61.なァ、呼んでくれよ。
「・・・・・・秀麗と官吏は、似ているな」
ぽつりともたらされた呟きに、絳攸は目を通していた書簡から顔を上げる。今この部屋にいるもう一人の人物―――劉輝は、書き付けた墨を乾かしているのか、手でぱたぱたと紙を扇いでいる。
「何言ってるんですか、あなたは。そんなこと考えてないでさっさと仕事を」
「似ていると思わないか? 恋に臆病で・・・・・・それなのにとても優しいところが、そっくりだと余は思う」
絳攸は思わず押し黙った。その間も劉輝はぱたぱたと手を動かしており、絳攸の方を見はしない。
「女官吏というのは皆、ああいう風なのだろうか」
「・・・・・・違うでしょう。あの二人がきっと、特別なんです」
「そうだな。余たちが『官吏である紅秀麗と』を望んでいるから、ああなってしまうのだろう」
劉輝の想っている秀麗は、誰より王のため、民のために官吏であろうとする。それゆえに彼女は恋をしない。結婚ですらすでに、政治の一部だと考えるようになってしまった。
「・・・・・・官吏と藍家三当主のことは、あまり気にしなくてよいと思う」
告げられた言葉に、絳攸ははっと顔を上げた。けれど劉輝は変わらず紙に目を落としており、指先で墨の乾き具合を確かめている。
「確かに三当主は官吏にとって特別のようだが、それは恋ではないと、思う」
「・・・・・・何故、そんなことが分かるんですか」
「似ているのだ。清苑兄上を求めていた、昔の余に」
指についた墨に顔をしかめ、劉輝は再びぱたぱたと紙を扇ぎ始める。
「余も昔は、清苑兄上の前でしか泣くことが出来なかった。清苑兄上だけが、余に優しくしてくれたのだ。・・・・・・官吏もそうなのだと思う。藍家三当主が、官吏にとって頼れる相手なのだろう」
「だったら」
吐き捨てた声が乱暴になったのに、絳攸自身気づいていた。顔を見ることが出来ず、横を向く。
「だったら、余計に敵わないでしょう。あなたにとって清苑公子が永遠に特別な存在のように、彼女にとっても藍家当主は永遠に特別なんでしょうから」
「だけど余は、静蘭を特別に思っている秀麗を愛しているぞ」
ここで初めて、劉輝は絳攸を見た。いつしかまっすぐに相手を見つめるようになったまなざしが、臆することなく絳攸を貫く。見据えられたその強さに、絳攸が小さく喉を鳴らした。
「特別な存在は、いくつあっても良いと思う。余は秀麗にそう思ってもらえるまで、いつまででも待つつもりだ。だから絳攸も待てばいい。官吏が、藍家三当主以外にも頼れる相手がいるのだと、そう、気づくまで」
―――あの日、震えた身体を覚えている。目の前の光景に浮かんだのは、悔しさよりも怒りだった。彼女を泣かせることの出来ない自分を、この上なく矮小なものに感じた。
想う女一人、心解くことが出来ないなんて。
絳攸は深い深い溜息を吐き出した。次いで上げられた顔は今までの憂いを含んだものではなく、そんな彼の様子に劉輝の方が笑顔になる。
「・・・・・・そうですね、あなたと同じというのはどうかと思いますが、長期戦も覚悟しますよ」
「うむっ! 一緒に待とうではないか、絳攸! 待ち方の極意を余が教えてやるぞ!」
「それで秀麗が口説けたんなら教えて下さい。そんなことよりほら! そろそろ仕事に戻る!」
そう命じれば、劉輝はどんよりと暗い空気を背負いつつ、それでもしぶしぶと新しい書簡の山に手を伸ばした。そんな彼の元から、絳攸は先ほどまで王の乾かしていた紙を受け取る。
湿っていた青い墨は、いつの間にかすっかりと乾いていた。
おまえを愛している男がいるということに、いつか気づいてくれればいい。
2006年10月27日