藍染の反乱から一週間。
戦いの傷跡は癒え、尸魂界には平穏が戻りつつある。
騒がしいけれど穏やかな日々が訪れ、朽木ルキアの処刑が撤回されると共に旅禍たちへの対応も変化した。
虚圏【ウェコムンド】へと姿を消した藍染たちのことを思えば、決して浮かれてばかりはいられないけれども。
それでも、尸魂界には以前と同じように平和が広がりつつあった。
いくつかの抜けない棘を、その中に孕んで。
勝手にWJ(BLEACH180話)
市丸ギンを肴にして妙な盛り上がりをみせる乱菊と吉良から逃げるように、日番谷は十番隊隊舎を後にした。
足取りが向かう場所は、自然と決まっている。
すれ違う死神たち、交わされる明るい会話。
小さく漂う白雲、抜けるように高い青空。
それらすべてを擦り抜けるように、日番谷は四番隊の庭内へと足を踏み入れた。
この五日間、慣れ親しんでしまった雰囲気、間取り。
開かれた扉から覗く相手は、まだ目覚めない。
つけられたままの呼吸器が小さな音を立てている。
「・・・・・・雛森・・・」
日番谷の声が、空しく響いた。
何故か部屋に入ることが出来ず入り口にもたれるようにして日番谷は立っていたが、近づいてくる気配に逸らしていた視線を上げる。
廊下の曲がり角から現れたのは、この五日、ほぼ毎日顔を合わせている相手だった。
日番谷は知らず眉間に皺を刻む。
「よぉ、チビ」
「・・・・・・日番谷だ。何度言えば分かる」
「おまえのお姫さんはまだ目覚めてねぇよ。いっそのこと口付けた方がショックで目を覚ますんじゃねぇか? おまえにその度胸がないなら、俺が代わってやってもいいぜ」
「ふざけんな」
「餓鬼だな、相変わらず」
は日番谷の頭をぽんっと軽く叩き、室内へと足を踏み入れる。
そのあまりの自然さと、見上げるしかない身長に日番谷は内心で舌打ちをした。
自分がどう足掻いても得られないものを、目の前の男は持っている。
それがやけに悔しくて、決して他人に言う気はないけれど―――羨ましかった。
今も部屋の入り口にいる日番谷に向けて、は雛森の傍から手招きする。
「ほら、さっさと入ってこいよ」
その差し伸べる手も、日番谷には簡単に出来ないこと。
どこか恐る恐る室内へ入ってきた彼に構わず、は雛森に取り付けられていた呼吸器を外す。
口元に手の平を当てて自発呼吸の有無を確認すると、今度はその手を額に移した。
淡い光が浮かび上がり、彼女の身体を滑っていく。
日番谷はその光景を、ただじっと見ていた。
『精神的なものです』
そう、卯ノ花は告げた。
藍染たちが尸魂界去った二日後、日番谷が初めて雛森の病室を訪れたときだった。
『治療により一命は取り留めました。肉体的治療の済んだ今、いつ目覚めても不思議ではありません。・・・・・・けれども、彼女はまだ目覚めない』
何だか久しぶりに会う気がする雛森は、やけに小さかった。
彼女はこんなに細かったか。彼女はこんなに青褪めていたか。
『おそらく、藍染惣右介が自分にしたことを信じたくないのでしょう。だからこそ現実に戻ることを恐れている』
伸ばした指先が彼女の頬に触れた瞬間、びくりと震えた。
その頬はあまりに冷たかった。
『先ほど言ったとおり、いつ目覚めても不思議ではありません』
話す卯ノ花の声が、どこか遠く聞こえた。
『ですが、このまま永遠に目覚めない可能性もあることを・・・・・・どうか留意しておいて下さい』
そう告げられた日から毎日、日番谷は雛森の病室を訪れていた。
色のない彼女の顔を見る度に、力のない自分を恨む。何故、という悔恨ばかりが胸に浮かぶ。
きつく眉根を寄せる日番谷の向かいで、は今日の分の治療を終えると除けていた布団をそっと被せた。
