『戦乱の娘』のその後、慶次が四国にやってきました編。元親の居城を岡豊城に設定しています。





戦乱の娘(四国にて)





ひとたび海を越えれば、そこは四国だ。鬼の住む島。地に足を着いてもどこからか潮の匂いが漂ってきて、国全体をまるで海のように包み込む。地に底はあるのだろうか。海に天はあるのだろうか。己には答えなど分かりようもないけれど、それでも四国の中心は目の前の男なのだと慶次は確かに感じていた。
鬼が島の鬼、長曾我部元親。隻眼は伊達政宗と同じだが、それでも似たようで異なる印象を受ける。月のような銀髪か、立派な体格と上背か。安芸の元就を繊細と典雅で例えるならば、土佐の元親は豪快で明朗だ。対照的な彼らだからこそ、瀬戸内の均衡は保たれているのかもしれない。元就の冷ややかな睥睨を思い返し、今度は慎重に、と慶次は言葉を選んで語った。それでも内容はやはり変わらず、織田信長を討つために、長曾我部と毛利に組んでもらいたいというものだった。話を聞き終えた岡豊城の城主、元親はふぅん、と己の顎を撫でて慶次を見やる。
「おまえ、今の話を毛利にもしたのか?」
「ああ。・・・・・・『信じるに足りぬ』って言われちまったよ」
「はっ! 『値せぬ』じゃなかっただけまだましじゃねぇか。あの野郎ならそれくらい平気で言うぜ?」
「あんたも俺が『前田』を名乗ることが気に入らねぇかい?」
「別に気にしやしねぇよ。前田だろうが織田だろうが、ようはそいつ個人の問題だろ? おまえが本気で魔王を討ちてぇなら、それがおまえの意思ってことだ」
「・・・ありがたいねぇ、その言葉」
身に沁みるよ、と声に本気が滲んだのだろう。思い察するところがあったのか、元親は声を上げて笑う。一挙一動のすべてに男らしさが溢れていて、同性の慶次から見ても惚れ惚れとするほどだ。元親を兄貴と呼んで慕う四国の猛者たちも、きっとこの男気に惚れ込んでいるに違いない。たいしたもんだ、と慶次は心中で感嘆した。
岡豊城は、人の気配に満ちている。それこそ安芸の高松城とは反対で、そこかしこで人の行き交う音がする。廊下を駆ける足音、何か重いものを引き摺る軋み、男たちの野太い声が飛び交い、雰囲気はとても粗雑なのに温かい。これもすべて城主である元親の気質を反映しているのだろう。高松城が元就のそれを現していたように、四国は元親の国なのだ。
女中はいないのか、茶と菓子は出てこない。酒樽が転がっていても可笑しくはなさそうだが、元親の私室であるこの部屋には見当たらず、彼の背後には慶次には何に使うのか検討もつかないからくりの部品のようなものが混在している。そんなところにでさえ高松城との差異を見つけてしまうのは、元就に冷遇されたことが慶次に意識外の鎮痛をもたらしているからだろうか。柄にもない。唇の端を歪めた慶次に、元親は胡坐を組みなおした。
「魔王を討つために各地の武将を集結させるたぁ、おまえもでけぇことを考えたな。でも、それくらいしねぇともう魔王が討てねぇのも事実だろ」
「武田や上杉、伊達なんかはもう終結してる。徳川だって織田包囲網の一端だ。東はもう固まってると言ってもいい」
「そりゃすげぇ。俺ぁ乗り遅れたな」
「そんなことねぇよ。今からだって十分だ。あんたと毛利が組んでくれりゃ、東西から織田を囲い込める」
「そうだろうな。だけどな前田、てめぇは来んのが遅すぎた。今更西から織田を攻めんのは無理なんだよ」
何で、と聞き返した慶次に、元親は隻眼を細める。嫌悪や侮蔑は感じられず、そこにあるのは親愛であり、そして僅かながらの哀れみだった。太い声は低く、それでも響きは硬くない。
