【 このお話を読むためにあった方が良さそうな予備知識 】
1.ヒロイン仁王の中身の元OLさんは、山手線ホームで無理心中させられて前世とさよならしました。
2.さよならさせたストーカー男は、跡部様の中に転生しています。
3.本家本元テニプリ仁王雅治様は、実はヒロイン仁王の弟(つまり仁王家次男)の中にいます。
本来のテニプリ仁王が登場するため夢小説要素が強いので、苦手な方はお気をつけくださいませ。






まるで娘のように思っている。妹のように、姉のように、母というには少しばかり庇護欲をそそるから、やはり守るべき対象だと認識しているのだろう。よもやまさか、中に異性が入っているとは思わなかったが、知ってしまえば納得した。今の仁王雅治は、かつての自分よりも儚く艶やかで、頼りなくも愛おしいから。





死すら恐れぬこの命、星屑のように煌めいて





男が気がついたとき、自身は庭に立っていた。個人の持ち家にしては巨大すぎる屋敷は、十五年の生活で慣れたとはいえ未だに妬みを感じさせる。鏡を見る度にそうだった。この跡部景吾という男は、同性から見ても素晴らしく整った容姿と才能を有しているのだから。生前の自分と比較して、何度恨めしく思ったことか。こんな男だったら、きっと彼女も振り向いてくれただろう。素直に愛を告げてくれただろう。共に死を選んだりせずに、結婚して子供を儲け、愛に満ちた幸福な人生を。
「よく言うぜよ。愛を告げるどころか話しかけることも出来んで、無理心中しようと山手線に突き落としたストーカー男が」
夜を割るかのように声が響いた。はっとして男が振り返れば、隣家との境をなす高い塀の上に影がある。警備は何をやっているのか。そんな男の考えを嘲笑うかのように、影はくつくつと肩を揺らした。小さい。気づいて、注視してみれば、それは大人の大きさではなかった。男が精神を宿している跡部景吾よりも小さい。中学生ですらない。あの影は、一体。
「まさかおまんまで、この世界に転生していたとはのう。傍迷惑な話じゃが、当然といえば当然ナリ。何せおまんはあいつを巻き込んで、一緒に電車に轢かれたんだからのう?」
「っ・・・誰だ、おまえは! 何でそれを知っている!?」
「芸のない台詞じゃ。そんなんじゃ、例えあいつに話しかけることが出来てても、見向きもされんかったろうなぁ」
可哀想に。からかいめいて貶され、かぁっと男の顔が熱くなる。影が塀の上に立ち、月光を背に浴びる。男が目を凝らすように細めれば、僅かに顔を臨むことが出来た。髪は漆黒。瞳は茶、もしくは琥珀。青褪めるように白すぎる肌。何より、人を食ったようなその笑みは。
「おまんなら知っとるじゃろう?」
息を呑む。月光を映した瞳の鋭さが、記憶の中の絵柄と重なる。ひゅっと鳴った喉に、正解、と影が歌うように囁いた。
「俺は『仁王雅治』じゃ。こことは別の、漫画『テニスの王子様』から転生してきた、本家本元の『仁王雅治』ぜよ」
ざぁっと風が舞う。影の、子供の髪を散らして揺れる。あらわになった顔は、男が今日の昼間、追い詰めて再び共に死へと飛び立とうとした少年にそっくりだった。否、男が惜しみない愛情を注ぐ女性の精神が宿っている、少年の顔にそっくりだった。いくらか年齢を逆戻しにして、銀髪を黒に染めれば、きっとそのままの形になるだろう。だが、それ以上に男はぞっとした。子供の浮かべた笑みが、まさに男の知る「仁王雅治」そのものだったのだ。何度も漫画で読んだ、立海大付属中の、あの「コート上の詐欺師」に。
「う、嘘だ・・・っ! あ、あんなの所詮漫画だろう! 『仁王雅治』なんかいるわけがないっ!」
指先から、足先から、震え始める理由は恐怖だ。目の前の子供の放つ、得体の知れなさ。それが男の身体を小刻みに揺らす。
「十五年も跡部の中にいたのに、まだそんなこと言うんか。おまん、物分りが悪いのう」
「黙れ! おまえが誰であろうと関係ない! 俺と彼女の邪魔はさせないっ!」
そうだ、彼女だ。思考が結びつくと同時に、男の脳裏がクリアになる。そうだ、彼女だ。心の奥底から愛している彼女。前世では死を持ってしか互いを繋ぎとめることが出来なかったけれども、今回はこうして同じ世界に立ち、ちゃんと認識しあっているのだ。彼女が男の身体になっていることなど、瑣末な問題にしかならない。大切なのは中身だ、精神だ。自分は男の彼女だろうと、愛しているのだと心から叫べる。肉体に由らない精神の昇華、それこそが究極の愛だろう。自分は彼女を愛している。心から、そう、心から!
