追いかける。
足が縺れる。
届かない。
すり抜けていくボール。
――――――無力な自分を感じる瞬間。



「ゲーム・アンド・マッチ! ウォン・バイ・小林!」



自分の名前がコールされないことを、こんなに苦しく思うだなんて。





35:唯一無二





フラフラになった足をどうにか叱咤してコートを出た。
向けられる視線はいろいろな感情を含んでいるけれど、今はそれすら相手にする余裕がない。
どのみちグレードの最中なのだから、周囲の部員はみな敵だ。
だから話すことなんてない。
弱みも決して、見せられない。
崩れそうになる足を引きずって部室の方へ向かう。
けれど部室には行かずに、狭い校舎の合間にある小道を選んで。
誰にも見られないのを確認して、は腰を下ろした。それはもうほとんど、倒れこむのと同じように。
一月の冬。空気が張り詰めるような寒さなのに、火照った身体にはコンクリートの壁が気持ちよく感じる。
「・・・・・・っ・・・」
切れ切れの息が響いて、堪えるように手で押さえた。
疲れきった身体は微かな動作でさえも鈍くなってしまって。
力が足りない。
情けない自分には歯を食いしばってきつく目を瞑った。



三学期に入って、すぐに行われたグレード。
にとっては一年生で最後になる昇格のチャンスだ。
三年生がいない今、テニス部員の数は総勢で170名程度。その中で一軍は約50人。
それを6つに分けてリーグ戦が行われ、各ブロックの成績1位の者が準レギュラーに挑戦する権利を得ることが出来る。
そして最下位の者は、二軍へと降格することになる。
上に行くのなら勝たなくてはいけない。それなのに。



8試合中4戦して、は今1勝3敗。
このままいけば昇格どころの話ではなくて。



コツン、と何かの音がして、は外界を遮断していた瞼をほんの少しだけ開いた。
誰にも会いたくない。こんな姿、誰にも見せたくないのに。
忌々しい相手を睨もうとして、伏せていた顔をわずかに傾ける。
――――――次の瞬間、はハッとして身を起こした。
けれど体力をほとんど使い切った身体は言うことを聞かず、完全に立つことは出来ずにバランスを崩す。
地に伏せる前に、力強い腕がの身体を支えた。
「無理をするな。今日はまだ1戦残っているのだろう。体力を回復しておきなさい」
そう言って、コンクリートの壁に背を預けるようにして、を座らせてくれる。
その人は、間違いなく。
「・・・・・・榊、監督」
信じられないという思いと、情けない姿を見せてしまった思いがの中で困惑して、けれど目を離せずに名を呟く。
スーツとコート、そのすべてがいつもと変わらない姿で、だからこそ榊がこんなところにいる違和感にも繋がる。
そんな感情が顔に出てしまったのか、榊は微かな笑みを浮かべてを見た。
「大分辛そうだな。コントロールでは体力の無さをカバー出来ないか?」
「・・・・・・・・・」
言われたことは事実で、返す言葉もない。
はただ悔しくて唇を噛み締め、俯いた。
敗北した3試合は、すべて長時間に縺れ込み、の体力の無さが祟って負けてしまったものだった。
コントロールは精密機械のように正確だけれど、長引くにつれそれも段々と狂ってくる。
そこを狙われてしまえば、にはすでに手札となる武器も無い。
出来るのはただ、負けるのを少しでも長引かせることだけ。
情けない自分を捨てきれずに、ひたすら駆け回る。
・・・・・・・・・それだけしか、出来ない。

榊の、唯一無二の声が響く。



「シングルスは、何人でやるものだか知っているか?」





2005年1月3日