62.目を逸らさず、そのまま





ざわざわとした街を、何故かずいぶんと久しぶりのものに感じる。笑い合う人々に自然と笑顔になりながら、秀麗はさかさかと足を動かしていた。その隣には今日一日付き合わされて、うんざりとした様子のタンタンこと蘇芳がいる。
「そういえばタンタン」
「あー・・・?」
「あなた、お父さんの命令で私に求婚してきたけれど、にはしろって言われなかったの?」
? 誰それ」
「私と同期で、工部にいる女官吏よ。藍家ご当主方の寵姫なんだけど」
「あーそりゃ無理だ。いくらお偉いさんでも、さすがに俺なんかに藍家の寵姫をたぶらかせるなんて思わないって」
つまり自分はたぶらかせると思われたわけだ。秀麗はそう気づいたけれども、確かに自分たちを比べたときに口説き落とせそうなのはどちらか一目瞭然だ。家名よりも女としての経験を見られたようで、思わず深い溜息を吐き出してしまう。
けれど蘇芳はそれに気づいていないのか、ぶらぶらと手足を所在なく揺らしている。
「それにしても、女だてらに工部かー・・・しかも藍家の寵姫。すげぇな。どんな奴?」
「可愛くて、しっかりしてるわね。優しくて、ちょっと悪戯っぽいところがあって・・・・・・同性の私から見ても、すごく魅力的よ」
「へー」
「それに仕事も出来るもの。藍州にかけた橋は素晴らしいって評判だし。医療にも携わってて、この前の茶州では人体切開もしちゃったのよ」
「何その女、男より全然仕事出来んじゃん! あーそりゃもっと無理。俺なんか歯牙にもかけられないわ」
蘇芳はそう言うけれども、は結構彼のことを気に入るんじゃないかと秀麗は思った。彼女は一般的ないい男とは、少し違った系統を好むように見える。けれど蘇芳との並ぶ図が想像出来ず、秀麗はその考えを放棄した。
「何? そいつは今も出仕してんの?」
蘇芳の問いかけに、秀麗は一瞬言葉をつぐんだ。
「・・・・・・は今は、藍州に戻ってるわ。茶州での功績を評価されて、休暇をもらってるの」
「ふーん? 官吏二年目で長期休暇って、それすごくねぇ?」
「そう、ね」
唇をかみしめて、秀麗は頷いた。

秀麗が貴陽に帰ってきたとき、すでにはいなかった。藍家三当主が迎えに来て、彼女を連れていったのだと父に聞いた。
―――そのときの、彼女の様子も。

今でも、奇病における自分の判断は間違っていないと、秀麗は思っている。
今後何度同じようなことが起ころうとも、自分は同じ決断を下していくことだろう。
そこに、の異能が加わる日は来ない。それが正しいのだと、秀麗は信じている。



けれど、それゆえに苦しむを気遣うことが出来なかったのは、秀麗の過ちだ。
官吏としてではない。友人として。
の友として、紅秀麗は何もしてやらなかったのだ。



そのことに気がついたとき、愕然とした。いくら自分のことで手一杯だったとしても、せめて一言くらい文句でも何でも言ってほしかった。そう思うことすら、わがままだろうと知っているけれども。
「・・・・・・今度会ったら、絶対に腹を割って話し合ってやるんだから」
酒でも何でも使って、彼女の本音を引き出してやる。固く決意した秀麗の迫力が伝わったのか、隣を歩いていた蘇芳が一歩身を引く。けれど逃さずに彼の手首を捕らえ、秀麗は歩く速度を一層速めた。
「ぐずぐずしないっ! 次行くわよ、タンタン!」
「まだ行くのかよ!? 俺、絶対おまえみたいな女とは結婚しねぇ!」
「望むところね! 私だって結婚なんかしないんだから!」
何だかんだ大声で会話しつつも、歩く二人の姿はとても仲のよいものだったという。

彼らの跡をつけるように、一人の男が喧騒に紛れていた。





ねぇ、私、まだ間に合う? 友達だと思ってくれる?
2006年11月1日