「誰が何と言おうと構わない! 俺と彼女は今度こそ結ばれるんだ!」
「俺が、それを許すと思うとるんか」
「許す許さないの問題じゃない! 俺と彼女の愛に不可能はない!」
「ほう? それならおまんだけ先に、もう一度殺してやるぜよ」
空気が揺らいだ瞬間、男の眼前には琥珀色の瞳があった。にぃ、と猫のように細められたそれは月光よりも淡く、黄泉路よりも深い。あ、と呻き声を挙げるよりも先に、突き出された小さな手のひらが大地に男の膝を突かせた。苦しい。せりあがる、身の内が締め付けられるような、心臓を直接握りこまれたような、この激しい痛みは。はっとして男が胸元を掻き毟りながら見上げれば、子供が―――「仁王雅治」が、にやりと笑う。
「二度も転生しとるとなぁ、これくらいのことは出来るようになるけぇ。苦しいじゃろ? おまんの精神をなぁ、痛めつけとるんよ。二度と転生なんかせんように、跡形もなく握り潰してやるから安心するナリ」
「っ・・・! おまえ、ごときにっ・・・俺の愛を、邪魔されて堪るか・・・!」
「ここまでされてもまだそんなことが言えるんか。大したもんじゃのう。じゃけん、おまえはやりすぎた」
吊り上げられる唇は、この世界の仁王雅治が決してしない顔だ。本物の「仁王雅治」は、こんなにも気味の悪い男だったのか。ぎりぎりと締め付けられる。これは心臓ではない。身体ではない。直接、精神を押し潰されているのだ。
「俺はなぁ、今の仁王雅治が好きなんじゃ。『仁王雅治』であろうと努力してるところが、それなのにちょこっと違うところとか、本当に可愛えと思うとるナリ。身体は俺じゃがのう、幸せになればいいと思うちょる。おまんみたいな阿呆な男とは一切関わらずに、幸せになればいいと思ってるんじゃ」
「っ・・・! っ!」
「あいつを傷つけようとする奴は、すべて俺が殺してやるぜよ」
「―――・・・・・・!」
指がゆっくりと折り曲げられていくのを、男は歪む視界の中で捉えていた。痛みが厳しさを増していく。声が出ない。呼吸が出来ない。喉を押さえる指の感覚すら、もう、ない。ただ「仁王雅治」の笑みだけが、男の意識を埋め尽くす。言葉にならない悲鳴が、闇の中に轟いた。
「あいつは俺で、俺はあいつじゃ。俺の、最愛の仁王雅治じゃ」
琥珀が一際輝き、小さな手のひらは完全に拳を作る。ぎゅ、と握り締められたのは意識だったか精神だったか、男は白目を剥いて口から泡を吐き出し、芝生の庭へと崩れ落ちた。身体が痙攣して震えている。死にはせんじゃろ、と子供は、仁王雅紀は呟いた。
「おまんは、俺がいいと言うまで跡部の中で寝てんしゃい。まぁ、一生そんなことはないじゃろうがのう」
小さなスニーカーの爪先で肩を押し上げれば、跡部景吾は唸るようにして仰向けになる。間抜けじゃのう、と「仁王」は性質の悪い笑みで、かつての知り合いに限りなく良く似た相手を見下ろした。くるりと踵を取って返す。ひょい、と壁に飛び乗っても警報ブザーは反応しない。繰り返す転生で身についた能力は、こんなときに遺憾なく発揮される。例えばそれは、男が跡部景吾という他人の精神を内側から自由自在に操ることが出来たり、あるいはこの世界の仁王雅治が零式サーブですら再現可能な絶対的記憶力を有するような、特殊なものだ。もしかしたら転生者は意外とそこらへんにいるのかもしれない。そんなことを考えるけれども、「仁王」にとって意味があるのはたったひとりだ。軽いジャンプで道路に降り立ち、最寄り駅への道を辿る。「彼女」は今頃何をしているだろうか。もう寝ているか、もしくは柳生と電話でもしているか。
「まったく、頼りない兄ちゃんナリ」
笑って月を見上げる表情は、先ほどとは打って変わって穏やかだ。それは本当に優しさだけを浮かべていて。
「愛しとうよ、仁王雅治」
囁いて「仁王」は駆けるようにして帰路を急いだ。今日は兄のベッドに潜り込んで一緒に寝てしまえ。まさか弟の中に「仁王雅治」がいるとは思ってもいない「彼女」に、今夜は思い切り甘えてしまえ。企んで「仁王」は楽しげに笑った。彼はちゃんと分かっているのだ。この世界の仁王雅治は、自分ではないのだということを。
だって、だからこそ、こんなにも愛おしい。





仁王雅紀(まさき)君、小学校四年生。標準語の良い子です。転生二度目、人生は三回目。中身は御年100歳オーバー。
2010年10月2日