぎ出す。銀と小石川だけは呆れた様子で苦笑しており、偵察のためのビデオ撮影の役を買って出ていた。どこどこ、と団子のように固まって喚くチームメイトたちに、財前は立海の応援団が固まっている客席の最上段を指し示す。
「あそこ。一番上の端に座っとる、銀髪のひとっすわ」
「銀髪!?」
「あーあれか」
分かりやすい特徴に、視線を彷徨わせていた面子も頷く。ちょこんと、僅かな木の陰に隠れるようにして座っている少女の姿がある。長袖のブラウスと短いスカートの制服を纏っていることから、おそらく学生であるのだろう。ここが全国中学生テニストーナメントの会場であることを踏まえれば、同じ中学生か、それとも卒業済みの高校生か。しかしどちらにせよ少し距離があるため、造作の詳細まで望むことは出来ない。貸せや、とユウジが財前の手から双眼鏡を奪って覗き込む。
「・・・確かに美人やな。そこらへんのちょい可愛い程度じゃ太刀打ちできへんレベルやで。まぁ世界で一番美人なんは小春やけどな!」
「ユウジもオッケー出すなら相当やろ! 双眼鏡こっち寄越せや!」
ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあと部の備品である古くいかつい双眼鏡が宙を舞う。視力が野生動物並みの金太郎は目の上に手でひさしを作って見ていたが、ほわあ、と間の抜けた歓声を挙げる。
「ほっそいなぁ! ワイが抱き締めたら折れそうや!」
「きゃっ、金太郎さん大胆! あたしのことも折れるまで抱いて!」
「小春ーっ!」
「せやけどほんまに細いやないの。んーでも胸もちゃんとあるし、お尻もいい形しとるわぁ」
「いやいや、やっぱここは腰の細さを褒めるべきやろ。中学生であの色っぽいラインはそうないで」
「オサムちゃんが言うとセクハラやな」
「うっさいわ。こちとら現役バリバリ、むしろ脂の乗ってるええ男や。おまえら中学生とは違う正真正銘の大人ですー」
ユウジから双眼鏡を取り上げて、小春が感心したように何度も頷く。レンズを通しで分かるのは、普通に話すよりも至近距離で相対する表情だ。ブラウスの皺ひとつとっても詳細に見えるし、肌に染みひとつないのも十分に分かる。銀髪という謙也以上に派手なカラーリングに負けていない、華やかな顔立ちの少女だ。倍率を操作してみれば、その睫毛の長さや量まで分かる。マスカラいらずやないの、羨ましい! 小春は思わず叫んでしまった。オサムを経由して双眼鏡を渡され、覗き込んだ白石は僅かに眉を顰めて難色を示す。
「んー・・・せやけど、ちょい派手すぎやなぁ。俺はもっと清楚な感じの子が好みや」
なまじ顔が良すぎるために、日頃から女子の群れに押して押される生活を送っている白石の呟きに、財前は鼻で笑い返した。
「甘いっすわ、部長。あれだけ美人やったら押さんでも男の方から追いかけてくるっちゅーねん。ええなぁ、あの雰囲気めっちゃ好みっすわ」
「阿呆、確かに美人やけど雰囲気あり過ぎっちゅー話や! あれやったらそこらの男じゃ相手にならへんやろ。白石やないけど、俺ももうちょい明るい子がええな」
「謙也もまだまだお子様たい。女の子は少しくらい影のある方が魅力的っちゃ。むぞらしかー。金ちゃんの言う通り抱きしめたくなるばい」
「せやろ!? ぎゅってしたなるやろ! ほら、ワイは間違ってへんやんかー!」
白石見てみ、と金太郎が千歳の同意を得て胸を張る。せやけどやっぱ明るい子が、いやいや影のある子が、と謙也と千歳は双眼鏡を順番に覗き込んで勝手なことを言っている。レンズ越しの少女は夏だというのに長袖のブラウスを着て、湧き上がる立海の応援団からは離れたところにひとりでいて、前の座席にローファーの爪先を載せてじっとコートを眺めている。パンツが見えそうやな、とやはり思春期の少年らしく身体を傾けて双眼鏡を動かしたユウジに、小春が「セクハラよ!」と乙女のエルボーを食らわせた。勢いで宙を舞った双眼鏡が、元通り財前の手の中へと戻ってくる。もう一回、と双眼鏡を件の女子生徒に向けた瞬間、そっちのけになっていた試合が終了したらしく、審判が立海の完全勝利をコールした。
「・・・・・・うあ」
間の抜けた声を漏らして、財前が停止した。ぴこーんと野生の勘を働かせた金太郎が手を伸ばして双眼鏡を奪い、わ、と一言だけ叫んでまた固まる。今度は小春とユウジが揃って双眼鏡を攫い、両側から顔を寄せて、まぁ、おお、と歓声を挙げた。千歳が身長を活かして上から双眼鏡を攫い、へにゃんと激しく相好を崩す。堪え切れなくなった謙也が飛びつき、ひ、と息を呑んで双眼鏡を落とした。無事にキャッチした白石は怪訝そうな顔でレンズを覗き、無言で硬直する。最後にオサムが倍率を合わせて双眼鏡を構え、火のついていない煙草を揺らし、赤面している少年たちをけらけらと笑った。
「やっぱりおまえらガキの手には負えへんなぁ? あれは相当ええ女やで」
オサムの手がビデオカメラを無造作に掴んで、そのレンズの向かう先変える。あ、と嘆いた銀と小石川はまだ知らない。後に再生したビデオの最後には、立海の勝利を受けてとても嬉しそうに、花開くように愛らしく微笑む、仁王雅治の姿が映っていた。
ヒロイン仁王ちゃんは展開が原作通りに進んでいるのか否かの確認で、全国大会にちらほら出没してました。
2011年2月7日