04:綺麗な人は好きですか?
エルロンド卿とやらは、実に私の好みだった。
金を持っていて、知識もありそうで、礼儀も常識も期待できそうだし、何より性格も普通そうだ。
この裂け谷を治めているのも、今目の前にいるエルロンド卿らしい。ってことは統治者でもあって。
うーん、なおさら素晴らしい。しかも何と。
この裂け谷にいる美人さんたちは、全員『エルフ』らしい。
エルフとは、美人で、永遠の命を持っていて、視力と聴力が良い、失恋で死ねる、耳の尖った人型の生き物らしい。
この裂け谷にいるのはたいていエルフらしく、エルロンド卿も例に漏れずエルフ。
アラゴルンさんは違うらしい。うん、確かにちょっと美形の系統が違うからねぇ。
ってことは多分、雪山の前の森にいた金髪美人さんもエルフなんだろう。遠目だったけど、あの人はこの裂け谷系の美形だったし。
「それで、と言ったか」
エルロンド卿の大人びた、低い声が響く。
見た目じゃ年齢は良く分からない。まぁエルフは長寿らしいから千年単位のお歳なのかもしれないけれど。
「そなたが中つ国以外の世界から来たであろうことは認めよう」
「はい、ありがとうございます」
「して、どうする。元の世界へ帰る方法を探すならば、我々も力を貸すが・・・・・・」
「あ、それは大丈夫です。ありがとうございます」
サラッと答えたら、エルロンド卿もアラゴルンさんも一瞬ピタッと停止なさって。
え、だってねぇ。
「異世界に迷い込むのはいつものことですし、時期が来れば自然と帰れると思いますから」
「・・・・・・・・・今までにも同じようなことがあったのか?」
「はい。最短で半日、一番長いのでは半年くらい帰るのにかかりましたけど」
エルロンド卿とアラゴルンさんは、呆気に取られたような顔をしている。
でも、こうして手を貸してくださるという優しい方に出会えたのは紛れもないラッキーであって。
これを活かさない手はない。つーか逃す手はない。
「あの、こうしてお願いするのは失礼だとは思うのですが、宜しいでしょうか?」
聞けばエルロンド卿は一つ頷いてくださったので、私は先を続ける。
「ご迷惑とは思いますが、もし可能でしたら、私にこの世界の常識と現状を教えて頂けないでしょうか」
サウロンとか猿男・・・じゃなくてサルマンとかの話は聞いたけれど、私に必要なのはそういう悪の話じゃない。
とりあえずは元の世界に戻るまでこちらの世界で暮らしていくために必要な知識なのだ。
「魔法で大抵のことは何とかなるかもしれませんが、やはり情報不足は否めませんので」
無理ですか、と尋ねたら、エルロンド卿は少し躊躇った後で首を振ってくださる。
「教えるのは良い。だが、そなたが元の世界に戻れるまでは、この館にいても良いのだぞ」
「それはとても有難いお言葉なのですが、やはりそこまでお世話になるのは」
「いや、この世界のことを分からないそなたが一人でいることの方が問題であろう。ただでさえ今はオークが徘徊しているというのに」
オーク?・・・・・・あぁ、私が一番最初に話しかけて無視された化け物さんのことか。
「大丈夫です。焼いて食べますから」
「オークは不味い。それは止めておけ」
「はーい」
エルロンド卿はやっぱりイイ。
そんなことを考えていたら、視界の隅っこで肩を落としているアラゴルンと、私たちを案内してきてくれたお兄さんが苦笑しているのが見えて。
何だかこの世界も結構楽しそうだなぁ。最初に溶岩の裂け目に登場したときはどうなることかと思ったけどさ。
「ともかく、しばらくはこの館に滞在しなさい」
「ですが、それでは卿にご迷惑をおかけしてしまいます」
「何、そなた一人預かるくらい私には迷惑でも何でもない。むしろ喜んで迎えよう」
そう言って、エルロンド卿は笑った。
「ようこそ、。エルフの住まうこの裂け谷へ」
アラゴルンさんは何やらエルロンド卿とお話があるらしく、謁見した後で私を案内してくれたのは最初に現れたお兄さんだった。
「はじめまして、姫君。私はグロールフィンデルと申します」
微笑む姿も礼をとる仕草も、すべてが王子様だ。うっわー・・・エルフって、マジでいい!
