逢瀬の時間





夜、は自室の窓の鍵を開けておく。二階だということを手伝っても不用心だけれど、殺せんせー暗殺のための授業を受け始めてからは人の気配にも敏くなったので、今のところ大きな問題はない。そんなことよりもずっと、窓ガラスを割られてしまう方がにとっては問題なのだ。彼が訪れた最初の夜、粉々に砕け散った窓ガラスの処理と、驚いて右往左往する両親への言い訳に時間を尽くして睡眠時間が削られたのは記憶に新しい。二回目のときも割って入ろうとしたものだから、それ以来は自室の窓に鍵をかけることを止めた。繰り返し教えたので、今は彼も大人しく窓を開けて、靴を脱いで踏み入ってくる。
「いらっしゃい、イトナ君」
イトナが気配を消そうとしていないから、も彼に気づくことが出来る。からりと音を立てて窓を開け、入ってきた相手に微笑みかければ、瞬きがひとつ返された。途端に手が伸ばされる。違和感を覚えるだろうに、おそらくイトナは言葉にしないけれども痛みを感じるだろうに、の手首は一回り大きな彼の手に握られた。
「どこに行ってた」
突然の問いかけに、はきょとんと目を丸くする。イトナは表情が変わらないながらもどこか不機嫌そうだ。
「昨日と三日前、おまえはいなかった」
「ああ、期末テストの御褒美で、E組みんなで旅行に行ってたの。イトナ君もE組だから、多分シロさんに連絡が行ったと思うんだけど」
「知らない」
「そっか。お土産にクッキー買ってきたから、後で渡すね」
理由を話せば、イトナも一応納得はしたのだろう。手を離して床にそのまま座り込む。フローリングは痛いだろうに、は毎回クッションを勧めるのだけれど、イトナがそれを使ったことはない。だからも同じように、勉強机の椅子でもベッドでもなく、フローリングに腰を下ろす。パジャマにもしているルームウェアで同じ歳の男子の前に出るのは恥ずかしいけれど、イトナは時間を選ばないのだから仕方ない。
E組専用プールが破壊され、イトナが殺せんせーに二度目の敗北をしたあの夏の日。裏山で邂逅した次の日の夜に、イトナはの家にやってきた。どうやって場所を知ったのかは分からないが、イトナにはシロがいる。あの保護者がいる限り、イトナは大抵のことを知ることが出来るだろう。もちろんシロが教えても構わないと判断したことに限ってではあるが。
「旅行、楽しかったよ。イトナ君も来れれば良かったのに」
深夜の来訪。しかも窓からやってきて親には内緒、と来れば如何わしい響きを帯びても仕方ないかもしれない。十五歳という年齢ならそういう経験を済ませてしまった子も、ひとりやふたりはいるだろう。だが、とイトナはどんな時間であってもただ話をするだけだった。イトナは余り喋らないから、ただが話して、イトナが聞く。学校でのことや、ただありふれた日常のこと。イトナも聞けば答えてくれる。知識量の少ない彼は自身を言葉にするのが不得意だったが、はそれでも構わなかった。沈黙が広がることもある。そういったとき、イトナはじっとを見つめてくる。くすぐったくはあったが、も同じように見つめ返して時間を過ごす。何をしているということもない。それはいつだったか、ついてきたシロがううむ、と腕を組んで首を傾げてしまうような光景だった。あの摩訶不思議な保護者からしても、もう少し色っぽい関係を期待していたらしい。
時間にして三十分が経った頃、すく、とイトナが立ち上がった。
「帰るの?」
「ああ」
イトナの家がどこにあるのか、は知らない。気を付けてね、と見送るしかない現状に、特に不満はなかった。人には言えないことのひとつやふたつはあるだろうし、イトナとシロが秘密を抱えていることは見た目からして明らかだからだ。
窓へ向かう前に、イトナが手を伸ばしてくる。ああ、今日もか、とは察した。シロがついてきた日にはしなかったけれども、イトナはやってくる度にこうしてに手を伸ばす。触れるのは不快だろうに、が対殺せんせー用特殊兵器の飲む量を増やしたから、以前より格段に痛苦を覚えるだろうに、それでもイトナは何かを確かめるようにへと手を伸ばしてくる。場所は頬であったり頭であったり腕であったり手であったりと様々だが、今日のイトナの手のひらは、の耳元へと触れた。ドライヤーで乾かされふんわりとしている髪を退かし、耳たぶを撫ぜて、ゆっくりと自身も近づいてくる。目は逸らさないけれども、近づきすぎれば見えなくなる。ふに、と頬が触れ合った。柔らかい。何となく目を伏せて、は直に伝わってくる体温を感じることに集中した。イトナのこれは、確認作業だ。何を確かめているのかは分からないけれども、彼はに触れたがる。痛いだろうに辛いだろうに、それでも手を伸ばしてくるのだ。
離れていくイトナの頬は、片側だけが不自然に赤い。もう少し月日が過ぎれば、おそらく触手のように爛れ始めるのだろう。それだけの身体が対殺せんせー用の武器に近づくということだ。そうすればきっと、イトナはに触れなくなる。傷つくのが分かっていて触ろうとするほど、彼だって馬鹿じゃないはずだ。それでもは飲み続けるのを止めるつもりはない。
殺せんせーを殺すまで、キスも出来ない手も繋げない。それは少し寂しいな、とは眉を下げて微笑んだ。





あなたの好意は、分かりやすいね。だけど私なんか、命を懸けて愛さなくてもいいんだよ。
2013年10月21日