閑話(彼の変化、彼の災難)





という異世界の少女が裂け谷に来て一番変わったのは誰かと言われたら、谷にいるエルフは全員が口を揃えてこう答えるだろう。
「グロールフィンデルだ」――――――と。



テキパキと仕事をこなす姿は、いつもと変わらない、同じグロールフィンデルである。
一枚処理するたびに容赦なく次を渡されながら、エルロンドは心の中で泣きそうになった。
「・・・・・・・・・グロールフィンデル」
「はい、何か?」
「やけに仕事のペースが早いと思うのだが」
「そんなことはございません。エルロンド卿の気のせいですよ」
ニッコリとエルフの中でも美しい顔を輝かせて、グロールフィンデルは笑う。
しかし付き合いの長いエルロンドは、彼のその笑みの中に別の意志を感じ取った。
曰く、『余計なこと言わずにさっさと仕事を終わらせやがれ、このジジイ』である。
ほんの数日前までは至って普通の穏やかで優しいエルフだったはずなのに・・・・・・・・・。
心中で滂沱しつつも、その剣幕に脅えながらエルロンドが書類に目を通し続けていると、執務室の扉を細く開けて顔を出した者がいた。
黒く艶やかな髪を揺らして、同色の瞳でこちらを見つめてきて。



「こんにちは。お仕事中、失礼してもよろしいでしょうか?」



ニッコリと愛らしく笑ったこの少女こそ、エルロンドが涙するほどにグロールフィンデルを変えた原因である。



「いらっしゃい、
朗らかに少女を迎え入れるグロールフィンデルの笑みが先ほどと激しく違うことに気づき、エルロンドは胃を抑えた。
ここ数日で何だか一気に歳を取った気がする・・・・・・。
死ぬことのないエルフなのに自らの寿命を悟った気がして、エルロンドはそっと目頭を拭った。
それを見かねたエレストールが隣から薬を差し出してくれたので、感謝を捧げながらそれを服用する。
しかしどんな薬を飲もうとも、エルフの機能の高い耳はすぐ近くで交わされている会話をキャッチしてしまって。
「どうしました? 今日は一日本を読んでいる予定では?」
「グロールフィンデルさんに会いたくなったんです。というのは嘘で、エルロンド卿に医学書を借りれたら、と思いまして」
「嘘は時として真実ですからね。嬉しいですよ、
「私もそう言って頂けて光栄です。お仕事の方はいかがですか?」
「あなたと同じ夕食の席につけるように必死でこなしていますよ」
「エルロンド卿が、ですね」
怖い。逃げたい。この際モルドールでもいい。
サウロンの方がこの二人よりもまだマシだ・・・・・・っ!
エルロンドは更に痛みを訴える胃を治めるべく、薬を求めてエレストールを見たが、すでに隣には誰もいなかった。
つい五秒ほど前まではいたはずなのに、今はもう綺麗サッパリ跡形もなく。
「・・・・・・・・・一人で逃げるな・・・・・・っ」
部下に見捨てられて上司は泣いた。



可愛らしい外見とは異なり、一筋縄ではいかない異世界の少女。
彼女が裂け谷に来て一番変わったのは誰かと言われたら、谷にいるエルフは全員が口を揃えてこう答えるだろう。
「グロールフィンデルだ」――――――と。



影で胃を傷めて泣いている館の主など露知らず、裂け谷は今日も平和なのだった。





2005年12月3日