35.きっと、あれが、絶望の色
酔っ払いというのは恐ろしい。でもって女性に飢えている男性というのも恐ろしい。秀麗ちゃんがここにいなくて良かったような、いたらいたで二人で舞って奏でておひねりをたくさんもらえたような、とにかくそんな感じの時間を過ごして楸瑛さんのところに戻ると、いつの間にか絳攸さんが仲間入りしていた。
うーわー・・・・・・隣に並ぶ静蘭さんと一緒で薄暗い酒の飲み方してるよ。どうしてみんな、新年なのにこうもどんよりしてるのかなぁ。
「えーと、李侍郎、新年明けましておめでとうございます。本年もご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します」
「無駄だよ、殿、今の絳攸は使い物にならないから」
さくっと楸瑛さんに指摘されたが、まったくもってその通りっぽい。しかも楸瑛さん、二人に酒を注ぎまくって潰すことを目標としてません? さっきよりハイピッチで二人に酒を飲ませているよ。
「どうしたんですか、李侍郎。文官なのに羽林軍の飲み会にいらっしゃるなんて」
「絳攸もお年頃だからね」
「あーお見合い話ですか。確かに新年ともなれば親族が揃って、お年頃で稼ぎ頭な李侍郎にとっては避けて通れない話題ですよね。まぁ楸瑛さんも似たようなもののようですが」
「うちは今年は私より龍蓮に来ているからね。殿も知ってるんだろう?」
「本人から聞きました。どうやら三つ子は様子見みたいですけれど」
「・・・・・・我が弟ながら、少々気の毒になってきたよ。もう少し気にかけてやってくれてもいいんじゃないかな?」
「大丈夫ですよ。龍蓮は『藍龍蓮』ですから」
にこっと笑って話を終わらせる。うーん、やっぱりどうもこの手の話は苦手だなぁ。龍蓮は好きなんだけど、面白いし風流だし、多分大好きの部類にも入るんだろうけど、でも私の中で恋愛には決してならない。どうしてこうなのかなぁ。どんなに異世界を回って美形さんと出会っても、恋だけは出来ないなんて人生損してるような気がしてきたよ。
「そういう殿には、さすがに縁談話は来ていないようだね。求愛はされていても、藍家当主の寵姫を正面から奪いに来る輩はいないらしい」
「さすが三つ子。本当は新年くらい本家に帰って来いって言われてたんですけど、さすがに今は勤め人ですしお断りしたんです」
「あぁ・・・・・・だから私に嫌味ばかりの一言書きの文が山のように送られてきたのか」
「ご迷惑をおかけしてます」
感謝の気持ちを表して、楸瑛さんに酒を注ぐ。そろそろ周囲でも沈没する人が出てきたなぁ。静蘭さんもやばいって。絶対やばい。後に響かせないためにも今のうちに潰しておいた方がいいんじゃないの? とりあえず首筋に一つ手刀でも、と思って近づこうとしたら、その手をがしっと捕まれた。静蘭さんは前にいる。楸瑛さんは横。ってことは、この斜め後ろから伸びてきている手は。
「・・・・・・李侍郎? どうかなさいましたか?」
「違う。李侍郎じゃない。絳攸だ」
「李侍郎?」
「絳攸と呼べ」
―――やばい。やばい。スイッチが入った。まずい。早くこの場から逃げ出さなくちゃ。
私の顔色が変わったのが分かったのか、楸瑛さんが慌てた仕草で李侍郎の肩に手を置く。止めて下さい。早く、今すぐ。
「絳攸、もう飲むのは止めなさい。君は酔っている」
「酔ってなんかない。俺はちゃんと、話をしている」
「だから、」
「聞いてくれ、。俺はおまえがいい」
いっそ耳を塞ぎたかった。逃げてしまいたかった。ごめんなさいと拒絶する暇も与えてくれずに、彼は、真摯な眼に、私だけを映し出す。
「いつか誰か一人を選ぶのなら、おまえがいい。俺がそう望んでいることを、どうか覚えていてくれ」
そう告げて、彼はふと表情を緩めた。柔らかな微笑は初めて見るもので、優しいと思うと同時に申し訳なさが募ってしまった。ついに限界を迎えたのか、ゆっくりと体が酒瓶の中に倒れていく。そんな彼の手はまだ、私の手首を掴んだまま。
楸瑛さんが、それを丁寧に剥がしてくれた。静蘭さんが私の耳元で、そっと低い声で囁く。
忘れてしまいなさい、と。
目覚めた彼は覚えていなかったらしい。だから私は無かったことにしてしまう。
2006年9月9日