60.虹を追う人
「それで、もう一人の女官吏ちゃんはどこですの?」
碧歌梨の言葉に、彼女の弟の珀明、そして門家筋に当たる欧陽玉は固まった。ちらりと視線を交わし合い、とりあえず血の繋がっている珀明が、こほんと咳を一つしてから答えを返す。
「・・・・・・は今、休暇を取って藍州へ里帰りしています」
「ええ!? 何でそれを早く言わないんですの、珀明! あぁもうすっごく可愛くて楽しいって胡蝶から聞いてたから楽しみにしてたんですのよ! それなのにいないだなんて! あなたたち、どうして引き止めておかなかったの!」
「姉さんが前もって連絡をくれてればそうしてましたよ! 大体、僕だって『帰る』の一言も聞いてないんですから!」
「あなたはどうなんですの、玉! 聞けば直属の上司だっていうじゃありませんか!」
「・・・・・・私だって何も聞いてませんよ。藍家の三当主がじきじきに朝廷まで迎えに来たらしいですからね。そのまま挨拶もなしに休暇に入りやがりましたよ、あの小娘」
冷ややかな声音に、玉の血縁であり歌梨の夫でもある欧陽純は、彼がかなりすねていることを感じ取った。ふてくされていると言ってもいい。自分に一言もなしにいなくなった少女に、彼は不満を覚えているのだ。常に妻に置いていかれている純にとって、それはとても共感できたが、やはり置いていく側は違うらしい。
「あら、脈なしじゃありませんの」
冷静な女の判断が、二人の胸をえぐった。その音すら聞こえてきそうで、純は慌てて妻を止める。
「か、歌梨」
「だってそうでしょう? 挨拶もなしに帰郷、しかも彼女にとっては旦那に当たる男が迎えに来たんですもの。これは脈なし以外の何物でもありませんわ」
「・・・・・・別に、今すぐ片を付けようなんて思ってませんよ」
年の功か、先に立ち直った玉が顔を上げる。そのまなざしは彼の身につけているあまたの装飾よりも、強い輝きを帯びていた。
「は、誰かに囲われておとなしくしているような女じゃありません。あれは働いて、戦って、自分で生きてく女です。今度朝廷に戻ってきた、それからが勝負ですよ」
「勝算はありますの?」
「そんなもの考えてたら、あの小娘相手にやってけませんね。戦う相手はあれを想う男たちじゃなく、想われている本人ですから」
玉の答えが気に入ったのだろう。歌梨は形のよい唇を吊り上げる。そんな彼女から視線を外し、玉は隣の珀明に顔を向けた。本来ならば主家の、それも直系に属する彼に礼を取るべきなのだろうが、膝を屈する気は一切ない。この件に、関してだけは。
「ですので、珀明様がお相手でも遠慮をする気はありませんのでご理解下さい。大体ずるいんですよ、あなた。同期だからって週に三回も昼を一緒にしてるだなんて。しかも弁当の具まで交換してるそうじゃないですか」
「あ、あれはあいつが勝手に奪ってくんですよ!」
「でしたらその役目、私が代わりましょうか?」
「結構です! 僕だって易々譲る気はありませんから!」
売り言葉に買い言葉ではないが、珀明もはっきりと意思を示した。ますます楽しくなってきたのか、歌梨は二人の様子を描き出すべく、すでに筆を持っている。喧々囂々と言い合いを始めてしまった彼らに、純はそっと溜息を吐き出した。
類まれな「目」を持つ彼らに見初められた少女。
歌梨と純が彼女に会えるのは、もう少し先のことになりそうだった。
まったく! 泣くならいくらでもこの胸を貸してやるというのに!
2006年10月27日