それは、初めて授業で鬼道を扱ったとき。
「うそ・・・・・・」
「まさか、卯ノ花って・・・?」
「・・・おいおい、本気かよ・・・」
周囲の囁きが聞こえる中で、どんどんと大きくなっていく心臓の音。
指先が震え、唇が戦慄く。
もう一度詠唱しようとして、声が喉に張り付いているのに気づいた。
全身の血が、音を立てて引いていく。
卯ノ花烈は、破道を繰り出すことが出来なかった。
ノイズ
死神統学院に入るためには、入学試験に合格しなくてはならない。
尸魂界の史学や常識に関する筆記と、相手を前にしたときにどのくらい戦えるかの実技で行われるそれは、けれど受験するにも資格が必要だった。
鬼道が扱えるか否かが、その条件である。
卯ノ花はそれを満たしていた。だからこそ試験を受けることが出来、主席で合格まで果たしたのに。
今の彼女は、詠唱しても壁一枚壊せないでいる。
「・・・・・・・・・」
静かな沈黙が広がり、視線はただ一人に注がれる。
それらを全身で感じながら、卯ノ花は震える己の手を見下ろした。
萎えそうになる心を叱咤し、もう一度唇を開いて。
「白き光、紅の雨、闇に惑いし太陽を、今ひとたび願い攫わん」
本当なら言霊の必要などない初歩の破道を、今は唱える。
「―――破道の一『剋黒』」
霊力が集まる感覚はあるのに、それなのに力は発揮されない。
またしても出来なかった卯ノ花の耳に、くすり、という小さな嘲笑が届いた。
向けられている視線全部が自分を嘲笑い始めたのを泣きそうな心で感じて。
同級生の中から、砕蜂がまっすぐな眼差しでこちらを見ている。
やめて、と叫びたかった。
笑いが、嘲笑が広がる。聞こえる。
かぁっと頬が熱くなるのを卯ノ花は押さえられなかった。
役に立たない手を引き寄せ、胸元で握り締める。
その間にも耳に届き続ける同級の声。
主席としての誇り。好敵手への信頼と嫉妬、そして尊敬。
自分の築いてきたものがすべて。
向けられる囁きに、崩されてしまう。
逃げたかった。今すぐここから。
鬼道の使えない死神なんてお笑い種だ。
これ以上無様な姿なんか晒さないうちに。
泣き出して、しまう前に。
早く。
――――――早く。
「何だよ、俺の他にもいたのか。四番隊に無条件で入れる奴が」
その声は周囲の小波を一声で吹き飛ばした。
甘く、少しだけ低く、よく通るその声の主を卯ノ花は知っている。
入学試験で実技主席を獲得した生徒。
卯ノ花の認めるもう一人。
。
同級生が自然と割れ、その間から進み出てくる姿。
実習のときだけは欠かさずに出席する彼を、卯ノ花は縋る思いで見上げた。
整った顔つきが楽しそうに笑みを浮かべ、卯ノ花を見下ろす。
そしてやはり、周囲によく響く声で話し出した。
「あれ、知らねぇの? 死神には大きく分けて二種類存在するんだよ。鬼道を攻撃に使う一般的な奴と、それを治癒に使う例外的な奴」
ざわり、とその場にいた生徒たちが互いに視線を交し合う。
彼らはまだ入学したばかりの新入生。鬼道の授業も今日が初めてという死神見習い中の見習いのようなもの。
だからこそのもたらした情報に驚く者は多く、卯ノ花もその一人だった。
「何だったら証明してみるか?」
教師が何か言うよりも早く、卯ノ花が問い返すよりも先に、が制服の袴から小刀を取り出す。
躊躇うことなくそれを己の腕につけ、すっと横に引く。
溢れてきた血に染まる腕を突きつけて、が促す。
「ほら、やってみろよ」
それは、まるで導くように。
「治してみろよ――――――卯ノ花烈」
その日から、鬼道の実習で卯ノ花とは他の同級生たちとは別の講義を受けることになる。
霊力を完全に治癒と縛道にしか回せない卯ノ花とは違い、は破道を使うことも出来る異例の存在であった。
けれど受ける講義は卯ノ花と同じ、治癒を使える者だけが属することの出来る四番隊へと進むことを前提としたもの。
それでいいのかと聞いたことはないし、今後も聞くことはないだろう。
何故なら、卯ノ花は知っているから。
が同じ講義を受けているのは、気紛れとほんの少しの自分への気遣い。
彼はあのときもそうだった。
卯ノ花が泣きそうだったあのときに、魔法のように名を呼ぶだけで立ち上がらせてくれたのだ。
手を差し伸べられたわけではない。抱き締めてもらったわけでもない。
ただ名を呼び、距離を示すだけで。それだけで十分だった。
それだけが、何よりも。
いつか御礼をしようと卯ノ花は思う。
ノイズから救ってくれた彼に、出来うる限りの感謝を込めて。
2004年10月2日