過去も未来も抱きしめて、いつかあなたとひとつになれたら
がちゃ、とふたつの音が重なったのは偶然だった。フィディオは次の試合に備えた相談がしたいと部屋を訪れただけだったし、はシャワーを浴びてバスルームから出てきたところだった。汚点があるとするならば、フィディオはノックをしたけれども返答がなく、鍵が開いていたから扉を開けてしまったことで、は鍵をかけ忘れてシャワーを浴び、下着をつけずにバスタオルだけを羽織って出てきてしまったことだろう。双方きょとんとした顔で互いを見つめ、思わずその場に直立する。しかしフィディオはまだ十四歳の少年で、そしてはすでに様々な経験を経てきた大人の女だった。だからこそ苦笑して、彼女は悪戯に告げてやる。
「なぁに? 見惚れるほどのナイスバディかしら?」
「っ・・・! す、すすすすみませんっ、俺・・・! あ、あああの、わざとじゃなくて!」
「分かってるわよ。次の試合のことでしょ? 着替えるから待っててくれる?」
「はい!」
ぐりん、とともすれば勢いが付きすぎて三百六十度回転しそうになってしまったが、フィディオは根性で半分で留めた。強く反転しすぎたため踵が痛い。だが、それ以上に問題なのは高熱を帯び始めた頬だ。触らなくても分かる。熱い。今の自分は真っ赤な顔をしているのだろうと、鏡を見なくてもフィディオには分かった。だって、まさか想像もしていなかったのだ。尊敬する監督の、一糸纏わぬヌードを目にしてしまうだなんて。
駄目だ駄目だと被りを振りつつも、思い返してしまうのは少年の性だろう。いくら「白い流星」と呼ばれてイタリアでは女の子に大人気なフィディオであっても、やはりひとりの少年なのだ。可愛い女の子を見ればいいなと思うし、綺麗なお姉さんを見れば素敵だと思う。だがしかし、身近な存在はやすやすと想像を超えてフィディオに衝撃を与えた。
バスタオルに負けず劣らずの、白い透き通るような肌だった。入浴後の火照りが滲み出るような、匂い立つような色香だ。スリッパをつっかけていた足の爪は意外にも無防備に素の色を晒していて、そういえば顔も当然ながら化粧をしていなかった。だからか、どこかあどけなく感じてしまったのは。長い睫毛が瞬きを繰り返し、冷静な指示を与える瞳は夜を思わせるつぶらな黒。首筋から鎖骨に繋がるラインはまるで絵画のように完成されており、バスタオルでも隠し切れない大きさの胸は、つんと上を向いていた。頂のその色さえ思い出してしまって、フィディオの羞恥が一層と募る。その間も背後では、が衣服を纏っている音がするから尚更だ。腰は見事なくびれだった。ちょこんとついた臍さえセクシーで、滑らかなヒップのラインは目が暗むほどのエロティック。太腿は瑞々しい張りに満ちていたし、その付け根の茂みはやはり日本人だから黒く、床へと落ちようとする水滴が否応にも別の蜜を思わせた。正直な話、十代の少年には酷とも言える極上の肢体だ。フィディオでなかったら、少しでも理性の暴走を許してしまうような男であったら、今すぐに押し倒して貪ってしまうだろう妖艶さがそこにある。ごくり、唾を呑み込んだ音はフィディオ自身にも分かるほどに興奮に満ちていた。それでも欲望を抑え込もうとしているのは、が彼にとって尊敬する監督であり、そして。
―――彼女の身体を切り裂くように、大きな傷が、無数の傷跡が刻まれていたからだ。
「・・・あ、の」
絞り出した声は掠れた。対戦チームのデータを持つ手が、がさ、と音を立てた。早鐘のように心臓が震える。
「何?」
「その、傷は・・・」
「ああ、これ?」
返るの声音はいっそ平坦だ。フィディオの動揺が分かっていないのか、分かっていても無視しているのか、常と変らないトーンで答える。
「事故の傷よ。大層な手術だったらしいから、こんなに痕が残っちゃって」
「もう、痛まないんですか」
「雨の日は少し疼くけど、他はもう平気ね。醜いでしょ? 後悔はしていないからいいけど」
監督が事故に遭った。警察署に入るところを、暴走車に撥ねられて、今は病院で、手術の最中で、命は、危ないかもしれない。イタリアエリアの合宿所で、そう聞かされた日のことが蘇る。嘘だろう? オルフェウスの誰もが言葉を失った。今までは散々汚い手段で勝利を掴んできた監督だと聞いていたけれど、それでも彼女の指導者としての手腕は信じられる。信じてイナズマジャパンと戦い、彼女に着いていこうと皆で決めた矢先のことだった。あのひとを、喪う? そんな、まさか。世界が暗んだその瞬間は、フィディオが二度と体験したくはないと感じている一瞬だ。
無意識がフィディオを動かした。静かに半身を返す。背を向けてシャツを羽織っているは気づかない。頭を巻いていたバスタオルが外されると、水分を含んで固まったブロンドが無防備に肩へと散らばる。その地毛が本当は黒なのだと知ってしまった。一歩、近づく。一回り以上年の離れた彼女が、何故だかやけに華奢に見える。一瞬でも視線を離したら、その間に失われてしまいそうな、そんな儚ささえ覚えてしまった。
「フィディオ?」
いつの間に背後に来ていたのかと、目を瞬いてが振り返ろうとする。けれどその肩に両手を添えることで、フィディオは彼女の行動を阻止した。掌の下、シャツ越しに感じる。フィディオの手はきっとこれから先、まだまだ大きくなるだろう。けれどはきっと、もう大きくはならない。彼女はフィディオと同じスピードで成長しない。時を隔てた大人なのだ。いつか先に、失う日が来る。そう思ったらもう止まらなかった。
ブロンドを掻き分けて、そのうなじに唇を寄せた。ぴくんと、掌の中の肩が跳ねた。鼻先をくすぐるシャンプーの淡い香り。シャツの襟元を噛んで、空いた隙間からそっと指先を滑らす。引いてずらすことで覗いた肌は処女雪のようで、盛り上がり引き攣った傷跡にも唇で触れる。舌先で辿れば、どうしてか甘い味がした。唾液を擦りつけるように、何度も何度も舐め上げた。吸い付けば、じゅ、と濡れた音がする。浮かれたように止まらない。
「・・・醜くなんかない」
白い肌にいくつもの赤い跡を刻んで、フィディオの吐き出した息は熱い。
「あなたは、綺麗だ」
細い身体を抱き締める。
鬼道さんが飛び込んできてレッドカードを突き付けそうだ。
2010年12月26日