ポン、ポンと手の中のボールを弾ませる。
今日もうすでに2試合終えている体は、いくら休息を取ったとしても完全に回復することは無い。
ダルさを残している自分自身を、それでも鼓舞してコートに立つ。
ネットを挟んだ向こう側にいるのは、向日岳人。
いつもは共に笑い合っている彼も、今は倒すべき相手だ。
親しさなど欠片もなく、二人はテニスプレイヤーとして対峙する。



大きく息を吸い込んで、はボールを放った。





36:左手で掴む栄光





『シングルスは、何人でやるものだか知っているか?』
返されてくるボールに駆け寄りながら、は榊の言葉を思い出す。
ラケットを振りぬいて相手コートに返した。
『・・・・・・一人じゃないんですか?』
そう答えたに、榊は落ち着いた笑みを更に深めたものとして。
『そう。確かにシングルスは一人でやるものだ』
当たり前のことを、当たり前のように言って、そして告げる。



『だが、コートには二人の人間が立っている。この意味が分かるか?』



「ポイント・向日! 30-0!」
審判が得点を宣言する。はそれをどこか遠くで聞いていた。
榊の教えが、ただ頭の中で回っている。
シングルスは一人でやるもの。だけどコートには二人の人間が立つもの。
榊は確かにそう言った。至極当然のことだとは思う。
だけどあの人はそんな当たり前のことをわざわざに教えるような指導者ではない。
だから意味があるのだ。絶対。
「ボーっとしてんなよ、!」
向日がそれだけ言ってサーブを打ってくる。
条件反射のように打ち返しながら、は榊の言葉を反芻していた。
コートには自分がいて、そして向日がいる。
二人の人間がいるけれど、でも味方は一人。
だからプレーするのも一人な筈、なのに。



ボールを追いかける足が重い。
一日に三試合もやるのは無理だ。ただでさえには体力がないのに。
このままじゃ、またコントロールを乱して自滅する。
日程は同じだろうに、向日は疲れていないのだろうか。
向日は。
・・・・・・・・・向日は?



『コートには二人の人間が立っている。この意味が分かるか?』



榊の言葉がの全身を駆け巡る。
唐突に気づいた。



テニスコートには自分と、そして相手がいることに。



「・・・・・・のプレーが変わったな」
最初にそう言葉にしたのは、すでに自分の分のリーグ戦を終えた宍戸だった。
隣で同じように観戦をしていた忍足が、笑みを消してコートを見つめている。
ついさっきまで、この試合は向日が完全に主導権を握っていた。
けれど、それが今は。
「向日が走りまわされてる。これじゃ体力の消耗が今までの比じゃねーぞ」
「・・・・・・はコントロールがめっちゃええからな。コーナーも確実に狙うとる」
「相手を前後左右に振ることで、自分だけじゃなく相手の体力も削らせる。無謀だけど技術がなきゃ出来ない」
「せやな」
眺めるコートでは、一転してペースを乱されている向日。
そして、正確なコントロールで主導権を握った
スコアがイーブンになり、そして覆る。



は一段上に上がったな」



宍戸の言葉を証明するように、がゲームを決めた。
珍しくガッツポーズする仕種が、ひどく印象的だった。





2005年4月24日