鐘の音が聞こえる。
壇上の教師が教科書を閉じる。
「―――これらの内容を次の授業までにまとめて提出するように。以上、号令」
当番の係りの者が声をかけ、礼にそって頭を下げる。
教師が出て行くと途端に騒がしくなる教室の中で、砕蜂は教科書や紙をまとめ、鞄に詰めて席を立った。
本日最後の授業が終わった今、ここにいるべき理由などありはしない。
並んでいる机の間を抜けて扉へと行き着き、去るためにそれを引いた。
視界の隅で、同級の女生徒が笑っていた。
蜂蜜
廊下を歩きながら、砕蜂は足を寮ではなく図書室の方へと向ける。
先ほど出されたばかりの課題の期日は来週までだが、早めに終わらせておくことに越したことはない。
寮の夕食まで時間にも余裕がある。
そう決めて、今度は課題をどのようにまとめようかと砕蜂は考え出した。
死神統学院の中でも優秀な者しか在学できない一組に、砕蜂は属している。
その中でも彼女の成績は、筆記に関して一番だった。
――――――そう、筆記に関しては。
「・・・・・・卯ノ花烈・・・」
教室を去り際に、視界の隅を掠めた微笑。
同級生の名を呟き、砕蜂はかすかに眉根を寄せた。
常に穏やかな笑みを浮かべているその女生徒は、一組の主席だった。
筆記では砕蜂に劣り、実技でも次席でありながらも。
それでも卯ノ花烈という生徒は、総合的な順位で一番だった。
砕蜂は実技において、彼女の次の三席に甘んじている。
一組の中で最も死神に近い力を持つのは、実技の主席。
校舎を抜けて図書室に行くには通らなくてはならない庭に面した回廊へ出たとき、砕蜂は顔を歪めた。
知っている霊圧が近くにあるのを感じて。
「何だよ、おまえがこっちに来るってことは課題が出たのか。あー面倒くせぇ」
植栽されている木を背もたれにして、一人の男が立っていた。
だらしなく青い袴の制服を着こなした男は、砕蜂の同級で。
という名を持つ彼は、砕蜂の学年で実技の主席を務める生徒だった。
砕蜂はのことが嫌いだった。
実際に現世へ出て授業をする際には、彼の力を認めざるは得ないけれど。
それでも普段の生活において、彼女は彼が嫌いだった。
授業をサボる、課題は真面目にやらない、本気を出すのは実習と定期試験のみ。
それでも実技で主席、筆記で三席、そして総合で自分と同じ次席を得ている彼を、どうして好きになれるだろうか。
砕蜂はのことは嫌いだった。
それは関わりたくないという可愛らしいものではなく、何かあれば消してやる。
これ以上不快になることはないだろうほどに、砕蜂は彼が嫌いだった。
近づいてくる男子生徒を無視することは容易い。
けれどそうすることは砕蜂の矜持に反した。
だらしなく緩んでいる制服の胸元から、肌に刻まれた赤い斑点が覗く。
それを見とめて、砕蜂は殊更に顔を歪めた。
「課題、何?」
気安く声をかけてくる男を、信じられないと思う。
「俺、この前の奴も提出してないからやばいんだよな。今回出さねーと次の実習に行けなくなっちまう」
小柄な自分に、高い背をかがめて覗き込んでくる男を、砕蜂は睨んだ。
それすら楽しそうに笑う顔は、女を誑かすために甘く出来ているに違いない。
「だからさ、教えて?」
声は、低く、蠱惑。
「筆記だけ主席の、優等生さん―――?」
そのときかすかに動いた手は、動揺ではなく相手を攻撃するためのものだった。
そうしなかったのは、実習で彼の実力を目の当たりにしているからではない。
ただ、貶めたくなかったのだ。
砕蜂が抱いている、己への矜持を。
かがんでいることで目の前にある顔を、砕蜂は見た。
相手にも判るほどのあからさまな侮蔑を含んで。
「貴様のような尻軽男には、退学が相応しい」
「なーんだ、相手して欲しかったなら早く言えよ。おまえみたいに愛想のない女を乱れさせるのも楽しそうだ」
「下種が」
吐き捨てる。本気で見下す。
それが伝わったのか、男は肩を竦めて一歩身を引いた。
無意識のうちに砕蜂の身体から緊張が抜け、いつの間にか握っていた拳をゆるく解く。
けれど険しい視線はそのままの彼女から更に一歩離れ、男は興醒めしたように呆れた顔を浮かべた。
「おまえ、つまんねーのな」
言われた言葉が鈍く心に刺さった気がしたが、砕蜂は気づかない振りをした。
穏やかな微笑の卯ノ花烈。
ふしだらで不真面目な。
砕蜂はそんな彼らが嫌いだった。
認めている。実力だけは。認めているからこそ。
「―――・・・・・・嫌いだ・・・・・・」
眉間に皺を寄せ、砕蜂は眼差しを少しだけ下げた。
離れていく霊圧をどこか安心して感じながら。
「おい」
投げかけられた声に、かすかに肩を揺らして。
飛んでくる小さな物体を片手の平で受け止めた。
「貰いもんだけど、やるよ。それでも食って少しは笑う練習しとけ」
乱れた襟元をそのままに、男は中庭から回廊に上がり、校舎の中へと消えていく。
虚を衝かれた砕蜂は息を呑んだままそれを見送って、その後、手の中に視線を落とす。
刀を握るにはいささか小さな手の中で、少し融けて不恰好になった飴玉が黄金色に輝いていた。
2004年8月11日