「・です。この度はご迷惑をおかけいたします」
私もペコリと頭を下げる。
グロールフィンデルさんは、やっぱり穏やかで綺麗に笑う。つーかエルフの人の行動には全部『綺麗』って形容詞をつけてもいいかもしれない。
「迷惑だなんて、そんなことはありません。滅多にないお客様ですしね。ましてや異世界からの、こんなに可愛らしい少女なら」
歓迎こそすれ厭うなんてことはありませんよ、とグロールフィンデルさんは言う。
付け足しておこう。エルフは口も上手い種族らしい。
「失礼ですが、とお呼びしても?」
「ええ、もちろんです」
「良かった。では私のこともグロールフィンデルとお呼び下さい」
いえ、そんなことは出来ません。
私はニッコリと笑顔を浮かべつつ、心の中でだけそう答えておいた。
年上の、しかも美人さんに敬称をつけて呼ばないだなんて、そんな恐れ多いことは出来ないし、したくないので。
美人さんは鑑賞されるために存在するのです。そして美術品には敬意を払わなくては。
カメラを持ってくれば良かったなぁ、なんて考えていると、グロールフィンデルさんは一つの部屋へと私を案内して下さった。
繊細なつくりの扉を押し開ければ、中は空間の広さを感じさせる統一性のあるインテリア。
「しばらくの間はこの部屋をお使い下さい」
グロールフィンデルさんは言った。
いや、でも、ねぇ。
「もっと質素な部屋でいいんですけど」
「まぁそう言わずに」
特筆2:エルフは押しも強い。
何だか最強なんじゃないかと思う種族の一人に背中を押されて、私はその部屋へと足を踏み入れた。
正面に見える大きなガラス張りの窓。その向こうに見えるアーティスティックなバルコニー。
家具はすべて統一されていて、それにも細かで精巧な模様が刻み込まれている。
そして何より、問題はベッドだ。
布をふんだんに使った、スプリングでトランポリンも出来そうなそれは。
「・・・・・・お姫様ベッド・・・・・・・・・」
天幕のカーテンに囲まれている、レースひらひらのベッド。
眠れる森の美女が寝てそうだなぁ。つまりは私が寝るには相応しくないということで。
「グロールフィンデルさん」
振り向くと、彼のエルフはニッコリと笑っていらっしゃって。
「グロールフィンデル、ですよ。」
「グロールフィンデルさん」
だから呼び捨ては嫌なんだって。そう思いながらもう一度呼んだら、グロールフィンデルさんは笑みを一層深くなされた。
「グロールフィンデルさん」
ニッコリ
「グロールフィンデルさん」
ニッコリ
「グロールフィンデルさん」
ニッコリ
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「何でしょう、」
やっと返事を返しやがったか、この美人め。
「もっと質素な部屋がいいです」
「それは聞けません。あなたは客人なのですから」
「じゃあ客人の言うことは聞いて下さい」
ニッコリ
今度は私が同じような笑みを浮かべてやった。
あはは、笑顔対決。でもこういうのはホグワーツで須釜さんや渋沢さんと死ぬほどやってるからねぇ。
エルフがどれだけ生きているかは知らないけれど、私も今までの経験を無駄にしてきたわけじゃないから。
こういった勝負じゃ負けません。むしろ勝てる見込みのない勝負はしない主義なんで。
ラウンド1、ゴングが鳴り響いた。
「・・・・・・・・・何をしているんだ?」
こうしてアラゴルンさんが呼びに来るまで、私とグロールフィンデルさんのスマイルバトルは続いたのである。
「では、この部屋が嫌なら私のところへいらっしゃいますか?」
「ふふ、グロールフィンデルさんとご一緒ですか? 裂け谷中の女性に恨まれてしまいますね」
「そんなことは気になさらず。私はあなたと共にいられるだけで幸せですよ」
「美しい方にそう言われると照れる以前に恐縮して困りますね。お言葉だけ頂いておきます」
「そうですか、それは残念です。お気が向きましたら何時でもいらして下さいね」
「ありがとうございます。では、そのときは是非とも密やかに」
「お待ちしてますよ」
どこにでも腹黒はいるものだと思った。
2005年12月3日