友達の時間





二学期が始まった。夏休みの間もE組の生徒たちは度々暗殺を仕掛けたけれども、成功するには至らなかった。これはやはり日常の暗殺とは別に、夏の旅行のような、大掛かりな策を練る必要があるのかもしれない。クラスメイト達が案を出し合う中、は烏間の放課後特訓を終えて帰路に着こうとしていた。お喋りしながら帰るのも良いけれど、今日は長くなりそうだったので先に失礼させてもらった。一キロメートルの山道を下るのも、今は慣れた以上に簡単になりつつある。暗殺技術向上のための体育は、体力だけでなく体幹を鍛えたりバランス感覚を養ったりと、いろんな面で効果がある。一年を終える頃にはきっと、全国大会にも出れるような運動能力を持てるかもしれない。そんなことを考えながら、アスファルトの道路へと降り立った。本校舎との別れの角だ。ここから最寄駅までは歩いて五分だけれども、校内看板の前に見覚えのある姿を認めて、は目を瞬いた。
「遅い。部活もないE組が、こんな時間まで何をしているんだ?」
「・・・浅野君?」
「少し付き合ってくれないか。コーヒーくらいなら奢る」
そう言い切ると踵を返して歩き出したのは、一年のとき一週間だけクラスメイトだった浅野学秀だった。一方的な物言いだけれども、特に断る理由もないのでも大人しくついていく。会話をするのなんてどれくらい振りだろうか。本当に、最後に話したのは二年以上前になる。がA組を去ることになったとき以来だ。けれどもそれからも試験結果で互いの名を目にしてきたから、そうそう久し振りという感じはしない。
浅野は駅までの道を外れて、大通りへと足を進めている。部活が終わるにはまだ早く、帰宅部の生徒がいるにはやや遅い。周囲に椚ヶ丘中の制服は見られず、それでも浅野は早足で歩くと、一本入った通りにある小さな喫茶店の扉を叩いた。コーヒーをメインに据えているその店は、中学生の入り難い大人の雰囲気を醸し出しているため、同級生たちとかち合うこともないだろう。それを基準に浅野が店を選んだのがにも分かった。窓際ではなく奥まった席を彼が選んだのも、その証拠だ。
「アイスコーヒーをひとつ」
「ホットコーヒーをお願いします」
メニューを見ることなく浅野が注文し、は同じようにホットを頼んだ。白髪混じりの店主はにこやかに応対して、カウンターへと戻っていく。ドリップされるコーヒーの香りが店内に広がる。程よいクーラーが残暑に火照る身体を冷ましていく。会話はない。浅野は眉間に深く皺を刻んでおり、は卓上のお勧めケーキのメニューを見ていた。
「お待たせいたしました。どうぞごゆっくり」
先程の店主が二人分の飲み物を置いて、会釈をして去っていく。感じの良いお店だな、とは思った。浅野がこういった店を知っているというのは意外なようで、意外ではない。ホットコーヒーにミルクだけを混ぜる。砂糖は入れない。向かいの浅野もミルクだけを注いでおり、ガムシロップには手をつけなかった。食べ物に関する好みが似ているのをは知っている。食べ物だけでなく、例えば本や音楽など、そういった好みも似ていることを、おそらく浅野も知っている。美味しい、とはコーヒーを飲み込んで笑った。
「E組は一体何を隠している」
浅野の声は険しい。向けられる視線は厳しいし、そんな顔しなくていいのに、とは思う。自信に満ち溢れた表情の似合う人なのだ。静かに教科書を読み進める横顔が好きだったし、授業内容について話し合う落ち着いた声も好きだった。
「今年に入ってから、E組は明らかに変化した。球技大会に期末テスト。何より父のE組への介入の多さがそれを証明している。君たちはあの旧校舎で何をしている?」
「聞いてどうするの?」
「どうもしないさ。ただ、父を脅す材料になればと思っただけだよ」
「相変わらずだね。でもごめんね。教えられないの」
の返事に、浅野は整った顔を顰める。
「教えられないとは? 疾しいことがなければ隠す必要はないだろう? 言えないのか、それとも言わないのか」
「どちらかといえば、言えない、かな?」
「口止めされているのか? 誰に?」
「それも言えないの。理由は、そうね、理事長先生が秘密にしているのと同じ理由かな?」
微笑んでの言葉に、浅野は更に顔を歪めた。椚ヶ丘学園の理事長であり、何より支配者である自身の父親が、素直に言うことを聞く相手などそうはいないことを知っている。よしんば笑顔で従うとしても、それには必ず裏があるはずだ。浅野は父親のことを正しく理解していたし、またそうであってほしいとも思っていた。だからこそが口にしないのも、相当の理由であると察することが出来る。つまりはあの父親に命令を下せるような、そんな存在がE組に関わっているということだ。
