テニス部の顧問である榊太郎監督は、教師という仕事の合間を縫ってコートに現れる。
ジャージではなくスーツにコート姿で、けれどそれが嫌味なく似合っていて。
冷静な目で部員を見据え、コーチしていく様は指導者以外の何者でもない。
この場にあの人がいるだけで、震えが走る。
07:よろこびの歌
「―――」
背後からかけられた声に、はぞくっと背筋があわ立つのを感じた。
そしてそのまま本能に従って背を伸ばし、直立した態勢のまま踵を合わせて後ろを向く。
予想通りの人影が目に映って、緊張のあまり眩暈を起こしそうだ。
何か言われるのか、何を言ってもらえるのか。
そう考えるだけで頬が熱を持ち、頭の奥がジンと麻痺していく。
そんなを知ってか知らずか、榊はスーツのジャケットからハンカチーフを覗かせたまま言った。
「腕の振りが弱い。もう一歩深く踏み込んでから振り切るようにしなさい。その方が球が力を持つ」
「・・・・・・・・・はぃ・・・っ」
「コントロールは見事だ」
「――――――」
言われた内容が一瞬理解できなくて。
少しの間、頭の中を言葉が回り、そしてようやく落ちてくる。
褒められたのだと気づいたとき、すでに榊は背を向けて歩き出していた。
その後ろ姿に向かって、膝に頭がつくくらいまで深く頭を下げる。
「・・・ありがとうございます・・・・・・っ!」
榊が二軍用のクレイコートから去るまで、はそうしていた。
正確に言えば、動けなかった。
あの人の下でテニスをやるために氷帝へ来た。
家族をはじめとした多くの人に迷惑をかけて。
少女としてではなく、少年として。
認められたくて、来た。
『―――』
名前を呼んでくれた。氷帝の男子テニス部員として。
それだけのことが。
「・・・・・・?」
榊が去った後も頭を下げたまま動かないに、ジローが小首をかしげて近づく。
ネットの反対側でラリーの相手をしていた向日も、同じようにして駆け寄ってきて。
二人しての顔を覗き込み、目を丸くした。
「お、おい!?」
向日が驚きのあまり裏返った声をあげる。
は唇を噛み締めて、ジャージの袖で涙を拭った。
「!? どうしたの? 監督が何かひどいこと言った?」
ジローの言葉には首を横に振って。
ひどいことだなんて、そんなこと一つも。一つも。
心配してくれている友人たちに向かって、は笑った。
あまり上手くなくて、またすぐに涙が零れてしまったけれど。
本当にもう、どうしようもなくて。
忘れないように、失くさないように、きつくラケットを抱きしめた。
涙が心を潤していく。
「・・・うれしぃ・・・・・・っ」
あの人の言葉が、まだ頭の奥で響いている。
2004年4月17日