落乱編:大蛇丸先生と山本シナ先生
「大蛇丸先生のいた世界のくのいちは、一体どんな存在なのかしら」
ぴんと張りがあるが、どこか年齢を感じさせない声に大蛇丸は振り向く。そこにいたのは忍術学園くのいち教室の実技と学科の両方を受け持っている教師、山本シナだった。若く美しい女性と、穏やかな老婆、ふたつの顔を持つシナは、今日はうら若き美女の身体を忍び装束に収めている。彼女がどうやって変装しているのか、術の研究をライフワークとしていた大蛇丸にはあらかたの見当がついている。そしてそれは、「こちら世界」において変幻の骨頂だ。五年生にもひとり変装の得意な生徒がいるらしいが、ちらと遠目に見た限り、まだ甘さがあると大蛇丸は判断している。その点、やはり経験を積んでいるだけあってシナの技術は見事だ。
「山本先生、授業はどうしたの?」
「今は空き時間なの。よければ少しお話をと思って」
「そう。あの世界にもくのいちはいたわね。だけど、色を駆使する忍びは限られていたわ。私たちにはチャクラがあるから、女でも男と対等に戦うことが出来る。忍びは基本的に戦忍。それ以外の特殊な分野で力を発揮する忍びもいたけれど、数は少なかったわ」
「・・・女でも、男と対等に戦えるのね」
羨ましい、と言葉にはされなかったけれども呑み込まれた心情を大蛇丸は察する。こちらの世界は、大蛇丸が生まれ育ったあちらの世界よりも男尊女卑が激しい。価値観の根底に平等を唱える輩は未だ少なく、女性は男より劣っていると、男の付属物だと扱われることさえある。だからこそ悔しい思いをしたことが数え切れないほどあるのだろう。眉間に薄く皺を寄せるシナに、大蛇丸は肩を竦める。教師に与えられている長屋の一角は生徒の授業中ということもあってか人気がない。長閑ね、と些か違う感想を抱いて大蛇丸は縁側に腰を下ろした。今頃あの子たちはどうしているかしら、と世界を超えて置いてきてしまった弟子たちを思い浮かべる。
「それで、山本先生? あなたは私に何を言いたいのかしら?」
目を細めて見上げてやれば、はっとシナが息を呑む。大蛇丸自身は、色を駆使して任務を行ったことはない。そうする必要がないだけの実力と能力があるからだ。だからといって、男を知らないというわけでは勿論ない。外見は二十歳を過ぎた娘に見えるが、すでに生きた年は五十を超えている。その中には当然ながら惹かれる男との出逢いも、愛を恋願う男の出逢いもあった。だがそういった経験を経て、ひとりでいることを好んだ結果が今だ。握った拳を緩く解し、シナが息を吐き出す。上げられた顔は真剣だった。
「・・・大蛇丸先生。私たちくのいちに、あなたの言う『チャクラ』を教えてください」
ふふ、と大蛇丸は唇だけで笑った。
「無理だと言ったはずよ。私がこちらの世界に来た最初の時点で、学園長にね。こちらとあちらでは人体を構成する物質が根本的に違う。この世界の人間は、チャクラを練り上げることが出来ない」
「それでも、何かしら私たちに使える術があるのなら。女として、いえ、人間として、少しでも長く矜持を貫くために」
「いい返事ね。だけどシナ先生、学ぶのは更なる絶望かもしれないわよ? これだけの力があるのに、私はどうして身体を張らなきゃいけないの。そう屈辱に塗れるくのいちの姿が目に浮かぶわ」
「・・・それでも。私は教師として、あの子たちにひとつでも多くの選択肢を与えてあげたい」
大蛇丸は、こちらの世界に生きる人間ではない。それ故に彼女の持つ得体の知れない数々の術を、忍術学園の学園長である大川平次渦正は、忍術ではなく妖術だと言った。根源とするエネルギーが異なるのだから、確かにそれは相応しい。だからこそ大蛇丸はその存在を他に知られることを許されず、学園内でのみ暮らしていくことを義務付けられた。元の世界でも木の葉の里から出られなかった身だ。流石に学園の敷地内という狭さには辟易したが、それも仕方ないとあっさり受け入れた大蛇丸に、思わず周囲の方が驚いた。彼女には、その身ひとつでこの国など平らげてしまえるほどの力があるというのに。
「まぁ確かに、くのいちが低く見られるのは、同じ女として気に食わないわね」
黒髪を払い、大蛇丸が立ち上がる。釣られるように顔を上げたシナは、眉を顰める目の前の横顔にくのいちではなく、戦忍としての、そして女としての憤りを見た。大蛇丸のいた世界は随分と開かれている文化のように感じたが、世界に男と女がいる限り問題は決してなくならないのかもしれない。それは時に立場を逆転し、形を変えるのだろうけれども。腕を組んで振り向いた大蛇丸は、現在与えられている教師という立場ではなく、どちらかといえば研究者の顔をしていた。
「いいわ、あなたたちに術を教えてあげる」
「大蛇丸先生」
「ただしチャクラが使えない以上、火遁や水遁の術は不可能よ。私が教えるのは純粋な体術。そこに精神エネルギーを作用させ、身体エネルギーで上乗せする。極めれば拳で山ひとつくらい崩せるようになるわ」
「や、山? それは本当に・・・?」
「腐れ縁に馬鹿力の女がいるの。あれはチャクラを使わずに拳で大地を割るわ。そこまで達することは出来なくても、岩くらいなら砕けるようになるはずよ。もちろん適正はあるだろうけれど」
それでいいかしら、と大蛇丸が問えば、勿論です、とシナが深く頷く。ありがとうございます、と頭を下げる姿は教師であり、そして己の強さに磨きをかけるひとりのくのいちとしてのものだ。打ち合わせが必要ね、と大蛇丸が縁側から長屋に上がれば、シナも砂を払ってそれに続く。
「教えるのはくのたまの上級生のみ。いいわね?」
「はい。下級生は行儀見習いで学園にいる子が大半ですから、本気でくのいちを志した子に対してお願いします」
「私もこの世界にいつまでいられるかは分からないわ。シナ先生、あなたが究めて彼女たちに教えるのよ」
「はい。よろしくお願いします、大蛇丸先生」
「ふふ、慣れない呼称ね。今までは弟子にも様付で呼ばれていたから、何だか新鮮」
くすくすと唇に指を触れさせて大蛇丸が笑う。次いでにぃ、と細められた瞳はシナが初めて目にするものだった。殺気がないからいいものの、この人が戦場に立ったら後には更地しか残らないだろう。何もない大地にひとり立ち笑う姿すら思い浮かび、ごくりとシナは唾を呑み込む。ひやりと汗が背を伝ったが、もう遅い。
「見せてあげるわ。三忍のひとり、大蛇丸の凄さを」
この人の様な忍びになりたい。それはシナがくのいちとして独立してから初めて覚えた憧憬だった。
怪しい術の研究が出来ないから、暇潰しに教育の是非を問うのも良いかと考える大蛇丸様。
2011年7月30日