56.僕は何をしている?





この場にはあり得ない人物たちを睨み、黎深は不愉快げに眉を顰めた。実際に彼はとても不愉快だった。新年からこっち、気に入って毎日持ち歩いている緋色の扇をばさっと広げる。その隣で彼の兄である邵可が、どこか悲しみを帯びた声で呟いた。
「やっぱり、さんは辛かったんだね。ああやって視界を塞がれないと泣けないくらいに」
「強情なのが悪いんでしょう。力を尽くさないことの何が悪いんですか」
「黎深、それは違うよ。どうでもいいことに対してだったら、彼女もこうは悩まないだろう。大切な人たちのことだからこそ、こんなにも苦しんでるんだ」
「だから何ですか。大切な人のためなら、どんな力でも使えばいいでしょう」
「相手が望んでいないんだよ。例えば・・・・・・秀麗が」
無意識の内にだろうけれど、秀麗はの魔法を頭の中から除外している。それは彩雲国にとって正しいことなのだろう。けれど、にとっては存在を否定されるようなものだった。
「・・・・・・ですが、彼女は官吏として十分に優秀です」
仮面越しの鳳珠の言葉に、邵可もうん、と頷く。
「そうだね、とても優秀だと思う。だけどさんはそれ以上の力を持ってしまってるんだ」
鳳珠の桜色の仮面が、僅かにうつむいた。
「力を使えば救える命を、使わないでと言われて見殺しにするのは、どんなに辛いことなんだろうね・・・・・・」
悲しみに満ちた声は、庭園の中まで届かない。窓から見える桃の木の下で、少女はただ立ち尽くしている。



まさかここまで、と楸瑛は我が目を疑っていた。瞬きを繰り返すが、眼前の光景は変わらない。自分の兄三人が、囲うようにして一人の少女を慈しんでいる。藍の衣をかけられて今は見えないけれども、彼女は彼らの寵姫とされていた。だけどまさかここまでとは、弟である楸瑛も思っていなかったのだ。握りしめた右手が震える。
突然の来訪だった。朝、が貴陽藍邸を出て、半刻も経っていなかっただろう。見計らっていたと思われてもし方のない、そんな時間の来訪だった。七家筆頭の藍家当主という立場を利用し、何ら事前の約束もなく、彼らは楸瑛と共に朝廷へと出向いた。
初めて会う王に適当な挨拶を投げかけ、隣に立つ絳攸を上から下まで眺め回し、さも頃合といった様子で彼らは王の前から辞した。迷いなく進んでいく足取りに一抹の不安を覚え、劉輝と絳攸に断って後をつける。結局気になって後からついてきた二人と合流し、どこに行くのかと見守っていた矢先。ふわりと、彼らは回廊の欄干を飛び越えたのだ。藍家の当主としてあるまじき振る舞い。けれどあまりに自然だったその動作の先に何があるのか気づいたとき、楸瑛は思わず足を止めていた。
兄のうち一人がまとっていた衣を脱ぎ、少女の頭へふんわりと被せる。それは視界を塞ぐというよりも、少女を自分たち以外の誰にも見せないようにするためのものに見えた。慈しんでいるのだと知った。自分のような淡い気持ちでも、龍蓮のような焦がれるものでもない。深い愛が、そこにはあった。
絳攸の肩が、楸瑛の視界の隅で震えていた。



柔らかな三つの腕が、大事そうに少女を抱きしめる。
藍の衣に隠された少女はいたいけだ。



自分たちが出来なかったことを果たされた悔しさを、きっとずっと忘れない。





見せつけられた特別、悟らざるを得ない感情。
2006年10月16日