「・・・それなら、E組の成績が急激に上がった理由は?」
「今年から赴任された先生がとても優秀な方だから。教えるのも上手いし、生徒のやる気を引き出すのも上手なの」
「それくらいでエンドのE組が上位に食い込めるとは思えないな」
「意識の差かな? ただテストのために詰め込むのと、目的があってやるのとでは効率も変わってくるよ」
「・・・君が期末で学年一位を取ったのも、それが理由かい?」
「うん。今回はA組と賭けもしていたから、クラスのみんなに頼まれて。たまには頑張るのもいいかなって思ったから」
磯貝や前原が呆然とした理由も、浅野は最初から知っていたことのように無言で受け流した。思考回路が似ているのかもしれない。まともに交流したのは一年生の最初の一週間だけだったが、そのときに抱いた印象は間違っていなかった。話していて楽だと、は思う。コーヒーカップをソーサーに戻して、は向かいの少年に笑いかけた。
「浅野君がE組を気にするなんて珍しいね。テストで負けたの、やっぱり悔しかった? でもあれは仕方がないとも思うよ。浅野君は他の人にも教えていたんだし。E組はみんな自分のためだけに時間を割くことが出来てたから」
「すべては結果だ。言い訳するつもりはない」
「浅野君のそういうところ、凄いと思う。E組のことが知りたいなら、方法がひとつあるよ」
片眉を跳ねさせる相手に、美味しいコーヒーの店を教えてくれた御礼に、とは案を提示した。
「浅野君がE組の生徒になればいいんだよ。そうすればすべて知ることが出来るよ。私たちの秘密も、お父さんが何を隠しているのかもすべて」
この提案は、浅野も考えていたことだったのだろう。驚く様子はなく、逆に不愉快を覗かせる顔に、は柔らかく続けた。
「でも、浅野君はE組には合わないと思う。浅野君みたいに明確なビジョンを持っていて、自分のやるべきことが分かっている人には、E組は必要ないから。やっぱり浅野君にはA組が似合うよ」
「・・・君も期末で一位を取ったんだ。僕が担任に口添えすればA組に戻ることも可能だが?」
「ううん、私はE組でいいよ」
「そうだろうね。君にA組は合わない」
「浅野君と話すのは楽しいし、一緒に勉強するのも面白かったけど」
「僕は君のそういうところが嫌いだ。向上心の無い人間に未来はない」
「性分だから、どうしようもないなぁ」
コーヒーはホットもアイスもどちらも空になっていた。グラスの中で氷が音を立てて崩れる。浅野が鞄を持って立ち上がったので、もそれに続いた。伝票がレジに出され、自分の分を払おうとすれば、無言で断られる。ありがとう、とは笑って礼を言った。浅野は優等生で、男女ともに受けが良くて、もちろんその裏にある野心に気づく者は気づいているけれども、それを通り越して一回転すれば、彼は結局のところ紳士に落ち着く。おそらく彼の父親もそうなのだろう。自分の認めた基準に達していれば、それなりに相手を尊重してくれるのだ。世間一般からすれば性質の良くない人なのかもしれないけれど、はそんな浅野を好ましく思う。理解し合える。正直な話、共にいるのにこれほど楽な相手もいないだろう。
浅野の家は学園の近くにあるため、店を出たところで別れることになる。他の椚ヶ丘中生に見られても面倒だから、駅まで送ってくれることもないだろう。夏の夕方はまだ明るく、危険もあるまい。は腕時計で、次の電車の時間を確認した。
「今日は付き合わせて悪かったね」
「こっちこそ、ろくな話も出来なくてごめんなさい」
「いや、参考になった」
おそらく教室では見せないだろう顔で笑う浅野を、は楽しげに見上げる。こういう面も嫌いではない。今はまだ無理だろうが、いずれは掲げる目標通り、浅野は父親を超す日が来るかもしれない。来ないかもしれない。けれど来させてみせると決めて突き進む姿は、称賛に値するとは思う。だからこそ浅野にはA組が相応しいのだ。
「ねぇ、浅野君」
問うたのは気まぐれだ。共にいるのは楽だろうが、それではお互いの成長が見込めない。分かっているからこそはA組に戻らないし、浅野も無理に彼女を戻したりしない。きついくらいが丁度いい。
「来年の三月に地球が滅びるとしたらどうする?」
「愚問だね。仮定の話に意味はない。僕は僕の欲しい未来のために準備をするだけだ」
「そうだね。ありがとう。今日は話せて嬉しかった」
またね、と手を振っては先に大通りへと歩き出す。背中に視線を感じたけれども、それもすぐになくなった。駅に向かって足を進める。まもなく秋が来る。タイムリミットがこうして、人には知られず近づいてきている。





私よりずっと、良い人。だからとても、尊敬してるのに。
2013年10月21日