三年の全国大会後です。幸村がいるのに関東決勝で青学に負けた立海を見て、「自分は立海を全国で勝たせるために、男に生まれなかったのだ」と悟ったヒロイン仁王ちゃんは、自らイリュージョンで手塚になったりリョーマになったり不二になったりして立海の練習相手を務めました。その結果、立海は無事に全国三連覇を成し遂げることが出来ました。そんな夏が過ぎて、秋のお話。
どうして彼ではないのかしら
「欲しいもの?」
首を緩く傾けた仁王は、十月に入ったばかりだというのにすでに黒のタイツを着用している。あいつの足が見えなくなると冬って感じがするよな、と語ったのは一年前の丸井で、それほどに仁王の寒がりは周囲によく知られていた。だったらスカートを長くすればいいだろうと言ったのは真田で、そんな風紀委員長に鼻で笑い返した仁王は女子の間である種のヒーローとなっている。
「そう。全国大会では世話になったからね」
「俺は何もしとらんぜよ。三連覇したのはおまんらの努力じゃろ」
「だが、おまえがイリュージョンで練習相手を務めてくれたからこそ、俺たちが青学を破るきっかけを得ることが出来たのは事実だ」
「関東大会での雪辱を果たせた。可能不可能はもちろんあるが、望むものを言ってほしい」
幸村と真田と柳という名立たる「三強」に言葉を連ねられ、仁王の細い眉が顰められる。放課後、帰宅しようとしていた彼女を捕まえたのは同じクラスの丸井だった。夏まではテニス部の練習を少しばかり眺めてから家路についていた仁王は、全国大会を終えてからはホームルーム終了と同時にさっさと帰宅している。変化した行動の理由を丸井たちは知らないが、テニス部が全国三連覇を成し遂げたこと、あるいは同学年である幸村たちが引退したことが理由にあるのかもしれない。聞いてもはぐらかすだろうと予測できるから、丸井は問答無用で鞄を持つ仁王の腕を掴んで、柳の貸し切っている生徒会室まで引き摺ってきた。触れるセーターの感触に早すぎる冬備えと女子特有の柔らかさを覚え、少しときめいてしまったのは丸井だけの秘密だ。
「遠慮は結構ですよ、仁王君。欲しいものでも、私たちにしてほしいことでも、何でも仰ってください」
「『何でも』なんて言っちゃ駄目だろぃ。こいつ、告ってきた男に『即金でマンション買えるようになったら考えてやってもいい』とか答えた奴だぜ?」
「うっわすげー! 仁王先輩、マジ悪女じゃないっすか!」
「氷帝の跡部なら買えそうだけどな」
「奴の世話にだけは死んでもならんぜよ」
「そうですね。桑原君、例え話でも止めたまえ」
「ああ、わりぃ」
和気藹々といった様子で会話し続ける彼らの中で、唯一仁王だけが女子だ。短いスカートに、少し大きめのセーター。校則違反の銀色の髪は、水玉のシュシュで結わかれている。ぺしゃんこの通学鞄を持つ爪先は綺麗な桜色だ。誰がどう見ても女子にしか見えない。女の子が、仁王雅治だった。
「それで、何が欲しい?」
腕を組み、本来ならば生徒会長が座る椅子に身を預けて幸村が問う。最も出入り口に近い位置にいる仁王は、艶っぽいと評判の目元で幸村を見やり、それでも唇を開こうとはしない。見詰め合うというには殺伐としていて、両者が睨み合うことしばし。色鮮やかな唇が、小さく動く。
「・・・・・・」
「え、何?」
「・・・ユニフォームじゃ。おまんらと同じ、立海男子テニス部の」
意外な答えに、柳でさえすっと開眼して仁王を見た。ユニフォーム、と丸井と切原が驚いて呟き返す。
「ジャージ上下ぷらすハーフパンツ、それとパワーリストのフルセットじゃ。それが駄目なら何もいらん。他は認めんぜよ」
テニス部のユニフォーム。男子と指定してくるあたり、やはりそれは王者立海の象徴とされる芥子色のウェアを指しているのだろう。心臓の上に校章を縫いつけた、伝統と誇りを抱く者だけが纏うことを許されるジャージだ。沈黙を拒絶と感じたのか、仁王が少し焦った様子で口早に続ける。
「別に、新品が欲しいなんて我侭は言わんぜよ。おまんらのお古でいいんじゃ。悪用したりせんし、約束する」
「・・・貴様が我ら立海のユニフォームを悪用するとは考えていない」
「ええ。仁王君は誰より私たちを応援してくださったのですから」
「俺は構わん。幸村、部長のおまえが決めるといい」
規律を第一とする真田が許可を出したことに、仁王の目が見開かれる。やはり眉間に皺は寄ったままだったけれども、真田は幸村を振り返った。視線を受けて、幸村は返答の代わりに隣の柳へ顔を向ける。
「何日で出来る?」
「仁王の身長は165センチメートル、Mサイズだな。体格は男子の平均だし、業者も一週間もあれば十分だろう」
「じゃあ余裕を持って十日かな。仁王、自分から言ったんだからそれくらいは待てるだろう?」
「っ・・・いいんか・・・?」
「いいも何も、反対する奴がこの中にいる?」
