恐ろしい夢を見て飛び起きた勇音を、卯ノ花は常と変わらぬ穏やかな笑顔で迎えてくれた。
月を見上げている彼女の手にあるのは珍しく酒で、置いてあったもう一つのグラスにそれを注ぐ様を勇音はぼんやりと眺める。
そして差し出されて初めて、その行為が自分のためのものだと気づいて慌てた。
「す、すみません! ありがとうございます!」
礼を述べれば、やはり微笑を返されて。
夢に怖がっていた心が落ち着いていくのを感じながら、勇音はグラスに口をつける。

昼間の騒乱が嘘のように、静かな夜だった。





勝手にWJ(BLEACH179話)





ぽつりぽつりと会話をしていたけれど、やはり夜着一枚というのは寒かったかもしれない。
酒のおかげで頬は熱を持っているのに背筋が震えて、勇音は思わずくしゃみをした。
卯ノ花はそんな彼女にもう寝るよう勧めようと隣を向いたが、何も言葉にはせずに微笑んだ。
暖かい布が、勇音の頭に降ってくる。
「え!? ええぇ!?」
慌てふためいてもぞもぞと手を動かせば、どうにか頭が出た。
自分を覆ったものの正体が白い羽織りであることに気づき、勇音は目を瞬いて顔を上げる。
その視界に映ったのは、細い三日月と逆向きの男の顔だった。
整った造形と皮肉めいた笑みは、月光の下で見るには色艶が鮮やかすぎて。
瞬間的に耳まで真っ赤に染めながら、勇音は上司である彼の名を叫ぶ。
「っ・・・副隊長!」
「よぉ。こんな月の見事な晩に女二人で酒盛りか? 色気ねぇな、おまえら」
「い、色気って・・・!」
「まぁ、夜着一枚っつーのは眼福だけど?」
にやり、と細められた目が自分の胸元へと向けられていて、勇音は慌てて羽織りをかき集めた。
は残念、とさして思っていない様子で呟き、勇音と卯ノ花の間に座る。
卯ノ花は自分のグラスに新たな酒を注ぎ、へと手渡した。
「お帰りなさい。ご苦労様です」
その言葉を聞いて、勇音はがまだ死覇装姿であることに気づいた。
血の臭いのするそれは昼間の出来事が嘘じゃないことを示していて、思わず唇を噛む。
そんな彼女に気づいているのかいないのか、は口を開いて。
「阿散井が目を覚ました。傷が深いから全快には遠いが、もう死にはしないだろ。朽木白哉はまだ危険値内だから三班の野郎共と伊江村をつけてある」
「そうですか・・・・・・。砕蜂の方はどうでしたか?」
「相変わらず素直じゃなかったから、無理やり引きずり出して顔を合わさせてやった。もう一度ぶつかりあった後だしな、今頃は仏頂面で昔話でもしてるだろ」
「ふふ。明日が楽しみですね」
どこか悪戯に笑いあう二人が二番隊長に関して何を話しているのか分からなかったけれど、が今の今まで後処理に奔走していたことに気づき、勇音は真っ青になって頭を下げた。
「す、すみませんっ副隊長! 事後処理は私たちの仕事なのに・・・っ!」
「気にすんな。申し訳ないと思うなら美肌になって俺を楽しませろ」
「はい! って、え、えぇ、いや、えっと・・・っ!?」
「睡眠不足は女の敵だろ」
しどろもどろになる勇音に笑いながらはグラスを呷り、空になったそれに卯ノ花が新たに酒を注ぐ。
まるで夫婦のような似合いの光景に、勇音は思わずぼんやりと見入ってしまった。
そして自分の手の中にあるグラスを見下ろして、ふと思う。
月明かりの下で一人、酒を嗜んでいた卯ノ花。
けれどそんな彼女は二つのグラスを用意していた。
それの意味するところに気づいて、勇音は顔を真っ赤に染め上げ、そしてすぐさま蒼白になる。
「うひゃあ・・・っ!」
奇声を上げていきなり立ち上がった勇音に、卯ノ花とはきょとんと目を瞬いた。
そんな様子からでさえも二人の親しさを感じてしまう。
確かに卯ノ花とは死神統学院の同期で、四番隊に入隊後もほぼ昇進を同じくしていて、そんな二人について回る噂はたくさんあって、今も密やかに伝えられていたりするのだけれど。
今まで気持ち半分に聞いていたそれらが一気に蘇ってきて、勇音は二人を直視できず、ぎゅっと目を瞑った。
「わ、わわ私っ! もう寝ます! お二人はどうぞごゆっくりしてらして下さい! じゃ、邪魔してすみませんでした・・・っ!」
言い捨てるだけ言い捨てて、握っていたグラスも羽織りもそのままに勇音は脱兎のごとく走り去った。
彼女の突然の行動に呆れつつも、卯ノ花とは顔を見合わせて肩を竦めあう。
「誤解、されてしまったようですね」
どこか楽しそうに卯ノ花は呟く。
「構いやしねぇよ」
も軽く笑って、新たに酒の注ぎ足したグラスを彼女へと差し出した。



静かな、本当に静かな夜。
今日あったことが夢ならば良いのに。
目覚めれば忘れられる、夢ならば良いのに。



「―――さてと。じゃあおまえの治療を始めるか」
互いにグラスを交換し合うのが二桁に達したころ、が伸びをしながら告げた。
卯ノ花は淡く微笑し、手の中のグラスを転がす。
「私なら、もう大丈夫です」
「見え透いた嘘吐くんじゃねぇよ」
どこか呆れたように、は肩を竦める。
「更木に負わされた怪我がそう簡単に治るわけないだろ。しかも雛森の救命措置に卍解までしたんだ。傷が開いてても不思議じゃねぇ」
「それならあなたこそ、私や砕蜂だけでなく日番谷隊長らの治療もして疲れているでしょう? 私よりも自分のことを考えて下さい」
「考えたからこその行動なんだよ。明日からしばらくは怪我人の治療に追われる。その中心になるおまえが万全じゃなかったら士気にも関わるしな」
そう言って、は卯ノ花の手からグラスを抜き取る。
銚子の乗せられた小さな茶托を脇に片し、自身の斬魄刀も腰から外して床へと置いた。
「ほら、後ろ向け」
僅かに眉根を寄せている卯ノ花に、は失笑する。
「なら俺は明日の午前を休ませて貰う。これでいいだろ?」
「・・・・・・分かりました。お願いします」
「了解」
正座していた足を崩し、卯ノ花は体の向きを変えてに背を向ける。
花の散らされている羽織りから袖を抜くと、ひんやりとした空気が感じられて少し寒い。
夜着の帯を少しだけ緩め、胸元を寛げる。
肩から着物が滑り落ちると、冷ややかな風が直に肌に触れた。
後ろで編んでいた髪がの手によって前に垂らされ、先ほど脱いだ羽織りも肩越しに渡される。
月光のせいか青ざめて見える肌の上、左肩から背中へと走る膿んだ傷。
「・・・・・・痕なんか残すんじゃねぇぞ」
触れた熱に、ぴくりと身体が震えた。



浮かび上がる肢体、ぼんやりと照らす鬼道。
癒す力は温かさを帯びていて、心までも優しく包む。
嵐のような一日の終わり。



「お疲れ、烈」
背中越し、送られた労りに卯ノ花はそっと微笑んだ。
「・・・・・・ええ」



月光が二人を照らす。





「ありがとうございます・・・・・・





2005年6月1日