4.美しい人、朝食を
翌朝、朝食に定められている時間に顔を出した人間の数は50近くまで減っていた。夜にアルコバレーノになりたい輩同士の潰し合いがあったのだろう。候補が減れば、それだけ可能性は高くなる。かくいうラルも、名と顔を知っていて、そして己より格下の人間を三人ほど殺していた。どうしてもアルコバレーノになりたいのだ。ならなくてはいけない。そのためなら何でもすると彼女は決めていた。
「こちら、相席よろしいかしら?」
声と共に影がテーブルにかかり、ラルが顔を上げるとシルバーブロンドの女がいた。鼈甲色の眼鏡のフレームが蛍光灯できらりと光っている。カーデガンにプリーツスカート。グリーンの瞳はくっきりとしていて、死んでなかったのか、とラルは少しだけ驚いた。こんな地味な女、真っ先に争いの犠牲になるだろうと思っていたのに。
「こちら、相席よろしいかしら?」
「好きにしろ」
「ありがとう。朝食は女性と取ると決めていますの。それなのにここは女性が少ないから、あなたにお会い出来て本当に嬉しいですわ」
向かいの席に腰を下ろし、女はスプーンを持ち上げてスープに浸す。その仕草はやはり殺人者ばかりのこの空間には相応しくなく、落ち着きが小学校の教師を思わせた。・。聞いたことの無い名前。白い腕は細く、自分の鍛えられた腕とは真逆だとラルは思う。
「脱走は試みたのか?」
問いかけてみると、女は肩を竦めて首を振った。
「昨日は騒がしかったでしょう? それに乗じようと思ったのだれど、余計な火の粉を被りたくなくて。つい先送りにしてしまいましたわ」
「実行するつもりなら辞めておけ。ここを仕切っているのはチェルベッロだ」
「まぁ、チェルベッロとは、あの?」
ファミリー内での代替わりや、ファミリー間での抗争などで、時折現れる女たち。皆が同じ外見をしているという異質な集団であり、それに相応しい匿名性を兼ねそえている。復讐者ヴィンディチェと等しく、イタリアマフィアでは謎に包まれた存在。大事にのみ動く、チェルベッロ。
「ではアルコバレーノの選抜というのは本当ですのね。わたくし、性質の悪い冗談だとばかり思っていましたわ」
「今日から試験が始まる。選抜される気が無いのなら適当に手を抜くんだな」
「そう致しますわ。親切な方、お名前を教えて下さいます?」
にこりと女は微笑んだ。上品な笑みだ。軍の教官を務めてきた自分には無いものだとラルは思う。必要の無いものだと思っていた。実際に必要が無かった。笑うことは無かった。そう、あいつの前以外では。
「ラル・ミルチだ」
「ラルさん。あら、もしかして名高い軍教官のラル・ミルチさんでしたの? わたくしは・ですわ。どうぞよろしくして下さいませ」
名はやはり聞いたことの無いものだった。女は穏やかに笑いながらパンを千切り、サラダを食し、コーヒーに砂糖を入れている。朝食の時間がまもなく終わる。利用したのは五十八の人間。その中に、ダビド・ゾフの姿は無かった。
気を抜けば殺される。前で絶叫、背後で懇願。足の下は屍の山。
2007年5月31日