そこに愛はない
「総帥、雷門の連中を連れてきましたよ。あんたの望み通りに」
権限として許されている、この潜水艦の中で最も高みに位置する部屋へ、不動は足を踏み入れた。途端にふわりと香る香水に、脳内の奥が痺れていくような感覚を覚える。とろり、意識が泳ぐ。しかし不動は、この香り自体に何か特別な効能が含まれているわけではないことを知っていた。つけている人間の問題なのだ。フェロモンと言ってもいい。意識だけではない、心を、身体を、誘惑して離さない女。一面ガラス張りになっている窓の向こうには、開かれたフィールドを見下ろすことが出来る。玉座のような椅子の隣に立ち、不動は話を続ける。
「この後は予定通り、あいつらをぶっ潰しちまっていいんですよね?」
「ええ、構わないわ」
「鬼道クンはあんたに会いたがってるみたいですけど」
「会う価値もないわ。安穏に堕落しきったプレイヤーなんて、あたしの求める選手じゃないもの」
肘を立てて頬杖をつき、は冷ややかな眼差しでフィールドを見下ろしている。小さく見える鬼道の影は、マントとドレッドが目印となってとても見つけやすい。四方を見回しているその様は、間違いなく目の前のこの女を探しているのだろう。くつり、愉悦に不動は唇の端を上げた。
「ねぇ、そーすぃ? あんたの遊びに付き合ってあげてるんですから、俺もご褒美が欲しいんですけど」
「ご褒美?」
「そ。例えば、この試合で俺たち真・帝国学園が、雷門に勝ったら」
椅子に一歩近づく。ようやく顎を逸らすようにして顔を上げたと視線が絡む。正しくカールされた睫毛、赤く色づけられた唇、細い首から伝った先の鎖骨の形、そして惜しげもなく晒されている豊満な谷間にそそられない男などいやしない。ピンヒールを脱がして、ストッキングを破り捨て、そのむっちりとした太腿の奥を暴いてしまいたい。不動はいつだって、己の欲望に従順だ。
「―――やらせろよ」
何を、なんて言葉にしなくても視線が物語るし、何よりこの影山という女は今まで数え切れないほどに同じ台詞を投げかけられて来ただろう。だからこそ驚く様子も見せずに、その瞳はただ不動だけを見上げる。手を伸ばし、その顎に指をかけた。このままその胸を揉んでやろうか。指の合間から零れ落ちるだろう柔肉を思い、ぞくりと不動の中の獣が疼く。
「・・・いいわよ」
鮮やかな口紅に彩られた唇を動かし、は笑った。動いた指先は己の顎に絡みつく不動の指先を取り、彼の胸へと押し返す。
「勝ったら一晩、あたしを好きにしてもいいわ」
ひゅう、と不動は心底喝采の口笛を鳴らす。
「嘘じゃねぇだろうな?」
「もちろん。たまには釣った魚にも餌をあげなくちゃね」
「言ってくれるじゃねぇか。見てろよ。すぐに雷門なんか負かせて、あんたをひいひい言わせてやるよ」
「楽しみにしてるわ」
ひらひらと手を振られて、まるで子供扱いだったけれども、目の前にぶら下げられた褒美に暗んでいる不動は気づかない。彼が去っていく気配を背中で捉え、扉が閉まると同時に再びひとりになった室内では笑む。もし不動がその表情を見ていたら、きっと己の器というものを身に染みて学んだだろう。酷薄な、美しいからこそ残虐な憐みだ。幾度もの修羅場を乗り越えてきたからこそ出来る顔で、は笑う。
「馬鹿じゃないの? あんたごとき二流が、あたしの育てた最高傑作に勝てるわけないでしょ」
ねぇ、鬼道。母性すら感じさせる声音で、はフィールドに手を伸ばす。触れるはずのない距離で、その小さな姿を指先で弾いて、くすくすと堪え切れないように声を挙げた。馬鹿な子供たち。憎しみを混ぜ合わせて女は笑う。
どう考えても不動さんがチャレンジャーすぎる件について。
2010年12月26日