著者近影
文芸部の部室は部室棟の二階、階段から三番目のところにある。窓が南側に面しており、比較的好条件の位置取りだ。それもそのはず、公的な名誉さえ得ていないものの、部員の多くは進学後の高等部でも同じく文芸部に属する者が多く、そして氷帝学園高等部文芸部といえば出版業界では名の知られた存在だ。多くの直木賞作家や芥川賞作家を輩出しており、部員数は決して多くないけれども確かな才能をその内に秘めている。中等部文芸部部員は言わばそんな未来の文豪の卵たちであり、彼らの氷帝内における地位は決して低くはないのだ。
るんたった、るんたった。足取りを擬音で表現するのなら、それ以外にないステップで、花園聖子は自身の統率する文芸部の扉を開いた。四角く机が並んでいるのが、席についているのはただひとり。基本的に文芸部は週に一度のミーティング以外で部員全員が揃うことはない。もちろん学期ごとの発刊作業前となれば話は別だが、それ以外では好きなときに好きな場所で創作してこそ納得のいく作品が作れると聖子自身が考えているためである。唯一の席についていたのはで、彼女は開いていたノートパソコンから顔を上げると不満に頬を膨らませてみせた。
「聖子さん、遅い。どこまでカフェラテ買いに行ってたの」
「いやぁ、ごめんっすー! ちょっと交友棟の三階まで」
「三階? 一階のカフェテリアじゃなくて?」
「途中でうっかり面白そうなものを見つけちゃって、思わず後をつけちゃったんすよー」
「うわぁ、ストーカーは駄目でしょう」
呆れた眼差しを向けるの隣までやってきて、聖子はカフェラテの入ったカップを彼女の前に置く。砂糖を入れたいけれども、ダイエットを常に気にしているのが女の子でもある。かといって授業を終えた放課後は、やっぱり甘いものが恋しい。結論としていつものように一本のスティックシュガーを半分ずつ分け合って、ふたりはホットのカフェラテをすする。
「で、面白そうなものって?」
ワード文書に保存をかけて、日課のバックアップを始めるに、きらりと聖子の眼鏡の奥の瞳が輝く。
「鳳長太郎、日吉若、樺地崇弘っすよ!」
「・・・またテニス部?」
「そのテニス部二年正レギュラートリオが、週に一度の部活休みの放課後に一体何をしてるのかと思えば、渡り廊下に向かって歩いていくじゃないっすかー。カフェでお茶して帰るのかと思いきや、何故か階段を上に登るし。そのくせ上がりきらずに踊り場で止まって、彼ら、何を始めたと思います?」
ぴっと指を立てる聖子に、は首を傾げる。交友棟など一階の購買やカフェテリア、二階の喫茶などはよく利用するが、三階より上はディスカッションルームや講堂だったりと足を踏み入れることは余りない。しかも階段の途中で足を止めるようなものが交友棟にあっただろうか。記憶を探って、は考える。以前に三階以上に足を運んだのは、一体いつだっただろうか。ぐるぐると考えていると、脳裏にはちゃんと階段やディスカッションルームの光景が浮かんでくる。つまりは過去にそれだけ、校内を歩き回ったことがあるのだ。作品を書くのに必要な作業として。だから彼女はきちんと思い出した。まさか、と瞬いた瞳を察して、聖子がにやりと笑う。
「そうっすよ! 彼ら、4時44分44秒に合わせ鏡をやったんっすよー! 踊り場にある大鏡と、日吉君の小さな手鏡で! もっちろん反転世界に引きずり込まれたりなんかしなかったっすけど、いやぁ本気でやるところが可愛いじゃないっすか! お姉さんめろめろっすー!」
「っていうか、何で今更『怪談学園』・・・? あれ、一年のときに出した本だし。日吉君って、最後の一冊を受け取った日吉君だよね?」
「懐かしいっすねー。あの頃はテニス部レギュラーでもなくて、ぴよぴよの一年生で。文芸部の部室に殴りこんできて『この本が欲しいんですけど!』って『怪談学園』を机にたたきつけたのは忘れられないっすよ」
「当時の部長に本の扱い方について一時間説教されてたっけ」
「どうやらテニス部では今、ブームが来てるみたいっすね。発端は言わずもがな忍足君でしょうけど?」
「勘弁してよ・・・」
げんなりとは項垂れたが、これでも文芸部部長の聖子は知っている。図書館で最近全く姿を見ない、の既刊本。司書に尋ねてみれば、忍足侑士が借りて返して借りてを繰り返しているらしい。それすなわちストレートに考えて、本はテニス部レギュラーの間で回し読みされているのだろう。喜ばしいことだが、ずっと借りられていると他の生徒の読む機会が減ってしまうので、もう少ししたらストップをかけるべきだと聖子は考えている。こういった雑務をこなすのは部長である彼女の役目であり、そして何より作家ではなく編集者を目指して文芸部に籍を置いている者の役割だ。作家は言葉を紡ぐことだけに心を割いていればよい。うんうん、と聖子が頷いていると、はぺろりと自身の唇を舐めた。
「でも本当に反転世界に行きたいなら、明け方に合わせ鏡をしなくちゃ駄目だよね。放課後は正式には16時44分44秒だもの。本当の4時44分44秒は朝にしか来ない。だから合わせ鏡は朝にやらなきゃ」
「早朝に学校に生徒がいる理由を思いつかなくて、当時のさん、凄い悩んでたっすねー」
「ああ、それは今でも悔やんでるよ! 合宿とかも考えたけど、だけど日常の中からラインを超えなきゃ意味ないんだもの! あああ、もう何で4並びは早朝なの・・・!」
「お疲れ様っす」
カフェラテのカップを握り締めて、一年以上前の作品については未だぶつぶつ言っている。徹底と納得と完璧な辻褄を散りばめることを身上としている彼女は、実は自らが書いた『怪談学園』に不満があるらしい。パソコンに突っ伏すのさらさらと揺れる黒髪を眺めて、聖子は楽しそうに笑った。とりあえず次にもし音楽室やその他の場所で『怪談学園』ごっこをしているテニス部員を見つけたら、朝にやらなきゃ意味ないですよーと教えてあげなきゃっすね、と考えながら。
聖子さんは、作家ではなく編集者志望。
2010年4月25日