55.零れ落ちた感情





「おや」
「まったく」
「どうしてそんな顔をしてるんだい? 我らが寵姫は」
聞き慣れた声。ここしばらく聞いてなかった声。ここで聞くはずのない声。
「あぁ、これだから反対だった」
「君はきっと傷つくだろうと思っていたから」
「だから我らは反対だった。君が出ていくのに反対をした」
藍の衣、三つ。青よりも深く、紫よりも重く、眼前に広がる藍が、三つ。
「それなのに君は出ていってしまった」
「覚悟はしていたんだろう? だけどあまりに重すぎた」
「君はあまりに優しすぎた。愛してしまった」
結ばれていない黒髪、流れる。艶やかな色、滑らかな毛先。
「愛してしまった。だから君は力になりたかった」
「だけど力は使えなかった。使うことを拒否された」
「自分には出来ることがあるのに、それが出来ない。拒絶の中へ、君は落ちる」
懐かしい声。藍の衣。長い黒髪。揺れる。元の世界でのリドルが、きっと彩雲国でのこの人たちだ。優しく見守り包んでくれる。望めばきっと、すべてから断絶してくれる。藍の衣が、ふんわりと私の視界を覆い尽くす。

「帰っておいで、愛しい子」
「そんな顔をさせるため、我らは君を手放したわけじゃない」
「帰っておいで、愛しい子」



―――君の泣く場所は、ここなのだから。



藍の衣に、焚き込まれている香。懐かしい声、馴染んだ気配。柔らかく触れてくる三本の手が、そっとそっと私を撫でた。
ぽろりと、張り詰めた糸の途切れる音がした。





・・・・・・泣いても、いい?
2006年10月16日