44.手も心も温かいひと
「嬢ちゃんが、姫さんの他にもう一人いるっていう女官吏か?」
今日も今日とて羊を捌いて、ついでに剥ぎ取った毛皮で簡易ふわふわショールとか作っていると、ふいに横から話しかけられた。
顔を上げれば、ヒゲ。違った。もうヒゲは剃ってしまって、中々に美青年な顔をしていらっしゃる浪燕青さんがいる。
えーと、前茶州州牧で、現茶州州牧補佐。つまりは秀麗ちゃんの補佐の方。噂に聞いてる限りだと、かなり腕の立つ文官さんだとか。
「はい。はじめまして、と申します」
「あーいいっていいって、畏まらなくて。俺、そういうの苦手でさぁ」
「じゃあ燕青さんとお呼びしてもいいですか? 私は秀麗ちゃんみたいにお姫様な柄じゃないんで、どちらかと言えば名前で呼んで頂きたいんですけれど」
「お? いいのか? だって藍家当主の姫さんなんだろ?」
「あははーだったら女王様って呼んでもらった方がいいですかねぇ。女王、はいどうぞ」
「あっはっはっ! 話に聞いてたより面白いなぁ、嬢ちゃん。じゃあ遠慮なくって呼ばせてもらうぜ」
快活に笑う燕青さんは、切迫すべき状況を不思議な力で明るく変える。生まれ持った性質じゃないな。多分生きてきた中で培った性格だ。いいなぁ、こういう人。素晴らしいと本気で思うよ。
「ところで、この前姫さんにも聞いたんだけどさ」
「はい」
「これから行く虎林城じゃ、人がばったばった死んでる。そういう光景を見ても我を失わずにいられるか?」
「一応これでも、今回は医官として来てるんです。その人たちを救うはずの私が立ち往生してるわけにはいかないでしょう」
「生半可な覚悟じゃ立ってられねぇぞ」
「大丈夫です。それなりに場数は踏んできてますから」
指輪を捨てるために旅もしたし、解放軍の魔法使いもやったよ。死体を見るのは好きじゃないけど、否応なしに目にしてきたし。
ほんの少し唇を吊り上げて、玉止めをして糸を切った。はい、羊のショールの出来上がり。これでちょっとは寒さも凌げるだろう。
「燕青さんは、いい人ですね。あなたのような人が秀麗ちゃんの傍にいてくれて本当に嬉しい」
「・・・・・・は、聞いてたよりも儚そうに見えるぜ。姫さんと影月の話じゃ何でも出来るしっかりしたお嬢さんって聞いてたのにな」
「それは多分、今の私がちょっと凹んでいるからです。でも大丈夫ですよ。与えてくれる分の仕事はちゃんとやりますし、はっきり言って人体切開なら葉医師の次を自負しています」
「でも何かちょっと放っとけねーなぁ」
「燕青さんは格好いい上に男前ですねぇ」
羊のショールを燕青さんの肩にかけてみた。ちょっと小さいけど、まぁ大丈夫だろう。ふわふわ羊。あぁそうだ、レイを呼び出さなくちゃ。
「私よりも秀麗ちゃんを優先して下さい。どう考えたって今守るべきなのは、誰よりも秀麗ちゃんと影月君ですから」
にっこり微笑んだ私と、じっと見つめてくる燕青さん。しばらく可笑しな見つめ合いが続いて、折れたのは燕青さんだった。アイ・ウィン!
「どー・・・っして姫さんももこう強情かなぁ! ちょっとは甘えたり弱音吐いたりするのが当然だろ?」
「何つーかもう意地ですね。ここまで来たらおいそれと尻尾なんか見せて堪るかみたいな?」
「悪人の台詞だろ、そりゃ。・・・・・・まぁ、いいけど」
苦笑して燕青さんは立ち上がる。あー・・・やっぱり背が高いなぁ。身体つきもしっかりしてるし、それだけ見れば絶対に武官だよ。一度お手合わせしてみたい。ちょっと敵わなさそうな気もするけれど。
「何かあったらすぐに言えよ? 無理してぶっ倒れる前にな?」
「それ、秀麗ちゃんに言ってあげて下さい」
「おまえも心配だっつーの」
ぐしゃぐしゃと頭をかき混ぜられてると、どうやら他の医官さんたちも材料を捌き終わったらしい。これから調味に入るとのことなので、私の羊も持っていこう。そう思ってたら燕青さんがさくっと持って下さった。やっぱりこの人、男前だ。
「燕青さんに嫁いでもらえる人は幸せですねぇ」
「え、ちょっと待ってくれよ嬢ちゃん! 俺、男なんだけど!?」
ほのぼの会話をしつつ、燕青さんの肩で羊ショールがふわふわ揺れる。
うん、この人が秀麗ちゃんの副官で本当によかった。
燕青を所望された方、こんな感じでいかがでしょう・・・?
2006年9月19日