怪我人ばかりで忙しい四番隊員の中で、専任的に雛森の治療に当たっているのが、このだった。
「じゃあな、お姫さん。明日は笑顔を見せてくれよ」
聞いていないと分かっているだろうに、そんな言葉を連ねる彼に日番谷は片眉を上げる。
その様子には肩を竦めた。
「呼びかけっていうのは大切なんだよ。意識はなくても耳はちゃんと音を捉えている。名前を呼べば脳は反応するし、それが何時か目覚めに繋がるかもしれない」
目を見開いた日番谷の額を、は長い指で弾く。
「だからおまえも見てるだけじゃなく呼んでやれ。でもってこの部屋に居るときくらい、その眉間の皺をどうにかしろ」
ぐりぐりと指で眉間を押され、日番谷は忌々しげにその手を振り払った。
さらに寄った皺には楽しげに声を上げて笑い、温かな手を日番谷の頭に載せて乱暴に撫ぜる。
「そんな情けない面を、目覚めたお姫さんに見せる気かよ? 大事なら笑え。でもって安心させてやれ。『俺が守ってやるから大丈夫だ』って言えるくらいになってな」
目を見開いた日番谷に片口を吊り上げて笑い、は寝台から離れる。
励ましだと脳が理解すると、羨む気持ちよりも先にぬくもりが心を満たした。
ふと顔を上げれば窓ガラスに自身の顔が写っていて、その険しさに今更ながらに気が付く。
自分はずっと、こんな顔をしていたのか、と。
目から鱗が落ちた思いで、日番谷は寝台に横たわる雛森を見下ろした。
そして自然にふっと口元を綻ばせる。
「・・・・・・また来るから早く起きろよ―――雛森」
伸ばして触れた頬は、温かかった。
部屋を出れば、が曲がり角に消えていくところだった。
足早に廊下を進み、その隣に並ぶ。足の長さの分小走りになってしまった自分が少し恨めしい。
けれど板張りの床を見下ろしたまま、日番谷は呟く。
「・・・・・・おまえが俺の治療をしてくれたって聞いた」
「あぁ。おまえ、ついてたぜ。俺が治すのは女だけって決まってるからな」
「どうせ仕事だろ」
「じゃあ、おまえは仕事でお姫さんを守ろうとしたのか?」
そう言われては、返す言葉もない。
黙りこくった低い位置にある頭に、は笑いを漏らす。
「まぁ、俺も烈が呼んだから手を貸しただけだ。その点でもおまえはついてるぜ。烈が藍染の怪しさに気づかなければ、おまえとお姫さんはそのまま放置されて今頃ここにはいなかった」
「・・・・・・分かってる」
「感謝は言葉よりも態度で示せよ。女なら身体で表してもらうところだけど、おまえは男でしかも餓鬼だから奢られるくらいで許してやる」
あからさまな言葉に眉を跳ね上げ、けれど日番谷は何かを思いついたかのように目を細めた。
そしてを見上げ、挑戦的に口元を吊り上げる。
「なら女を紹介してやるよ」
「おまえと同じような外見年齢はごめんだぜ。生憎と俺は幼女趣味じゃないんでね」
「安心しろ。俺の知る限り一番いい女だ」
断定的な物言いに、は見定めるように日番谷に視線を落とす。
見詰め合うというよりは睨み合うという形のまま、日番谷は女の名を告げた。
「松本乱菊」
の整った眉が一瞬だけ跳ね上がり、次いで苦笑するように顰められた。
日番谷は知っている。自分の部下が、この男の『特別』になりたがっているのを。
卯ノ花と砕蜂が『認識』される方を選んだがために諦めざるを得なかった、『恋人』の地位を望んでいるのを。
知っているからこそ、挙げてみせた。
にとって異例となれる可能性のある、彼女の名を。
「・・・・・・生意気な餓鬼だ」
言葉ほど悪意はなく、頭を乱暴に撫でてくる手を今度は振り払わなかった。
温かくて大きな手の平が、羨ましいけれど嬉しくもあった。
2005年7月21日