幸村がくるりと室内を見回す。仁王がつられるように視線をめぐらせれば、まず柳が「構わない」と頷いてみせた。丸井が「いいんじゃね?」とガムを膨らませ、ジャッカルは「むしろそれで礼になるのか?」と心配してくる。真田と柳生は最初から好意的だったし、切原も「お揃いっすね!」と笑った。戻ってきた仁王の視線が情けなく歪んでいることに、幸村は小さく笑う。
「外で大々的に着られると困るけど、内輪で着る分には構わないよ。七人で割り勘すれば大した額じゃない」
「流石にぼろぼろのジャージを譲るわけにはいかないしな。すぐに手配しよう」
「っ・・・」
「良かったですね、仁王君」
柳生が、そっと仁王の手を握る。強く拳を作って白くなってしまっていた指先を解くように優しく扱い、望みが叶ったというのにどこか途方に暮れた様子の彼女に、殊更柔らかく微笑みかけた。途端、へにょっと仁王の表情が崩れた。初雪に例えられるほどの色白の頬に、ぱっと朱が咲く。目尻が綻んで、空気が花を飛ばした。大人びた容姿から覗いた幼さに、うっわマジ可愛い、と呟いたのは切原で、隣で柳が頷いて同意する。
「やぎゅうさん・・・っ・・・俺とダブルス、してくれる・・・?」
「ええ、もちろんです。きっと丸井君と桑原君が相手をしてくれますよ」
「ブン太、ジャッカル」
「んな顔すんじゃねぇよ。試合くらいしてやるぜ、ジャッカルが」
「俺かよ! いや、ちゃんとブン太にもやらせるから心配すんなよ?」
ジャッカルが慌てて取り成せば、ブン太は「分かってるって」と肩を竦める。そっぽ向いた頬がはんなりと赤らんでいたことに気づいた者はいたのだろうが、指摘されなかったことはブン太にとって幸いだった。室内の視線は、今度は逆に柳生の手を両手でぎゅっと握り締めている仁王に注がれている。ぴょんぴょんとジャンプしそうなくらい、仁王は表情を喜びに染めていた。喋る声さえ華やかで明るい。
「やぎゅうさん、やぎゅうさん、俺な、俺、やぎゅうさんになれるんじゃ! 背はちぃっと足らんけど、シークレットブーツ履くし、ちゃんとやぎゅうさんになれるんじゃよ! やぎゅうさんもな、俺になれると思うんじゃ。な? な? 入れ替わりしよ? 入れ替わりしんしゃい。のう、やぎゅうさん!」
「分かりました。ふふ、楽しそうですね」
「他にもな、俺、もっといろいろ出来るぜよ。イリュージョンも完璧なんじゃ。手塚や白石だけじゃなか、幸村にもなれるんよ。俺な、俺、ずっとな、ずっと・・・!」
ぼろっと仁王の瞳から雫が溢れた。ぼろぼろぼろぼろと長い睫毛の端を滑るように落ちていく。俺な、俺、ずっと、ずうっと。声にならない声と共に笑顔をしぼませて、仁王はついに俯いてしまう。震える肩はセーター越しでも分かるほど華奢で、嗚咽が小さく部屋に響く。「うー・・・」とまるで子供のように涙する仁王に、柳生が手を伸ばす。けれどそれは肩を抱くよりも先に、横から対象を掻っ攫われてしまった。いつの間に来ていたのか、幸村が満面の笑みで仁王をその腕に囲っている。
「まったく。おまえは本当に可愛いね。いい加減に諦めて、俺たちの傍にいる決意を堅めろよ」
「やぎゅうさん・・・」
「そこでどうして柳生の名前を呼ぶのか解せないな。いや、理解したくない」
「とかいって柳先輩、ちゃっかり仁王先輩の手を握ってるし」
一文字違いじゃないすか、と切原が指摘する。ふらふらと柳生を求めていたらしい仁王の左手を、あまりにも自然に柳が捕まえていた。包み込むのではなく、しっかり握手するように握り締めている。仁王が握り返してきたのが嬉しいらしく、柳もうっすらと笑みを浮かべていた。んじゃ、こっちは俺、と開き直った丸井が仁王の右手を捕まえる。「ん」と丸井に小指だけ譲られて、ジャッカルが困り果てた顔で、それでも苦笑して自分の小指を絡めた。
「ずるいっす! 仁王先輩、俺も!」
「赤也、それはセクハラだぞ」
「いいじゃないっすか! 俺、後輩だし」
「理由になっていないな」
ばふん、と音を立てて切原が背中から抱きついた。身長差がほとんどないため、抱きつくというよりも抱き締めるという形になるが、切原本人は満足らしい。柳の指摘も何のその、「仁王先輩、いい匂いがする」などと言って対面の幸村に「邪魔だよ」などとあしらわれている。
「・・・たるんどる。女とて、そう簡単に泣くものではない」
真田が、トレードマークの帽子を仁王の頭に被せる。つばを下ろす所作は乱暴だったけれども、それが真田の精一杯なのだと誰もが知っていた。そっと顔を上げた仁王の瞳はうさぎのように真っ赤になっていて、柳生が我がことのように嬉しそうに微笑んだ。今更ですが、と前置きして。
「立海テニス部へようこそ、仁王君」
柔らかな声音に、今度こそ仁王の涙腺が崩壊した。普段のクールな態度など掻き消して子供のように泣き出す彼女に、テニス部の面子は思わず笑う。愛しいな、と誰もがそっと囁いた。
ヒロイン仁王ちゃんは、柳生を「やぎゅうさん」と呼ぶ。柳生が「仁王君」と呼ぶのは、「仁王さん」呼びをヒロイン仁王ちゃんが嫌がったため。
2010年10月17日