が先輩を殴ったという噂は、瞬く間に氷帝中に広がった。
テニス部のグレードは毎回それなりの話題を持っているが、今回は殊更に。
敗れた者が勝者に恨みを抱くのは少なくないことだが、それが表面化するのはあまりないからだ。
それが起こり、しかもが殴りかかったという事実は、生徒たちを騒がせるに十分だった。
当のは部活謹慎中の三日間、授業さえも出席せずに学校を休んで。

主のいない机と椅子が、周囲の視線を集めていた。





47:ALL OF ME





――――――どうしよう。
湧き上がってくる不安を抑えきれずに、は肩にかけているテニスバッグを握り締めた。
部活の謹慎が明けた翌日。結局今日も、は授業に出なかった。
生徒たちの好奇の視線に晒されるのが嫌だったわけじゃなく、ただ部屋を出ることが出来なかったのだ。
・・・・・・部活に行くのが、怖くて。
同じテニス部員に何か言われるのが嫌なんじゃない。ましてや山城に会うのなんて言うまでもない。
怖いのはそんなことじゃない。
『その女みてーな顔で榊監督に取り入ってるくせに生意気なんだよ!!』
・・・・・・その言葉が、まだ忘れられなくて。
はきつくバッグを握り締めた。ホームルーム終了のチャイムが鳴る。
部活の時間が、来る。

榊に会うのが怖い。



女みたいな顔、と正面きって言われたのは、意外にも氷帝に入学してから初めてだった。
私服のときは男にナンパされたりもしたけれど、校内では制服かジャージだから間違われることもない。
だからこそ、暴かれるのではないかと思った。ジローのように、山城も気づいているのではないかと。
・・・・・・・・・その考えは、どうやら違ったようだけれど。
瞬間のことを思い出せば、今でも心臓がうるさく音を立てる。
あのときのナツメのスーツと同じように、今はジャージの胸元を握り締める。
グレーと、白。ラインの入ったそれはの誇り。
氷帝学園テニス部員であるという、譲れないプライド。
・・・・・・けれど。

それが、榊の迷惑になってしまうのならば。

怖い。足が震えて、崩れ落ちそうになるのをは必死で堪える。
だけど、それほどまでにすべてだから。
榊の言葉がなければ、自分はこんなに強く生きてこれなかった。
――――――強く、そして自由に。



あの人が私に力をくれた。



自然と俯いてしまっていた視界はアスファルトに占められて。
その中にゆっくりと割り入ってきた皮靴を、は何故か当然のように眺めた。
自意識過剰なんかじゃなく、本当に自然に。

辛いときにばかり、来てくれる人だから。
「準レギュラーへの昇格は取り消しだ。一軍からやり直せるな?」
断定的に聞いてくれるのは、少しでも期待されていると思ってもいいのだろうか。
引き寄せられるように顔を上げていく中、スーツの向こうに同じジャージを着ている生徒たちが見えた。
顔は見えないけれど、それが誰だかは判って。
何だかジローが泣きそうな顔をしている気がする。忍足や向日は心配そうな、跡部と宍戸は怒っているような、そんな気がする。
・・・・・・心配させてしまった。
背を伸ばし、は顎を引く。この三日で泣きはらした目はまだ赤く、山城に殴られた頬は痣を残しているけれど。
精一杯胸を張って、今出来うる限りの強さを示して。
「よろしくお願いしますっ!」
榊に向かって頭を下げた。
新たな決意を胸に。



前に進む勇気を、みんながくれた。





2006年2月21日