42.願望充足型の悪夢
若手医官たちと一緒に、葉医師から人体切開を学んだ。
一日動物を切り開いて、二日死体を切り開いた。腕は衰えてないみたいだし、多分大丈夫。懐かしさに知識を端から思い出しているうちに、秀麗ちゃんは朝廷での権利をもぎ取り、怒涛の準備期間に入った。
そして今、府庫に涙する声が響いてる。
空には月が浮かんで、周囲は夜になって、朝日が昇れば茶州へ出発しなくてはならない。
この三日、捌きに捌きまくって若手医官に指導したりして、ほぼ徹夜続きだったけど、特に疲れは溜まっていない。それほど柔な作りはしてないし、これ以上ハードなことはいくつも体験してきてる。だから大丈夫。肉体的には、全然。
「私、魔女っ子なんです」
呟いた言葉は、皆が寝静まっていることもあって結構響いた。
かさりと、草を踏む音がする。
「だから、何でも出来るんです。この次の瞬間には茶州にいて奇病を杖一振りで治すことも、全商連でも半月かかる工程を一瞬で移動させることも、薬や刀を無尽蔵に出すことも出来るんです」
そう、それはとても簡単。改造ポケットに手を突っ込んで、しばらく握ってない杖を持ち、呪文を唱えるだけで事足りる。万事が一瞬で丸く収まる解決法。
「・・・・・・しかしそれでは、次に同じことが起こったときも、そなたに頼らなくてはならない。それでは駄目なのだ」
「秀麗ちゃんの取った行動が、今後の最良な手段として用いられる?」
「そうだ」
「私なら、奇病の原因は秀麗ちゃんだっていう噂も消せますけど、それでも?」
問いかけたら、主上―――紫劉輝陛下は顔を歪めた。泣きそうな顔。この人が必死に抑えた感情を、私が今揺すった。
「・・・・・・それでも、駄目なのだ。誰か一人に頼ることは出来ぬ。今後、『誰でも取れる』最良の手段を示さねば、すべてに対し意味がないのだ」
「それで、間に合わなかった人が出ても?」
「・・・・・・それでも」
主上は手のひらを握りしめる。まっすぐなまなざしは、痛みというより悲しみに満ちている。
「後世のことも考えながら、今最良の道を敷く。それが政治というものなのだ」
はっきりとした、声だった。
ラインが引かれる。
私の踏み込むことの出来ない、絶対のラインが。
杖も、魔法も、呪文もいらない。私がいなくなってもいいように、彩雲国の人だけで対処する方法を考える。それは当然のことだ。私だっていつまでもこの世界にいられるわけじゃない。出すぎた真似は出来ない。それは、よく分かってる。
―――分かって、るんだけど。
「あ―――も―――っ!」
「どっどうしたのだ!?」
「どうしたっていうかどうもしないんですけどどうしようもないのがむかつくっていうか! あぁもうマジで彩雲国来てから打たれ弱くなってる! 誰のせいだ! 私か!? リドるんか!? 縹家か!? 縹家か! ちくしょうあいつら、次見つけたら許されざる呪文をかけてやる! インペリオで縦ロールにしてやる! 土下座させて靴の裏舐めさせてやるっ!」
「な、何かよく分からないが、落ち着くのだ! ほら、息を吸って、吐いて」
「んなアホな励まししか出来ないから、あんた秀麗ちゃんに振られるんですよ!」
「な、何故知ってるのだ!? そそそそれにまだ振られてはいないっ!」
「見てりゃ分かるっつーの! 秀麗ちゃんは茶州でめっちゃ美人になったし? 縁談ざっくざくの選り取りみどり! 主夫やってくれる男見つけてこれからの人生薔薇色だ!」
「ひひひ酷い・・・っ! 酷すぎるぞ! 官吏! 余は、余は思い切り傷ついたぞ!」
「私だって凹んでるっつーの! 何だこれは新手のいじめか!? 力あるのに使うなっつーし、なのに目の前で人は死んでくし! そりゃ私はこの世界の人間じゃないよ! だけどこの放置プレイはないだろ普通!」
「官吏・・・・・・」
「だけど、あーもーちくしょうっ!」
「こんなことなら彩雲国なんかに来なきゃよかったって思えないところがめっちゃむかつく!」
思いっきり怒鳴り散らすと、ちょっとすっきりした。今更ながらにご近所迷惑だったかもしれない。ここは朝廷だけど、そこの府庫では秀麗ちゃんをはじめ、多くの方々が眠りに着いているわけだし。
体勢を立て直す。ようやく正面から顔を合わせた王様は、どこか呆然とした顔をしている。そりゃそうだよねぇ。いきなりこんな訳分からない叫びを聞かされて、呆然としない方が珍しい。つーかさっきの物言い、普通なら打ち首だよ。真面目に首だよ、首。
せめて命くらいは助けてもらおう。にっこり笑顔を王様に向けた。びくっと震えた肩は何、王様。
「大変無礼な振る舞いをし、申し訳ございませんでした。私も人体切開に立会い、人の生死に関わる身として不安定になっていたようです。主上におかれましては多大な不愉快をお感じになられたかと思いますが、茶州で医師を待っている民のためにも、どうか寛大なるご容赦を下さいます様お願い申し上げます」
「・・・・・・ものすごくうさんくさいぞ、官吏」
「せめて取り繕ってるのが分からんのですか、この馬鹿殿。今すぐ許すと言わないと、秀麗ちゃんにあることないこと吹き込みますよ」
「ゆゆゆゆ許す! 許すぞ、官吏! 余は全然気にしておらぬ! まったく何にも聞いてないっ!」
「ありがとうございます。主上の寛大なるご処置に、この、必ずや茶州にて報いてご覧にみせます」
蒼白になりながら許してくれた王様は扱いやすい。こんなに扱いやすくて良いのだろうか。まぁ話に聞くところ結構良い治世を布いてるみたいだし、王様面はそこそこ平気なんだろう。平気じゃないと部下が困るよ。私が困るかどうかは別として。
「・・・・・・官吏は、大変なのだな」
ぽつんと王様が呟く。そういえばこの人、まだ20歳くらいだっけ? 幼く見える横顔は、王様というより子犬みたい。
「いーえー私が打たれ弱くなってるのがいけないんですよ。その世界にはその世界の遵守すべき掟があるんです。それを承知で異世界を渡ってるのに、あまりにも秀麗ちゃんがまっすぐなんで忘れかけてました」
鮮やかに、前を向き続ける秀麗ちゃん。斜め後ろ向きな私とは角度が違うよ。私が捨てたものを、彼女は自然に持っている。
府庫の窓から駆け出してく黎深さんが見えたし、多分秀麗ちゃんが起きたんだろう。旅立ちの前くらい、王様も好きな人に会いたいだろうしね。そろそろお暇しましょうか。まだ何か言いたそうにしてる王様に手を振って、とりあえずその場を後にした。
見上げればまだ、月は空にある。
諦めの悪い私だけれど、そろそろ数えるのを辞めるべきかもしれない。
例え億を超えたとしても、私は多分、同じ月を見るのだろうから。
選択を後悔したことはないけれど、生き方に少し後悔するよ。
・・・・・・秀麗ちゃんみたいに、なりたかったなぁ。
私、うまく、笑えてる?
2006年9月16日