鳳長太郎は走っていた。
「日吉、早く! きっともう始まってる!」
「・・・・・・別に俺たちの試合じゃないから大丈夫だろ」
「でも先輩が出るから!」
日吉若とそんな会話をしながら、けれど足は止めない。
新入部員を含めた各軍のグレードがすべて終わり、日吉の言うとおり今日は二人の試合はない。
一軍の上位六名が準レギュラーに挑戦し、準レギュラーが正レギュラーに挑戦する。
今日はその観戦が部活の主だった。
掃除当番で遅くなってしまった分を挽回するかのように光速で着替えを終えて、今日はラケットも持たずに部室を出る。
―――歓声の上がっている、ハードコートへ走る。



辿り着いた侵入部員の前では、彼らにはまだ出来ない、レベルの高いゲームが繰り広げられていた。





43:虚空に咲く華





「――――――くっ!」
ボールに向かって走るのは、準レギュラーである三年生だ。
はそれをセンターマークで構えて鋭く睨む。
相手が打ち返してくるのと同時にステップを踏んで走り出し、今度はさきほどと逆のコーナーにリターンを決める。
スピードは目を見張るほど速いわけではないが、それでも確実にライン上にボールを乗せるコントロール。
それは鳳を感嘆させるには十分すぎた。
「・・・・・・すごい」
ポツリと零れ落ちた呟きに、日吉は冷静に茶々を入れる。
「おまえはノーコンだからな」
「・・・・・・日吉はフォームがめちゃくちゃだろ」
「・・・・・・・・・」
ムカッとして鳳が言い返し、ピクッと日吉が肩を揺らして反応する。
互いに不機嫌になって黙り込むが、いつものことなので特別どうすることもない。
それ以前に、鳳は目の前で行われている試合に魅入っていた。
「・・・すごい・・・・・・」
完璧に近いのコントロールに、ただそれだけしか言うことが出来ない。



数日前、鳳たち一年がテニス部に本入部を決めた際、部長の跡部自らコートの案内をしてくれた。
一番最初に案内されたのは設備のしっかりしたコートでも部室でもなく、校舎の裏。
緑ではなく砂のコートでは、鳳たちの先輩に当たる二・三年の部員がラリーやスマッシュ練習に励んでいた。
「ここがクレイコートだ。一・二・三軍はここで練習してもらう。それが嫌ならさっさと辞めるなり昇格するなりするんだな」
跡部の言い方はどこまでも横柄だけれど、彼はそれに相応しい威信と風格を持っている。
部長である跡部に下克上を誓う日吉を他所に、年が一つ違うだけなのにすごい、と鳳は純粋に思った。
そして、そんな跡部は彼らに部員の一人を指差して見せた。
一軍専用のコートでラリーをしている先輩は黒髪に細身の身体で、強豪のテニス部にしては珍しいタイプ。
彼を示して跡部は言う。
「アイツはだ。フォームは基本に忠実で、コントロールが優れてる。その分体力はねぇけどな。フォームに気になる点がある奴はアイツを見とけ」
そう言って紹介された相手に見覚えがあることに、鳳はようやく気づいた。



問答無用に近いコントロールで、相手をコートの左右に走らせる。
確実に体力を奪ってはいるが、自身も息を切らしていた。
ゲームカウントは5-4。リードしているがこのまま逃げ切れるかどうかは、少し微妙だ。
何せ相手は氷帝テニス部準レギュラー。油断すれば必ず逆転されてしまう。
「・・・・・・本当に体力がないな」
だんだんと走るペースが落ちてきているを見て、日吉が呟く。
「だけど、先輩はその分をコントロールで補ってるんだから、十分すごいじゃないか」
「鳳。おまえ、本当に先輩贔屓だな」
「別にいいだろっ! ・・・・・・憧れなんだから」
微かに頬を染めて、鳳が照れを隠すように乱暴に言った。
テニスコートでプレーをしているは、まるで精密機械のように正確なコントロールを決める。
それはノーコンと言われて否定できない鳳には決して持ち得ないものだ。
あの細い体で、この氷帝男子テニス部を渡っていっている。
見ているだけで励まされ、自分も頑張ろうという気になってくる。
のその姿勢が、存在が。
「・・・・・・綺麗・・・」
すべて、鳳の憧れて止まないものだった。



サーブに、リターンに、プレーの全部に引き寄せられる。
勝利が近づいてくる度に手の平をきつく握って、相手が差を縮めてくる度に唇を噛む。
自分が試合しているわけではないのに、鳳は額に汗が浮かんでくるのを感じた。
だけど、コートのはそれ以上に眩しくて。
――――――この人と、テニスがしたいと思う。



「ゲームセット! ウォン・バイ・!!」
最後まで落ちなかったコントロールでコーナーを抉ったボールを見送り、審判の部員が高らかに宣言した。
ワァッと歓声が上がり、鳳も声に出して喜ぶ。
コートの中のは全身汗だくになっていて、まだ己の勝利の実感が湧かないのかボーっとしていて。



敗れた三年生の、ラケットを投げ捨てる音がした。





2005年7月17日