「ほんの一月前にてめぇが来てりゃ、俺だってその話に乗ることも考えてやったぜ。だがな、もう駄目だ。少なくとも今すぐてめぇの望むように安土に向かって攻めることは出来ねぇ」
「何でだい? あんたと毛利が組めば西に敵なしだろ?」
「あの野郎と組むなんざ考えるだけで嫌になるけどな。それでもこの一月で、西の勢力図は色を変えた。九州が島津のもんじゃねぇ。織田のものになってんだよ」
あ、と思わず口を開けば元親が笑った。唇の端を僅かに歪めたそれは、決して愉快だからではないだろう。実際吐き捨てるかのように、その声は響きを変える。
「伊達はいいだろうさ。あいつらは北に敵がねぇ。だけど俺と毛利は安土と九州で織田に挟まれてる。うっかり安土に攻め込めば、どうしたって九州に背後を衝かれることになんだよ。かといって両方に兵を裂いて勝てるほど織田は甘くねぇ」
「長曾我部と毛利のどっちかが安土を攻めて、もう片方が九州を押さえるってのは無理なのかい?」
「犠牲がでかすぎるだろ。そんな危ない橋を渡るくらいなら、しばらくは現状を見守って、その後で魔王のいねぇ九州を攻めるぜ」
あっさりと元親は述べるが、慶次は自身が盲目に陥っていたことを指摘された気分になった。東と足並みを揃えて西もと考えていたが、それは謙信に言われた通り長曾我部と毛利を組ませることだけを目指していたに過ぎない。東が余りに上手く行き過ぎたから西も大丈夫だろうなんて甘えがあったことを自覚させられる。目的だけを見ていて、相手の事情が見えていなかった。羞恥がざぁっと慶次の中を込み上げてきたが、元親は気づかないのだろう。そこが彼の器の大きさであり、包容力を感じさせると同時に些細な欠点なのかもしれない。元就ならば決して見逃さない。もしくは気づいてもなお無視をするそれだ。
「毛利が頷かなかったのも大方そこらへんに理由があんだろ。織田に迷惑してんのはあいつも同じだ。安芸に降りかかる火の粉なら何をしても払うって奴が、それでも話に乗らねぇんだ。あいつが加わらない限り、俺もてめぇの案には乗れねぇよ」
「おいおいおい、そんなこと言わないでくれよ」
「仮に四国が織田を攻めて勝ったとしても、その疲弊してるとこを今度は毛利に叩かれるんだぜ? せめてあいつと条件が同じでなけりゃ、てめぇの案には乗る意味がねぇ」
元親の眼差しが窓から外へと、海へと注がれる。潮の匂いを辿って、その向こうの対岸を思っているのだろう。逞しい横顔は険しいものだったが、それでも強さが押し出されている。元親が元就に抱いているのは、憎しみや敵愾心といったものではないのだろう。元就は安芸の国主だと誇らしげに告げた女中の顔が思い出された。元就は安芸の国主だ。そして元親は四国の国主だ。だからこそ彼らには、自国を守る義務がある。四方を戦いに囲まれ、それでも国を守るために起ち続け、そこに敗北は許されないのだ。民を率いるために彼らは在る。謙信や信玄、政宗とは違う国主の在り様を、慶次は彼らに見た。
「俺からしてみりゃ東がまとまったのが奇跡に見えるぜ。前田、おまえは軍神と面識があったんだろ? だから上手くいったと言っても過言じゃねぇんじゃねぇか?」
「ああ。謙信が信玄公に同盟を申し込んでくれたから、俺は伊達を説得するだけで済んだんだ」
「だとしたら余計に無理だな。毛利は礼儀にうるせぇし、てめぇみてぇな奴を信用しろって言うだけ無駄だろ」
