しばらくバイクを走らせ、追っ手がないことを確かめてから、はエンジンを切った。到着した人気のない学校は、彼の通っている山吹高校である。深夜ということで校門はすでに閉ざされているが、彼にとってセキュリティなど問題ではない。「山吹の覇者」だからこそ許される権限でもって門を開き、校舎内へと立ち入る。誰もいない廊下を月光が照らし、指紋や声紋のチェックを受け、ようやく入室できた己の執務室で、は大きく息を吐き出した。引きつった傷口に顔を歪めかけたとき、ピコーンと可愛らしい機械音が鳴って、彼の白い学ランのポケットから紅い石のついた指輪が転がり落ちる。石から放たれた光が壁に当たり、映像を映し出した。

『へぇ、昨日の今日でずいぶん男前になったじゃん』
「・・・・・・まったくだ。これだからあの人に関わると禄なことがない」

テノールのからかい声に、も笑って返す。スクリーンの中央に座す、愛らしい容姿をデザインスーツに収めている少年は、名を
イタリアマフィア・ヴェレーノファミリーのドンであり、の血縁上の従兄弟、そして戸籍上の兄弟だった。





路地裏でにゃあと鳴け(裏方編)





この指輪は、レプリカである。からすれば戸籍上の祖母である女性が、常に身に付けている真紅の指輪を真似て、彼女自ら作成したものだ。持っているのは、そして彼らの父親に当たる零。いつでも家族で連絡がとれるようにとの配慮らしいが、作り手のことだから一体どんなオプションがついているのか怪しいものだとは思う。そういう人なのだ、自分たちの祖母という魔女っ子は。
「見つけたよ。おまえの元縄張りにいた」
の報告に、が目を瞬く。長いまつげが揺れる様はまさに美少女で、従兄弟なのに自分とは違うな、とはしみじみ思う。
『並盛? おまえよく見つけたな』
「『山吹の覇者』を舐めないでもらいたい。捜索がされていることは伝えてある。今は誰かの家で保護されているようだから、お祖母様の性格からして、相手に迷惑をかける前に自ら辞してくるだろう」
『・・・・・・保護されている? あのバーサンが?』
「俺も最初は信じがたかったけどね」
でもあの姿なら納得だ。毛並みが美しく、しなやかな仔ヒョウは人目を引いて止まない。けれど何となく教えてやるのは惜しかったので、は彼女の変身については触れないことにする。代わりに常備されている救急箱を取り出し、血まみれになってしまった学ランを脱いだ。
『それにしてもおまえ、ボロボロだね。そこまでやられるなんて珍しい。誰にやられた?』
まさかバーサン? と続けられた言葉に、は洒落にならないと肩をすくめる。
「お祖母様をナンパしていた男に、思いとどまるよう進言しただけだ」
『それでその傷? 相手は誰だよ』
「おそらく殺しが本職の人間。名前はベルフェゴール」
ぴくりとの表情が動いた。眉が顰められ、何かを思案するような顔になる。大貫、と彼が呼び掛けると、大きな手がスクリーンの端から伸びてきて、何枚かの書類を置いていった。それらに目を通し、は呆れたように肩を落とす。
、おまえよく生きてたな』
「やはりそっちの関係者か」
『イタリアマフィア最大手、ボンゴレファミリーの独立暗殺部隊「ヴァリアー」。そこの天才だってさ』
がデータを読み上げて鼻で笑った。彼は自身が最高だという自負があるから、実際に目で見た情報しか認めない。
「・・・・・・何でそんな奴がおまえの元縄張りにいる?」
『ボンゴレの次期ドンが、俺の母校に通ってるんだよ。確か今は二年だっけ? それの後継者争いが起こってるみたいだね』
「傍迷惑な話だ。俺の統治下じゃないから良いものの」
片手で器用に包帯を巻き、テープで止める。血は流れたものの、傷自体はどれも浅かった。けれど眼鏡だけは完全に割れてしまい、新しいものを購入する他ないだろう。
「・・・・・・この医療費と賠償金はお祖母様に申し立てればいいのかな」
『おまえと相打ちってことは、ヴァリアーも噂ほどじゃないらしいね。ベルフェゴールはどうだった?』
「無数のナイフとワイヤーを使う。確かに動きは素早いけれど、捕らえられないほどではない」
『データに拠れば自分の血を見ることで狂乱するってあるけど?』
「・・・・・・それは助かった」
ナイフで向かってくるベルフェゴールに対し、は警棒と素手で応戦した。何となく勘だけれども、この相手は傷を負わせずに仕留めた方がいい。そう思ったので相手を捕まえては関節を外し、急所を狙った。さすがに最後の方は消耗戦になってしまい骨の数本を折らせてもらったが、別れ際も楽しそうに「まてよー」とか「ヴァリアーに入れよー」とか言っていたので心配はないだろう。
問題は、18時少し前に良い子の帰宅がごとく姿を消してしまった彼女だ。
「とにかく、お祖母様には俺から戻るように言っておいた。お父様とリドルにそう伝えてくれ」
『おまえから伝えろよ・・・って言いたいところだけど、ヴァリアーとの善戦を評価してやるよ。でも明日にはそっちに行くだろうね』
「おまえの元縄張りが俺の傘下でなくて本当に良かった」
嫌味半分で本音を告げれば、は小さく肩をすくめる。はそんな彼に笑みを浮かべて、ひらひらとスクリーンに手を振った。
「それじゃ、。また会う日まで」
『ヴァリアーに誘われたからって入るなよ? 邪魔されるくらいなら俺が先におまえを潰す』
「肝に命じておくよ」
『じゃーね、
「死ぬなよ、
『誰に言ってんの?』
愛らしい笑顔と同時に、ぷつんと音を立てて映像が途切れた。指輪の紅い石から光が徐々に消えていく。完全に消え去れば、執務室には静かな夜が戻ってきた。もう日付も変わったし、今更マンションに戻るのも面倒くさい。そう考え、は三人がけ用のソファーに横になる。脇腹の傷が、ほんの少しだけ痛みを訴えた。
「本当にあの人は・・・・・・自分がどれだけ厄介者を引き付けるのか、ちゃんと自覚してもらわないと・・・」
先ほど飲んだ痛み止めが効き始めたのだろう。襲ってくる睡魔に逆らわず、はまぶたを下す。夢と現実の狭間で、ヒョウがまるで猫のように「にゃあ」と鳴いたのが聞こえた気がした。





目が覚めたら怪我は全部治っていたそうです。ちなみに眼鏡も元通り。
2006年7月18日