例えばあなたがどうなろうとも、この恋にはなんの不都合もなかったの
「好きだったのよ」
穏やかな声音でそう告げた影山という年上の女性を、円堂守はどこか不思議な気持ちで見上げていた。フィールドではイナズマジャパンのみんなが時間外だというのに自主練習に励んでいる。ちらちらと鬼道が自分たちの方を見ているような気がしたけれど、円堂はそれよりも目の前のが気になって仕方なかった。サッカーを冒涜する、とんでもない奴だと思っていた。でも彼女が率いるイタリア代表オルフェウスの戦いぶりを見て、本当は違うのかもしれないと思い始めている。だからこうして、直接話す機会が出来て本当は少し喜んでいる。
「物心ついた頃から、あたしの中心はあのひとだったわ。あのひとにとっては娘みたいなものだったんでしょうけど、あたしは、幼いなりに必死だったの。好きだったのよ。あのひとに恋をしていたの」
語られるのは確かに恋であるはずなのに、クラスメイトが休み時間に話している恋愛とは違って聞こえる。過去形だからだろうか、それとも彼女の恋が一般的に言う「悲恋」を迎えたからだろうか。円堂には分からない。理解できるほどに、彼は経験を積んでいなかった。
「歳なんて何十歳も違ったし、あたしは小娘で、世間のことなんて何も知らなくて。でも、それでいいと思ってたの。あのひとがいればそれでいいと思っていたのよ。だから、あのひとに『俺のことは忘れろ』って言われたときは信じられなかった」
風が撫でる髪をそっと押さえる。大人の女性だと、円堂は思う。自分が生まれる前に、祖父である大介と時を過ごした女性。母の温子からその話を聞いたことはなったけれど、大介と古い知り合いである鬼瓦や響木はずっとのことを知っていたらしい。道を踏み外してしまった彼女に対し、厳しい目を向けながらもその底には心配があったのだと今なら分かる。
「捨てられたんだと思った。裏切られたんだと思って、世界中が敵に思えたわ。何も信じられなくなった。一番信じてたひとに、一番愛してたひとに捨てられたのよ? あのひとしか見えていなかった分、絶望も大きかった」
本当はね、とが振り返る。帝国学園と初めて試合をしたときとか、その後、彼女がいろんな汚い手段を用いてきたときとか、影山という存在は円堂だけでなく雷門にとって倒さなくてはいけない対象だと思っていた。だけど、本当は違うのかもしれない。すとんと、円堂の中に何かが落ちてくる。そっか、と彼は素直に思っていた。悪いだけの奴なんて、いないんだ。
「本当はね、あの日、大介さんを事故に遭わせた日。あたしも一緒に車に乗るつもりだったの。一緒に死ぬつもりだったのよ。一緒にいられないなら、一緒に死にたいと思うくらい、好きだったのよ、あのひとのこと」
それなのにあのひとったら、一緒に逝くことすら許してくれなかった。寂しげに長い睫毛を伏せ、その横顔は少しだけ笑う。でもね、と眼差しをフィールドへと移しては続けた。
「今となっては、あのひとが言ったことも理解出来るわ。あたしの世界は本当に狭くて、きっとそれを不安に思っていたのね。だから突き放したの。あたしはその行動が理解出来なくて復讐に走っちゃったから、結局あのひとの思うようにはならなかったけど」
「でも、今はちゃんと監督をしてるだろ?」
「そうね。その点では本当に感謝してるわ。オルフェウスの子たちにも、ルシェにも、あのひとにも」
振り向いて、にこ、と浮かべられた笑顔は、円堂が今まで見たことのない彼女の表情だった。会ったことなんてそうあるわけではないけれど、その数回はいつだって悪者という印象がついて回っていたのだけれど、今はそれがない。だからか聞いている年齢よりも幼く感じられて、姉ちゃん、と何故か円堂は口にしてしまいそうで少し焦った。
「だから鬼道が雷門にいることは良いことだと思っているの。あたしみたいにならなくて良かった。あなたと出会えたことは鬼道にとって人生最高の出来事かもしれない」
「そんなことない。俺だって、鬼道と一緒にサッカー出来て嬉しいし」
「賢くて器用な分、溜め込んじゃう子だから気を付けてあげて」
「分かった。鬼道は仲間だから」
「ありがとう。・・・あたしと鬼道は似た者同士だから、同じ血筋に魅かれるのかもしれないわね。あなたがあと十歳年上だったら、押し倒してあたしの男にしてたのに」
「・・・え? ええ?」
「年上は嫌い?」
「き、嫌いっていうか・・・」
いつの間にか話の方向が変わっていて、茶目っ気たっぷりに放たれたウィンクに円堂は狼狽える。少しばかり身を屈めて顔を寄せてくるに、からかわれていると分かっていてもどぎまぎしてしまうのは仕方ないだろう。うう、と視線を彷徨わせれば、フィールドから射るように突き刺さってくる気配に気づく。ゴーグルのあれは間違いなく鬼道で、遠目にもその眉間には皺が刻まれているのだとありありと分かる。
「・・・やっぱり、いいや。影山、じゃなくて、ええと、影山監督と何かあると、鬼道がうるさそうだし」
「ぷっ・・・! 確かにそうね。あの子、あたしのこと大好きだもの」
ひらりと手を振って、は歩き出す。イタリアエリアに帰ろうとするその姿に鬼道が駆け寄りたそうにしていたけれども、不動がフォーメーションの確認のため声をかけたためにそれも出来ない。性質の悪そうな笑みを浮かべていることから、不動はおそらく確信犯なのだろう。うわぁ、あいつらまた喧嘩しそうだなぁ、と円堂は思わず眉を下げる。けれど彼は「あのさ!」と立ち上がり、の背に声をかけた。
「オルフェウスとの試合、楽しみにしてる! 今度は俺たちが勝つからな!」
「受けて立つわ。あたしのチームはそう簡単にやられないわよ?」
バイバイ、と去っていく後ろ姿を見送り、話が出来て良かった、とやはり円堂は思った。感情を理解することは出来ないし、今までの行動を許せるのかと言われたらきっと許せないのだろうけれども、それでも今後は正々堂々と相対することが出来るだろう。彼女の指揮の下、オルフェウスはより一層強くなるに違いない。それを考えれば興奮に身体が震える。
「よしっ! 練習だ!」
グローブを掴んで円堂はフィールドへと駆け出した。何だか嬉しくって堪らなかった。
円堂! おまえ、総帥と何を話してたんだ!
2011年9月16日