「・・・利やまつ姉ちゃんを斬れるのかって聞かれたよ。しかも一連の流れは伊達と織田が共謀してるんじゃないかなんてことまで言われちまったし。違うって訴えても、『会ったこともない相手を信じられるか』って一蹴されちまったしなぁ」
「あぁ? 伊達と織田が共闘なんざ毛利らしくねぇ穿った見方だな。確かにあの野郎は忌々しいくらいに計算しやがるけどよ、政局はそこまで斜めに見ねぇはずだぜ。・・・それ、本当にあいつが言ったのか?」
「いや、毛利付きの女中だよ。名は何て言ったっけな・・・」
記憶をめぐらして、慶次は数日前の光景を頭に描く。木肌色の着物を身につけ、落ち着いた空気を纏っていた女中は、確か門前でこう名乗ったはずだ。
「宇喜多。そうだ、確か宇喜多って言ってたな。って名前の結構美人な子でさ、毛利とも似合いの」
歳は二十歳を越えているかいないかの、小ざっぱりとした身なりの少女だった。毛利に側付きを認められ、意見を求められるほどに一目置かれていた存在。あの時は気づかなかったが、互いに認め合うふたりの間に何か別の感情はなかったのだろうか。例えば恋とか。性質からかそんなことを考えた慶次の耳に、元親の声が届く。それは驚きと、どこか警戒を含んでいた。
「―――宇喜多がいんのか? 毛利のとこに?」
「何だ、知り合いかい?」
「んなわけねぇだろ。おまえ、宇喜多を知らねぇのか?」
「悪い、知らねぇや」
慶次が首を傾げれば、元親はぐっと唇を閉ざして隻眼を眇めた。躊躇しているのではなく思考に耽っているのだろう。それでも短時間で結論を導き出し、元親は胡坐の膝を両手で叩いた。
「よし、前田! てめぇ毛利を口説くよりも先にその女を落としな! その女の言うことなら少なくともてめぇが言うより毛利に届くぜ」
「へ? だってただの女中だろう?」
「女中は女中でも『ただの』じゃねぇよ。宇喜多は血じゃなくて能力で繋がる一族だ。聞く限りその女が読みで『宇喜多』なのは違いねぇし、毛利がそれを承知で傍に置いてんなら無視することもねぇだろう」
「宇喜多ねぇ・・・」
苗字があるからにはそれなりの家の、もしかしたら武家の娘かもしれないと思っていたが、慶次にはやはり先の女中が元親の言うような特別な存在には思えない。ただ、やはり一筋縄ではいかないと思った印象だけは覚えている。物腰も話し方も何もかもが普通の少女だったが、それでもどこか違和があったのも事実だ。控えめで、礼儀がなっており、所作が整っている。それでも元就に命じられて口を開いてこその彼女であったのだとも思えるから不思議だ。あれが、宇喜多。宇喜多
元就と、ふたり並んでいる姿を想像して慶次は思わず情けなく眉を下げてしまった。勝てる気がしないというのも可笑しいが、それでも敵う気がしないのは何故だろう。謙信に無言で微笑まれるのとも、信玄に正面から相対するのとも、政宗に隻眼で睨みつけられるのとも、そのどれとも違う。苦手だ、と生まれて初めて慶次は人に対して感情を抱いた。それでもやらなければならない。
「・・・・・・努力あるのみ、ってか」
「違いねぇ。てめぇの努力に天下は懸かってんだぜ? 精々必死にやれよ、風来坊!」
数日前と同じ言葉を繰り返した慶次に、そうと知らないだろう元親は豪快に笑ってみせた。窓から入る潮風が銀色の髪を攫っていく。その向こうに見える景色は鮮やかだ。
四国の海は美しかった。





はてさて、瀬戸内はどうやって仲間になるんでしょうねぇ。九州が織田である限り難しいと思うんですけれど。それとも織田が安土で倒され撤退、そこに豊臣台頭、でもって後半に九州で織田再登場でしょうか。それも面白そうですよねぇ。
2009年6月17日