暗殺の時間
「さん、君は優秀な生徒だ。射撃もナイフ術も、本気を出せば軽く一位を取ることが出来るだろう。それなのに何故、君は本気を出さない?」
殺せんせーの至極真っ当な授業を終えた放課後、烏間はひとりの生徒を教員室に呼び出していた。。彼が副担任を務める三年E組の生徒であり、そして問題があると見ている生徒でもある。座る度にぎしぎしと音を立てる回転椅子に収まる少女は、困ったような表情を浮かべて眦を下げる。
「奴が地球破壊を目論んでいるのは話してあるはずだ。奴を暗殺しなければ、我々に未来はない。君たち三年E組は、暗殺の機会を誰よりも多く与えられているんだ。どうか君も他の生徒のように、積極的に奴の暗殺に携わって欲しい」
防衛省から派遣されてきている烏間にとって、現在の任務は大きく分けて二つだ。ひとつは、政府から派遣されてくるプロの暗殺者の調整やフォロー。そしてもうひとつは、E組の生徒を殺せんせーを暗殺できるくらいに育て上げることだ。もちろん大前提として烏間自身による殺せんせーの暗殺も含まれているが、誰より近く現場で接している分、難しいことも理解している。
それに烏間と三年E組の生徒では、確実に異なる条件が存在していた。教師に就任するにあたり、殺せんせーは、「三年E組の生徒には危害を加えない」と制約している。その家族や友人は対象外だが、つまり殺せんせーを暗殺するにしても、三年E組の生徒たちだけは反撃に関して一切の心配をする必要がないのだ。考えるのは殺せんせーの逃亡による抵抗のみ。相手が測量しきれない速さとパワーを持つ存在において、この一点は余りに大きな違いだった。
だからこそ烏間は、優秀な生徒には是非とも積極的に暗殺を行ってほしかった。その筆頭とも言えるのが、このだ。先日停学から復帰した赤羽業は、すでに彼自身の価値観に則り、殺せんせーの暗殺を楽しんで行っている。頭の回転が速く、腕も立ち、何よりだまし討ちや凶器の扱いに秀でているカルマは、E組の中で最も可能性のある生徒だろう。だが、目の前のとて、本気を出せばカルマと同等、あるいはそれ以上の働きを見せるに違いない。実戦という舞台をいくつも経験してきた烏間の勘が、そう告げている。は優秀だ。彼女が本気を出しさえすれば。
「すみません」
柔らかな声で、少女が謝罪を口にする。教員免許は取得しているものの、教師として働くのは今回が初めての烏間だが、目の前のの落ち着きぶりが十五歳という年齢らしかぬものであることは理解していた。子供らしくないと言えばいいのか、かといって大人とも言い難い雰囲気はどこから来るものなのか。得体が知れないと警戒を抱いてしまうのは、体育だけとはいえ、教師としてあるまじきことだろう。彼女とて烏間の生徒には変わりがないのだから。
「謝罪はいい。明日から本気で暗殺に取りかかってくれるのなら」
「それは・・・」
ゆるりと眉根を下げて、はさも困り切ったように唇を開いた。造形の整った少女だな、と烏間は思う。子供のあどけなさではない、かといってイリーナのような妖艶な美ではない、特有の雰囲気が彼女にはある。正体を隠す霞のような何かが。
「暗殺に踏み切れない理由でもあるのか?」
問えば、は視線を彷徨わせた後に、烏間を見上げてきた。
「・・・殺せんせーは、殺したら死んでしまいますよね?」
「・・・ああ。奴も一応、死ぬことは予想される」
琴線に一瞬触れた何かを、烏間は捕えることが出来なかった。
「私たちE組の生徒は、付属の椚ヶ丘高校に内部進学することは出来ません」
一体何の話を始めるのか。烏間は怪訝に思ったが、の言うことは最もだったので何も言わずに相槌を打った。もちろんそれはE組の生徒が超優秀な成績を叩き出し、元担任の承認を経て通常クラスに復帰すれば可能となる話だが、それはE組を底辺として成り立たせているこの学校の在り方からして難しいだろう。
「そうすると私たちは、外部の高校に進むために受験をする必要があります」
「ああ、そうだな」
「だからそのためには、出来るだけ良い先生に教えてもらいたいと思うんです。以前の先生は、授業はほとんどまともにしてくれませんでした。でも殺せんせーは違います。教え方は凄く上手いし、分からないことは何を聞いても答えてくれます。でも、殺してしまうと、殺せんせーの授業は受けられなくなってしまうから」
