先輩っ」
朝練へ行く途中、声をかけられて振り向いた。
見れば二軍の部室から出てきた部員が、の方を向いて立っている。
高い身長に見覚えがあった。
「―――おはようございますっ!」
腰から曲げられた勢いのある挨拶に面食らって、けれどは小さく笑う。
ラケットを持っていない方の手を軽く振った。

「おはよ、鳳」

パァッと明るい笑顔を見せる後輩に、は少し照れながらも笑い返した。





48:ゲッシュ





「最近、一年にずいぶん懐かれとるみたいやな」
昼休み、暖かくなってきた屋上で食べている中、忍足がそう話しかけてきた。
今日は学食のテイクアウトメニューを試していたは、麻婆丼を食べながら苦笑する。
忍足にそう言われるだけの心当たりがあるからだ。
「二軍の鳳やったか? まるで犬みたいにに懐いとるやん」
「・・・・・・俺、何かしたのかな」
「鳳はのプレースタイルに憧れてるみたいだぜ? この前そんなこと言ってた」
メロンパンを食べ終えて言う向日は、氷帝の初等部にいた頃から鳳のことを知っている。
大体が幼稚舎から持ち上がってくるこの学校では、上下に知り合いがいる生徒が多い。
や忍足などの外部組はそういう関係がないので、情報面には疎い面もあった。
「俺のプレースタイル? そんな憧れるほどのものじゃないと思うけど」
体力がないので相手を策に嵌めて、ゲームをイーブンに持ち込む。
頼れるのはコントロールと、それを最後まで持続させる集中力のみ。
体格に優れた鳳が自分の何に憧れを抱くのだか分からなくて、は首をかしげた。
「アイツはアレだろ。コントロールが下手だ」
宍戸が焼きそばを食べながら言う。
テニス馬鹿な彼の見解をは信頼しているので、なるほど、と頷いた。
「鳳のヤツ、この前が謹慎になったとき、騒いでた一年に怒鳴ったんだぜ?」
「・・・・・・え?」
「それは俺も聞いた。『先輩が一方的に暴力を振るうわけない』って言ったんだろ?」
「愛されとるなぁ、
冷やかすように笑われて、目を瞬く。
そういえば、謹慎明けで部活に出てきたとき、が予想していた冷遇は全くといっていいほどなかった。
言いがかりを受けたとはいえ先輩を殴った自分に、周囲は何かしら言うなり何なりしてくるだろうと思っていたのに。
そんなことは全然なく、かえって拍子抜けしたほどだった。
それはきっと、がいない間に山城がテニス部を退部していたということもあるのだろう。
騒動に間接的に関わりのあった榊ではないにしろ、跡部かジローが何か言ってくれたのかと思っていたのに。
「・・・鳳だったんだ・・・・・・」
嬉しい、とは純粋に思った。本当に、テニス部員たちに弾かれても仕方ないと思っていたから尚更のこと。
憧れという言葉では片付けられない好意を示してもらった。
今度お礼を言っておこう。はそう思う。



予鈴のチャイムが鳴り響いたので、ゴミやら何やらを持って立ち上がる。
跡部は基本的に学食で昼をとっているので、寝転んでいたジローを起こす。
向日や宍戸がさっさと扉から校舎内に入っていき、フラフラとした足取りでジローもそれに続いて。
も忍足と並んで階段を降り始める。
「なぁ、。ずっと聞きたかったんやけど、ええ?」
「何だよ、改まって」
「自分、前に『嫌なら嫌って言え』っていうたやろ? 『言わないと伝わらへん』って」
「―――うん」
それは約一年ほど前、夏休み直後にが忍足に言った言葉。
あのときはとても歯痒くて、力になりたくて必死だった。
「あれからずっと思っとったんやけど」
忍足の声が階段に響いて。

「・・・・・・自分もしかして、『言いたいのに言えへん』状態やったことがあるんか・・・?」

かつての忍足自身がそうだったように。
言いたいけれど言えない。心の悲鳴が無意識の内に押し殺されて、何も感じなくなってしまう。
執着も熱望もなく、ただ笑うだけしかない状態に。
苦しくて痛くて、自分の存在が分からなくなってしまう、そんな状態に。
がなったことがあるのではないかと。
忍足は、そう聞いた。

息を呑んで、は忍足を見上げる。
階段の途中で見下ろしてくる相手は、同情も哀れみもその瞳には映していない。
前を歩いていたジローが、踊り場で静かに足を止めた。
二人の視線を受けて、は微かに俯き、そして顔を上げる。
ゆっくりと、まるで花の綻ぶように。
は、笑った。

忍足とジローが息を止めて、目を見張った。





2006年10月20日