怪談学園(1)





忍足が「そこにいるひと」に多大なる感銘を受けたその日から、氷帝学園男子テニス部正レギュラーの部室には、「忍足侑士推薦図書」としての既刊八冊が置かれるようになった。配布分はすでに終了しているため、それらはすべて図書室から借りているものである。返却期限が迫れば一度戻し、その足で再度八冊借りてくる行動はもはや奇行と呼べるだろうと日吉若は考える。しかしそんな彼は忍足よりも以前から、実は約一年前からのファンなのである。
「俺は、この人の本の中なら『怪談学園』が一番好きだ」
「『怪談学園』・・・まだ読んだことないなぁ。確か宍戸さんが今読んでて」
「あの人、ホラー大丈夫なのか?」
「・・・・・・得意じゃ、ないはずだけど・・・。そんなに怖い話なの?」
「題名からして怪談話だろうが」
当たり前だろうと日吉が鼻で笑えば、鳳はホラーが得意ではない、むしろ苦手らしい尊敬する先輩を思ったのか頬を引き攣らせる。そういえば昨日の部活の後、ページをめくっている宍戸の横顔は心なしか青褪めていた気がする。しかし途中で放り出したら余計に気になる、むしろ放り出す気にもならないほど引きずり込む話運びをするところが逆に恐ろしい件の著者、だ。日吉は自身の鞄を漁ると、和風のキルティングで作られたブックカバーに包まれている本を取り出した。
「これが『怪談学園』だ」
「え? 図書館のは宍戸さんが持ってるから・・・もしかして日吉、これって限定三十冊のうちの一冊!?」
「ああ」
ふふん、と日吉は自慢げに笑う。実際にそれは自慢以外の何物でもなく、向かいの席の鳳は「うわぁうわぁ」と言いながら、丁寧な手つきでその一冊を持ち上げた。ここで乱暴に扱ったりしないところが、日吉と鳳の交友関係が幼稚舎より継続されている理由でもある。
「『怪談学園』は、さんが一年生の三学期のときに発刊した本だ。俺は中等部に上がってすぐにこの本を図書館で読んで、そのまま文芸部に足を運んだ。そのときに貰ったのが、最後の一冊だったこの本だ」
「日吉、学園七不思議系好きだからなぁ。どんな話なの?」
「交友棟の三階の踊り場にある大鏡、知ってるか?」
「知ってるよ。結構古いやつだよね」
「放課後の4時44分44秒に、あそこでたまたま合わせ鏡をしてしまった男子と女子が、反転世界に引きずり込まれて、学園の怪談を否応無しに体験する破目になる話だ」
合わせ鏡ってのは、二枚の鏡の間に自分の姿を映すってやつだ。互いの鏡で映しあうから延々と回廊みたいになって、それが異世界への入口に繋がるってのはよくある話だよな。まぁこの生徒たちは、携帯電話のカメラ機能がその役目を果たすんだが。
常にはなく饒舌に語る日吉は本当にホラー系が好きなのか、それとも心底「怪談学園」のファンなのか。下克上を謳う目は嬉々としてきらきらと輝いているし、心なしか口調もうきうき感でいっぱいだ。日吉もやっぱり中学二年生なんだなぁ、と心中でほのぼの考えている鳳も含め、彼らが年相応に見られることは余りない。
「反転世界では、すべてが反転しているんだ。場所はいつもと同じ校舎なんだが、廊下の曲がり角とか、掲示物の文字とか、すべてが鏡に映したかの様に反転しているから、すぐにふたりも異変に気づく。何か可笑しい。そう思って教室を出ようとしたら」
「したら・・・?」
「ドアを開けたそこに、生物室の人体模型がいるんだ」
もはやその状況を想像しただけでホラーだ。間違いない。宍戸は読めない。読めないはずなのに懸命に読んでいるだろう先輩を思い、鳳は心の底から尊敬を抱いた。宍戸さん、俺、一生あなたに着いていきます! 放課後の部活でそう叫ぶと決めた。
「自分たちと同じ背丈の、半分が筋肉と内臓が丸見えの人形。悲鳴どころの騒ぎじゃない。別のドアから逃げ出せば、がちゃがちゃと変な音がしてどんどん自分たちに向かって近づいてくる。振り向いちゃいけないと分かっているのに、恐怖とほんの僅かの好奇心で振り返ってしまえば、そこには無表情のまま自分たちを追いかけてくる人体模型の姿。必死に音楽室に逃げ込めば、今度は血の滴るピアノと引きずり込もうとするベートーベンの肖像画だ。凄いぞ、この本は。メジャーな学園七不思議はすべて網羅している」
「トイレの花子さんとか、十三階段とか・・・?」
「少しアレンジしてあるのが、また面白い。グラウンドでは自分の生首でサッカーをしている生徒たちだとか、プールは引きずり込むどころか水が浸食してくるパターンだし、随所にテケテケやらヒキコさんやら入ってるのが更に興味深くて」
そこまで言うと口を噤み、日吉は鳳へとキルティングのブックカバーに包まれている本を押し付けた。
「後は読め。俺はこの本を読んで、交友棟の大鏡の前で4時44分44秒に合わせ鏡をしてみたくらいだ」
「ええっ!? だ、大丈夫だったの!?」
「残念ながらな。とにかく著者が氷帝の生徒だからか作中の校舎の作りが氷帝と同じで、それもまた面白いぞ。本館の西階段を上がるときには十三段あるのか数えるようになるし、家庭科室に行けば包丁はちゃんと管理されているのかチェックするようになる」
「・・・・・・日吉。俺、ホラーあんまり得意じゃないんだけど・・・」
「さっさと読め。その後で『怪談学園』名所巡りだ。事細かに解説してやるよ」
にやりと唇を吊り上げる日吉に、別の意味で唇を引き攣らせる鳳。しかし手渡されてしまった本はが書いたものなのだから、やはり面白いのだろう。「そこにいるひと」は鳳にとって今まで読んだ恋愛小説の中で最も印象強い一冊になっているし、別の本もまた心に残る話ばかりだから、きっとこの「怪談学園」も比類するに違いない。先輩の書くホラーは本当に怖そうだ、と鳳は思った。件の先輩のことなんて全く知らないけれども、ひしひしと嫌な予感がして堪らない。しかし鳳は好奇心に負け、最初のページを開いてしまった。
読み終えた後、彼はこう語る。男子トイレにまつわるエピソードがなくて本当に良かった、と。





日吉が所持しているのは「怪談学園」のみです。宍戸は誰かに傍に居てもらいながら必死に読んだ。
2010年4月25日