だから、と彼女は言った。
「出来るだけ長く、殺せんせーの授業を受けていたいんです。殺せんせーを殺して、地球がこれから先も続くなら尚更」
「・・・だが、それはそもそも奴を暗殺することが出来たらの話だ。奴を殺せなければ、君がいくら奴の授業を受けて受験勉強をしたとしても意味がない」
「そうですね。でも」
赤い、口紅も塗られていないだろうに鮮やかな唇が、ゆっくりと言葉を紡ごうとするのを烏間は見つめていた。けれどもそれらは音になる前に、がらりと開かれた扉によって掻き消されてしまう。はっとして烏間が顔を上げれば、そこにいたのはイリーナだった。扉に手をかけ、冷ややかな瞳で彼女は烏間とを見下ろしてくる。
「それ以上話しても無駄よ、カラスマ」
「な・・・」
「、あんたももう帰りなさい」
「はい。失礼します、イリーナ先生、烏間先生」
また明日、と足元に置いておいた鞄を持ち上げて、少女は一礼したかと思うとイリーナの横をすり抜けて教員室から出て行ってしまった。その背中には安堵も焦りも見られないものだから、烏間もつい呆然と見送ってしまった。イリーナが後ろ手に扉を閉める。気配はなかった。最近ではE組に慣れて来てしまったからか失態を見せることの多いイリーナだけれども、やはりこういうときにプロの暗殺者だと実感させられる。特に潜入し、対象に取り入って殺害する方法を得意とするイリーナにとって、気づかれずに近づくことは何の造作もないことなのだ。しかし話の腰を折られたのは事実なので、烏間はつい同僚である彼女を睨み上げてしまった。
「イリーナ・・・何故邪魔をした」
「ふん。あんたが何を言ったところで、あの子が積極的に暗殺しに行くわけがないでしょ」
「何故そう言える」
受験のことを考えれば、より良い教師の授業を受けたいと考えるの思考は、ある意味真っ当とも言える。しかしそれは殺せんせーを暗殺することに成功した場合の話だ。まずはその前提を成さなければ、すべてが始まらない。殺せんせーが死んでしまった後は、その責任を取って政府側から教師を斡旋してもいいし、それをこの学園の理事長である浅野が許すかどうかは話が別だが、出来る限りの計らいをしようと烏間は決めていた。けれどもイリーナは言う。
「暗殺者にもいろんなタイプがいるのよ。私みたいな潜入が専門の人間がいれば、遠くからの狙撃を得意とする人間もいる」
それは烏間も理解出来る。暗殺などといった分野には疎い国の国民だから、推察できるといった程度ではあったが。
「その中でもは、間違いなく機を狙って、熟すまで行動に移さないタイプの暗殺者ね。時々いるのよ、ああいうタイプが。殺し方に拘らず、仕事は確実に遂行するけれど、自分が納得するまでは決して殺そうとしない。第三者からしてみれば理解が出来ないけど成功率は高いから、報酬も高く取れる類の暗殺者ね」
「・・・だが、相手は奴だぞ? いくら時間をかけようとも、そう簡単に暗殺できるとは思えない」
弱点ならば、渚がメモに取って記録している。だが、それらを上手く組み合わせたとしても、相手は殺せんせーだ。あの未知の生命体は、いくら奥の手だろうとたった一度の襲撃で暗殺できるとは到底思えない。だから烏間としては、日々の積み重ねで成功の確率を上げていってほしいのだが、イリーナは長い髪を振り払うと、ふん、と軽く笑った。
「いいじゃない、中にはああいうタイプがいても。みんながみんな真正面から暗殺しにいったら芸がないでしょ」
「・・・・・・」
「得るもの得てから暗殺する、その姿勢には同じ女として同調するわ。やっぱり暗殺も男も、ステップアップのための踏み台になってくれなきゃね」
うふふ、と唇を吊り上げるイリーナは、教師ではなく完全に暗殺者の顔だった。彼女が言うのならば、きっと間違いはないのだろう。は最後の最後、すべてが終わったときにこそ殺せんせーに暗殺を仕掛けるはずだ。その手段がどういったものかは分からないけれども、今後はそのために出来るだけ手を貸してやらなければならない。はぁ、と烏間は深い溜息を吐き出した。厄介なのは殺せんせーだけで十分だというのが、彼の正直な心中だった。
むしろスカウトしたいくらいだわ、私のパートナーに。
2013年10月21日